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ROBOT HEART・ロボットハート  作者: 猫乃 鈴
十二話・ハジマリ
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Act・2

【Act・2】


 カナタが再び店にやってきたのは、五日後のことだった。

 その日はとても良く晴れた日で、ヒジリは仕事の材料となる鉄屑を店の前で選り分けながら、遥か遠くの眩しい小さな青空をぼんやり見上げていた。

 ヒジリが住んでいるのは下層部だったが、近頃はその上にまた建物が増やされて、更に空が遠くなってきたように見えた。実際は自分と空の距離に変化などないのは分かっているが。


「こんにちは、お久しぶりです」


 突然聞こえた声に上へと向けていた顔を前へと戻すと、そこにカナタがいた。

 この日はワンピースではなく動きやすそうな黒いズボンと、グレーのコートに踵の低いブーツという地味な格好だったが、やはりどこか小綺麗で、生まれも育ちも下層部の自分とは違う物をヒジリは感じた。

 こんなご時勢でも、こういった格好ができる人がいるところにはいるものなんだなと、ぼんやりと思ったヒジリはふと気がついた。着ている服だけではなくカナタが綺麗な女性なのだということに。

 この前は雨で濡れて首元に張り付いていた髪は、実はとても柔らかく軽そうな小麦の穂のような色で、今日は華奢な肩先でふわりと揺れていた。そして赤く泣き腫らしていた濃い褐色の瞳も、今日は丸く開かれ、見ているこちらを鏡のようにしっかりと映しだしている。服の上からでも分かる細く長い四肢は歪みなく真っ直ぐで、ピンと一本筋が通ったような立ち姿は美しかった。

 へえ……と、その整った容姿を半ば感心するように見ていたヒジリは、にこりと笑ったカナタに慌てて目を逸らした。


「どうも……お久しぶりです」

「すみません、遅くなってしまって」

「いえ。どうぞ中へ」


 ヒジリは晴れた日でも明かりが必要な店内へカナタを案内すると、あの日と同じように椅子を勧めた。


「それで、時計をどうされるかは決まりましたか」

「ええ……あの後、店員さんのお話を聞いて色々と考えたんですが、余計に分からなくなってしまって。どうしても直したいと思っていたはずなのに、直すことでそれまでの時計と違う物になるなんて、考えたことがなかったものですから」

「僕もあんな提案をしたのは初めてです」


 作り手の意思が伝わってくるような出来である物を前に、少し怖気づいたのは確かだ。


「父にも相談をしてみたんですが、『それはお前の物だろう、お前の好きにすればいい』って言われてしまって。少し冷たいと思いませんか」

「物への価値感は人それぞれですから……」

「物を生み出すのが人なら、物の最期を決めるのも人なんですね」

「そういうことになりますかね。僕はそのどちらにも、まだあまり立ち会ったことはないんですが」


 ヒジリの店にやってくるのは、なくなると不便な道具を、なんとかして直しながら使い続けたいという修理の依頼が多かった。

 新しい物を買ったり、作ったりする余裕のない客がほとんどだったし、動きさえすれば見た目や仕組みが変わることなんて、気にもされなかった。

 そういう生活の便のために用いる器具や、自分の仕事をはかどらせるための器械としての物にばかり触れてきた。


「それで色々と悩んだんですが……決めました。仕事の依頼内容を変更させてほしいんです」

「内容を、ですか?」

「ええ。時計の修理はやめさせてください。あの時計はあの時計のままで最期を迎えたいと思います」

「そう……ですか」


 カナタの選んだ答えに、少し残念に思いながらもヒジリは頷く。


「その代わり、店員さんには私とこれからの時を刻んでくれる、新しい時計を作っていただきたいんです」

「新しい時計?」


 続けてカナタが言ったのは、ヒジリの予想外の仕事の依頼だった。


「ええ。私もあの時計を作った人のことを、ちょっと考えてみたんです。確かに頑固な人かもしれないけれど、とても繊細な人でもあったに違いないわ。だって、あんな小さな歯車や螺子を扱うのだし、あんな装飾を施せるんですもの。それと、あの時計は素晴らしい出来だったけれど、きっとあんな時計を作れるようになるまでには、たくさんの失敗もしたでしょうし、他にも色んな物を作っていたに違いないって。それにもしかしたらその人も、このお店みたいな場所で、あの時計を作ったのかもしれないわ。そうでしょう?」


 想像力が逞しい。作り手が分からない中、その想像を否定することもできないが。


「だから、あなたにも作ってみてほしいんです。ちゃんと時間も計れて、でもそれだけじゃない店員さんのこだわりを詰め込んだ時計を。いつか、私の手から別の人の手に渡り渡ってその役目を終えた時、持ち主が思わず泣きたくなる様な、そんな時計を」


 初めにカナタが修理を依頼してきた時計をヒジリもその目で見た。それが壊れたことでカナタが泣くほどの時計だ。

 それに変わるような時計。そんなものが自分に作れるのだろうか。あの時計を作った技師のように。

 そもそも自分は時計を専門とする機械技師ではない。いや、先程カナタも言ったが、そんなことは、あの時計を作った技師だって同じかもしれない。


「やっぱり……難しいですか」


 俯き考え込んでいるヒジリに、カナタは少し表情を曇らせて聞く。するとヒジリは見つめていた古いテーブルから顔を上げて言った。


「いえ、やらせてください。いいものを作れるよう頑張ってみます」


 その返事を聞いてカナタの曇っていた表情がすぐに晴れ渡る。


「あなたなら、そう言ってくれると思っていました」

「二ヶ月……いえ、ひと月半、いただいても宜しいでしょうか」

「分かりました、ひと月半。その頃また伺います。楽しみにしていますね」


 そうして材料費にと前金を少しばかり置いてカナタは帰って行った。

 それから約束の期間、ヒジリは日頃の仕事の合間に、先ずは時計について学び直した。これまでも壊れた家の時計を直してほしいなどの仕事は請けたことがあるが、一から作ったことはなかったからだ。

 やってみたかった。

 かつてあの時計を作った技師のように。ただの道具ではない物を作ってみたかった。

 そんなヒジリの様子も店主である老人は、さほど気にした様子はなかった。彼にはいつもと同じように呑みに行く金が手元にあれば、他のことは大抵どうでもいいことだった。

 本や専門書などは手に入りずらく、時計職人の知り合いもいないヒジリの勉強は、身近にある、ありとあらゆる実際の時計を開いて中を見て、分解し組み立て直してみるという原始的で基本的な方法だった。

 壁掛け時計に置き時計、振り子時計に腕時計。時計という物の構造についてはこれで大体のことを理解することができた。

 しかし、難しかったのはカナタの注文の内容だった。

『私とこれからの時を刻んでくれる、新しい時計を』

『私の手から別の人の手に渡り渡ってその役目を終えた時、持ち主が思わず泣きたくなる様な、そんな時計を』

 こんな注文はされたことがない。


 もっと小さなものを

 もっと軽いものを

 もっと早く動くものを

 もっと機能的なものを――。


 そういった依頼なら、今まで何度もあったけれど。

 どんなものを作ったらいいか分からなくなり、ヒジリは大きな溜息を吐いて机に突っ伏した。

 砂時計とかはどうだろうか……あれならば、硝子管を熱で成形するのは難しいが、砂の色や枠を工夫すれば独自の物ができそうな気がする。上下の器を入れ替えるのに外枠の土台は固定型にして中を回転式に――。

 いや……ダメだ。数分毎に上下を入れ替える砂時計では、カナタの依頼である『これからの時を刻む』という要望からは外れているだろう。

 それにどうしても硝子細工は壊れやすい。今まで持っていた時計が壊れたときにあれだけ悲しんでいたのだ。できれば手にしたときから壊れる心配をするようなものよりは、丈夫な造りの物が良いだろう。

 がっかりされたくない。

 雨の中、壊れた時計を手に泣きながら店を訪ねてきたカナタのことを思い出すと、できれば自分の時計を見たときには笑って欲しいと思う。

 そしてヒジリは小さな明かりを灯した作業部屋で、今夜も寝る間を惜しんで工具を手に机に向かうのだった。



◆◆◆◆◆



 再びカナタが店に顔を出したのは約束通り、ひと月半が経ってからだった。


「こんにちは、お久しぶりです店員さん」

「いらっしゃいませっ!」


 店のうるさいドアベルに顔を向けたヒジリは、そこに見えたカナタの姿に思わず接客中だったことも忘れ椅子から勢いよく立ち上がった。


「す、すみません、そちらで座って少しお待ちください」

「はい」


 言われた通りに店の壁際にある椅子に腰掛けたカナタを気にしながら、ヒジリは目の前の客の対応に戻る。いつもよりも慌しく持ち込まれた機械の状態を聞き終えると、すぐに修理を引き受け客を見送った。

 実はカナタに注文された時計はもう三日ほど前に作り終えていて、いつカナタが来るかと毎日そわそわ落ち着かない日々を過ごしていたのだ。

 時計という形は完成したとはいえ、どこか不安で何度も見直し磨き直し、中を開いて確認したりもした。時間のズレはないか。傷がついてしまってはいないか。

 この三日間は時計のことばかり気になって、できれば早く引き取りに来てほしいとすら思い始めるほどであった。


「お待たせしました。こちらへどうぞ」

「ありがとうございます。それで、注文した品はどうでしょうか」

「……出来ています。でも、ご要望に添えているかどうか……」


 カナタを来客用の椅子へと促すと、ヒジリは奥の工房から時計を入れておいた箱を持ってきてカナタの前に差し出した。両手の平に乗る大きさをした、つるりと角の丸い燻したような金色の金属ケースだ。

 カナタはテーブルに置かれたその箱を手元に引き寄せると、蝶番で開く蓋をそっと持ち上げた。


「これは……」


 箱の中には敷き詰められた濃紺の布の上、懐中時計が蓋を閉じた状態で収められていた。

 カナタの小麦色の髪に良く似た黄金こがね色。文字盤をしっかりと覆う丈夫な蓋を表裏につけたタイプだ。小柄なカナタの胸元で揺れていても、邪魔にならないとても小さなサイズの手巻き式。

 縁にある突起を押して蓋を開けると、綺麗な円状に並んだ数字の上を細い秒針がなぞり、蔦の這う枝のような形状をした長針と短針が現在の時を指し示している。


「あの、僕は機械を弄るのは得意なんですが、その……工芸のようなものはあまりしたことがなくて。蓋の柄は前の時計の模様を参考に削らせてもらったんです……」


 時計を手に取り黙って眺めているカナタに不安になり、ヒジリは蓋に施した彫刻について説明する。

 時計という道具を作り上げることよりもそれは難しかった。柄や模様を創造することがどうしても困難で、結局はカナタの持って来たあの時計の模様を思い出し装飾することにしたのだ。

 気に入らなかっただろうかと、ヒジリがカナタの様子を伺っているとカナタは小さく口を開いた。


「素敵……」

「え」


 零れ落ちたとでもいうような小さな呟きがカナタの薄く開いた唇から聞こえ、ヒジリは目を瞬く。するとカナタは手元の時計から視線をヒジリへと移した。


「有難うございます、前の時計と同じ模様にしてくれて。あの時計が生まれ変わったかのようで嬉しいです」

「そう……ですか」

「ちゃんと時間も刻んでる」

「ええ、時計という注文でしたので」

「この針の形も、蓋にある草の模様をモチーフにしているんでしょう?」

「あ、はい。実は……そうです」

「綺麗。それにこの蓋。壊れにくそうだし、とってもいいわ」

「そう言ってもらえて良かったです」


 ほっと息を吐くヒジリの前で、カナタはそっと懐中時計を耳元へと持っていく。


「とっても小さいけれど、ちゃんと動き続ける音がする。生きているみたい」

「そうだ。ひとつ言っておかなければいけないことがありました。実はこの時計は手巻き式なので、止まらないようにするには毎日、少なくとも2日に1回発条を巻き上げる必要があります。自動巻きに比べて構造がシンプルで衝撃にも強く、時計自体も薄くできるのでこちらにしたんですが……」

「大丈夫。動き続けてもらうには毎日ご飯が必要ということでしょう? それくらい当然だわ」


 時計にご飯……機械に対して変わった表現をするとヒジリが思っていると、カナタは早速、懐中時計を首から提げ満面の笑顔に整った顔を崩した。


「本当に素敵! あなたの手、まるで魔法が使えるみたい。私、本当にそう思うわ!」


 少し大げさなのではないかと思うようなカナタの喜び方に、ヒジリは照れくさいものを感じながら、いつもどこか不安そうな表情ばかりをしている顔にようやく自分も笑みを浮かべた。


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