Act・2
【Act・2】
工業街は煙や機械油の匂いが漂い、常にどこからか稼動する機械の動作音が響いている。
普通の女の子なら少し顔をしかめるようなこの街だが、ココは違う。この労働者が行き交い、活気溢れる街に少しわくわくしていた。
路上にも様々な店が溢れていて、造り屋として働いていたココには、そこで売られている珍しい機械や部品を見るのが楽しくて仕方がない。キョロキョロと街を見ながらココは隣を歩くアキツに言った。
「おっきな街だね、アキツ。ここなら“ココロ”もあるかもしれないよ?」
「だといいが」
自称『完璧な人型ロボット』は相変わらずの無表情。
機械技師のココは、人になりたいというアキツに“ココロ”を作ると約束した。しかし、その作り方も分からなければ、ロボットの“ココロ”がどんなものなのかも分からない。そこでアキツとロボットの“ココロ”を探す旅に出たのだが……。
「それよりもアキツ」
「どうした」
「お腹減らない? あたし、もうペコペコだよ」
「そうなのか」
「……もしかしてアキツ、空腹感もないとか?」
「ないようだ」
「信じらんないよ、もぉ~。お腹も減らないなんて!」
見た目が完璧な人間の、このロボットとの旅は意外と難しいようだ。
「それなら、どこかで何か食べるか」
アキツはそう言って辺りを見回した。
「アキツはお腹減ってないんでしょ?」
「普通の人と同じように食べ、同じように眠るように言われた」
食事の取れる店を探して、ココの前を歩き出したアキツ。
「ふうん。同じようにね……って、誰に? ねえ、アキツ待ってよ!」
さっさと行ってしまうアキツの背を追いかけて、ココは足を速めた。
しばらく足を進めると、ひしめき合う建物同士の隙間にしっかりと納まるようにして建っている小さな建物があった。開きっぱなしの引き戸の上に掛けられた暖簾には『食事処』の文字が豪快に書かれている。アキツはそれを見て中へと入った。
「いらっしゃい!」
出迎えたのは恰幅のいい女将の笑顔と、威勢のいい言葉。
「二人頼む」
アキツが言いながら目の前のカウンター席に座る。そこへココが後から入ってきた。
「ちょっとアキツ。お腹が減ってるのは、あたしなんだから」
何を言っても動じないアキツに文句を言うココ。そんなココを見て女将はちょっと眉を上げた。
「おや、珍しいお客だね」
「珍しい?」
「見ての通り、ここいらは労働者連中の男たちばかりでね」
首を傾げたココに、女将は視線で店の中を指す。席についているのは見るからに腕っ節の良さそうな肉体労働者たち。出された食事をかきこむようにして平らげている。
確かにココのような若い女の子が来る所ではなさそうだ。
「うちはメニューなんて洒落たもんはないけど、安くてボリューム満点なのが売りなのさ。それでもいいのかい、お嬢さん」
女将の言葉に、ココは今にも鳴りそうなお腹を押さえる。
「はい。もうお腹ペコペコで」
「ハハハ。あんたぁ、二名様お入りだよぉ」
「はいよぉ」
女将が奥の厨房に呼びかけると、それに答える主人の声がして、ジュウと熱したフライパンに油を引く音がした。ほどなくして、何かを炒める香ばしくて食欲を誘う香りが漂ってくる。
女将は客が立った後のテーブルを片しながら、ココたちに聞いた。
「それで、お二人さんはこんな所で何してるんだい」
「“ココロ”を探している」
「ココロ?」
アキツの返事にいぶかしげな表情をする女将。そこでココが付け加える。
「えっと、ロボットのココロなんですけど」
「ロボットの?」
「ええと……ロボットの感覚発生装置とでもいいますか……」
「まあ、ロボットが多いからね、ここいらは」
ココの説明に相変わらず首を捻ってはいるが、一応納得したように女将は言った。
「この辺りでも見つからないような部品なら、一度モグラ通りにでも行ってみるんだね」
「モグラ通り……ですか?」
変わった名前の通りだ。
「そう。この街の最下層部でね。ほとんど日も差し込まないから、そう呼ばれてるのさ。あそこはロボットが多いから修理屋も多いしね。――はい、お待ちどう」
口を動かしながらも器用に店を切り盛りする女将が、ココたちの目の前に迫力のある丼飯を置いた。
「わあ……いただきます!」
ココは感激して手を合わせると、早速一口、口に運ぶ。
安くて早くてボリューム満点なだけでなく、味も良い。
どんぶりいっぱいのご飯を覆い隠すほどに盛られた、肉と野菜。甘辛いタレで炒められたそれは、ほかほかのご飯に最高の相性で、ココは幸せな気持ちになる。
ふと隣のアキツを見れば、黙々と箸を口へと運んでいる。
本当に食べるんだ……。
しかし“ココロ”がないということは、この丼飯もアキツには美味しいと感じないということ。それはやっぱりちょっと可哀想な気がする。
こんなに美味しいものを、美味しいと感じないなんて、なんてもったいない。
そのとき、店の外から犬の荒い鳴き声がしてきた。
「まったく、やってらんねぇや」
その犬を連れた青年が暖簾をくぐった。女将が眉をひそめる。
「ちょっとイヅチ。犬は外に繋いでおくれよっ」
「分かってんよ」
女将にイヅチと呼ばれた青年は、入り口近くの席に荷物を置くと、再び外に出て街灯の鉄柱に犬を繋いだ。
「ったく、あのガキが。今度見つけたらただじゃおかねぇ」
何やらぶつぶつと文句を言っているイヅチの横で、犬は相変わらず吠えている。
「うるさいね。他にもお客がいるんだよ!」
女将に言われて、イヅチが犬を怒鳴りつける。
「静かにしろ、ロケット」
「ロケットっていうんですか、あの犬」
丼飯を手に口に頬張った肉を飲み込むと、ココは入り口の方を見ながら聞いた。
「嫌だよ。あの犬、誰にでも噛み付くんだからね」
女将の言葉に、ロケットはウウウと低く唸った。黒い毛並みをした大きな犬で、唸り声を出しているその口元からは鋭い牙が覗いている。犬を繋ぎ終えるとイヅチは店の中に戻って席に着いた。
「今度あのガキを見つけたら、あいつをけしかけてやるんだ」
「またロボットを壊されたのかい」
「ああ、そうだよ」
苛ついたように答えるイヅチ。
「ロボットを?」
ココが話の内容に興味を示すと、イヅチはココたちを見た。
「ん? 珍しいな。見かけない顔だ」
「丁度いい。イヅチ、あんたこの子たちにモグラ通り案内してやんなよ。ロボットの部品探してんだってさ。あんた詳しいだろ」
「おいおい、俺も暇じゃないんだぜ」
女将の提案に、イヅチはいかにも面倒だというような顔をした。しかし少し考えると、にやりとした笑みを浮かべて言った。
「そうだな、交換条件なら考えてもいい」
「交換条件?」
「ああ。クナイってガキを捕まえて欲しい」
「子供? 何かしたんですか」
「そいつは俺たちのロボットを壊してるんだ。おかげでこっちの仕事は増えるばかり。憎ったらしいことに、すばしっこいガキでよ。あのガキを捕まえられたら、ロボットの部品が揃ってる所に案内してやるよ」
それを聞いて、それまで黙っていたアキツが急に立ち上がった。見ればあんなに山盛りだった丼飯も、いつの間にかすっかり綺麗に食べ終わっている。
「いいだろう。その話、乗ろう」
「ちょっとアキツ!」
止めようとするココだったが、
「ココ、良かった。意外と早く“ココロ”が見つかるかもしれない」
言ったアキツに呆れたように、再び丼飯をかき込んだ。
「もお、あたし知らないからね。その子が捕まらなくても」
すると、外にいるロケットが突然激しく吠える声がしてきた。
「なんだ?」
イヅチは席を立つと、暖簾をめくって表を見る。そこで目にしたのは、大きな破壊音と共に地面に転がるロボット。そのロボットにとどめを刺すように振り下ろされる鉄パイプ。
ロボットが動かなくなると、振り下ろした鉄パイプを肩に背負った少年がこちらを振り返った。まだずいぶんと幼さの残るその顔。
「よおイヅチ。……あ? なんだこれ、お前のロボット?」
少年は人を馬鹿にしたような笑みを浮かべると言った。
「クナイ、てめぇ!」
「じゃあなっ」
少年は小さな身をひるがえし逃げ出した。
「待てっ!」
「あれがその子供か」
アキツがイヅチの後ろから走り去る少年を見て聞く。
「そうだよ。待ちやがれ!」
犬を繋いだロープを解くイヅチ。
「くそ、ロープが絡まった!」
「先に行く」
クナイを追って走り出すアキツ。
「あ、ちょっと、アキツ待って! ご馳走様でした!」
自分勝手なロボットに、ココは慌ててどんぶりに残っていたご飯を口に詰め込むと、代金を置いて自分も後を追おうと外へ出た。しかし、
「あの子のことはそっとしておいてあげてくれないかね」
女将がそう言いながら、自分も店の外へと出てきた。クナイの走っていった方を目を細め見る女将に、ココは足を止める。
「クナイって子のことですか」
「ああ。可哀想な子なんだよ」
「……可哀想?」
◆◆◆◆◆
迷路のように入り組んだ街を走るクナイ。細い道のいくつもある角を迷うことなく駆け抜けていく。それをアキツがピッタリと追いかけ、その後ろから犬を連れたイヅチと、更にその遥か後ろからココが息も切れ切れについて行く。
ロケットがクナイに向かって吠え、クナイは後ろを振り返った。
「イヅチの奴、犬なんか連れてきたな。……あとの二人は誰だよ……おっと」
走り続けていたクナイは立ち止まった。
狭い路地の突き当たりは低いフェンスの行き止り。その向こうに道はなく、下の層の通りまで絶壁のようになっていた。
「どうしたクナイ。道がないな。どうするよ」
息も絶え絶えに追いついたイヅチが、にやにやと笑いながらクナイへと近づく。しかしクナイの顔にも余裕の笑みが浮かんでいた。
「捕まえられるもんなら……捕まえてみなっ!」
言いながらクナイはフェンスを跳び越した。やっと追いついたココはそれを見て驚く。
「飛び降りた!」
「クナイ!」
イヅチは慌ててフェンスへと走り下を覗きこむ。クナイは途中にあった電線を一度掴んで衝撃を和らげると、無事に地面へと降り立った。
「ここまでおいでー!」
下から一言そう言うと、クナイは走って行ってしまった。
イヅチが舌打ちをすると、別の道を探してロケットを引っ張って走り去る。
「すごい身軽な子……って、アキツどこ行くの?」
感心して呟いたココは、アキツがフェンスに足を掛けているのを見て聞いた。
「追いかける」
当然のように言ってのけるアキツに、バイバイとココは手を振った。
「あたし無理だから待ってるね」
「掴まれ」
アキツはひょいと片腕でココの膝の裏から、その体を抱え上げた。
「え? え? えええ?!」
戸惑うココにお構いなしに、そのままココを抱え、アキツはフェンスを乗り越え飛び降りた。