Act・8
【Act・8】
キュキュキュキュキュ。
車のエンジンを掛けようとする、どこか苦しそうな音がして見ると、ロボットに突っ込んだ車の運転席にヒジリが乗り込んでいた。
元々オンボロだった車は、もはや廃車寸前。
バリケードを突破した際にひび割れたフロントガラスは、ロボットから受けた発砲と追突した衝撃で割れ落ち、ボンネットも潰れてしまっている。しかし、驚くことにこの老兵はまだ動くらしい。
タイラはハンドルを握るヒジリの腕を掴んだ。
「ヒジリ博士、何をしているんですか!」
「行かせてください。あれを止めないと」
「まずはその傷をちゃんと手当てさせてください。僕は医者です。治療をするのが先だ」
掴んだ腕を上げて血の滲みた脇腹を見れば、痛みでヒジリの顔がわずかに歪む。腕を掴むタイラの手の強さに、ヒジリは観念したように運転席に身を沈めると上着の裾を捲り傷を見せる。出血は少し多いように見えるが、傷そのものはたいしたことがなさそうだ。
血の苦手なクナイが、タイラの横からチラリとヒジリの傷を確認すると、やはりそこから目を逸らした。
「さっき、あれはあの街を破壊するまで止まらないって……」
アカガネの言葉を思いだし聞く。
「ええ、外からあれを止めるのは無理です。だから、中からあれを破壊します」
「そんな無茶な」
「あのロボットの構造なら私の頭の中にあります。中に入った所で、メインのコンピューターにたどり着けなければ意味がありません。どこを壊せばあれがちゃんと止まるのか、分かるのは私とアカガネ君くらいです」
タイラが車に積んであった医療キットで応急処置を施す中、言ったヒジリの言葉にココが身を乗り出した。
「あたしが行く」
「ココ」
「あたしに教えて、どこを壊せばいいか」
「無理だよココ……あれの中は複雑だ。それにある程度の故障に備えて、いくつもの補助装置も備えてる。何より――」
危険を承知で勇敢に名乗りを上げた娘に対して、ヒジリは少し言いづらそうに声を落とす。
「ココがあれに近づいたら、すぐに潰されちゃうよ……」
ココがあのロボットの構造を理解し破壊できるとして、残念なことに運動神経に関してはお世辞にもいいとは言えない。
ヒジリ自身、あまり運動神経がいいとは言えないが、そんなヒジリよりココは肉体的にも体力的にも下だ。
すると、タイラとクナイが大きく頷きながらヒジリに賛同した。
「無理ですね」
「無理だな」
「なんでみんなして! やってみなきゃ分かんないじゃん!」
「いや、分かるだろ」
憤慨するココに呆れた様にクナイが返すと、ココは膨れてクナイの両頬を引っ張った。
タイラはヒジリの傷に包帯を巻き終えると助手席へと移し、代わりに自分が運転席に乗り込む。
「ココ、とにかく一度、東へ戻りましょう。アキツを迎えに行くんでしょう?」
「そういや、アキツは? あいつ、どうしたんだよ」
クナイが見当たらないアキツの姿を探して、キョロキョロと辺りを見回した。
そうだ。クナイには言わなければいけないことがある。ココは一度大きく息を吸い込むと、覚悟を決めてクナイに声を掛けた。
「クナイ、あの……あのね」
「何だよ」
「実はね、アキツはね」
「うん?」
「アキツは…………人間……なんだよ」
「え……」
「アキツは、人間なんだ……」
「…………」
長い沈黙にココが逸らしていた視線をクナイに移すと、ポカンとしていたクナイの顔が次第に険しくなっていくのが見えた。瞼が半分降りた様なじっとりとした目付きで首を傾げる。
「……は?」
「え?」
雑に聞き返されてココは目をぱちくりさせる。
「それが?」
「えぇっ!」
薄すぎるクナイの反応にココが驚くと、クナイは腹の底から深く長い溜息を吐いた。
「いまさら何? あいつがロボットなわけないだろ。まあ……人間にも思えなかったけど」
「で、でも!」
「良かったじゃんか。あいつが機械でできた人形なんかじゃなくて」
いつも通りの簡単で率直なクナイの言葉に、ココはハッとする。
他人とは違って痛みもぬくもりも感じない身体、喜びも悲しみも理解できない心。アキツが人間であることは、アキツにとっては残酷な現実かもしれない。
それでも、アキツがロボットでなかったことは、いいことのはずだ。
機械でできた人形などではなく、アキツは生きている。
「そっか……そうだよね。うん、それは……いいことだよ」
「それで? あいつなんでいないんだよ」
いつも淡々とした、それでいて口うるさいそいつがこの場に居ないことを不満とでもいうように、クナイは腰に手を当てて聞く。
答えられないココに代わってタイラが口を開いた。
「アキツはちょっと……今頃、東国の軍と戦っているかと」
「軍と?!」
アキツが人間ということよりも、そちらの方にクナイは驚き、なんでそんなことになっているのかとココを見る。
そのココは口をギュッと結んで、眉間には深く皺を寄せながら足元に目を落としている。いつも能天気に思えるココの何かを後悔するような表情。
いったい何があったのかクナイには分からないが、こんなところで立ち止まっていても仕方ないことだけは分かる。
「しょうがねぇな。じゃあ助けに行ってやるか」
わざと面倒くさそうに言いながら車に乗り込むクナイに、ココが顔を上げる。
「おい、早くしろよ。行くんだろ?」
「……うん!」
呼ぶ声に大きく返事をすると、ココは車に飛び乗った。
◆◆◆◆◆
東の軍事基地周辺は、すでにロボット兵器の攻撃を受けていた。
巨大なロボット兵器は歩みを進め、バリケードを潰し東へと片足を踏み入れた。踏み潰された箇所から連鎖して、バリケードが流れるように倒れる。
地面が割れ落ちてしまうのではないかと思うような揺れと轟音の中、ココたちを乗せた車はロボット兵器が向かう先へと走った。
塵に混じり小さくはない石までが舞い上がり、車は瓦礫を避け蛇行しながら進む。フロントガラスのない車内には土煙が容赦なく吹き込み、クナイは咳き込んだ。
「おい、タイラ、ちゃんと運転しろよ!」
「無理言わないでくださいよ」
そのとき、爆音が連続して響き、東側から発射された砲弾がロボット兵器の体に続けざまに当たって弾けた。一瞬、濛々とした煙に包まれたロボット兵器だったが、すぐに何もなかったかのように煙の中から、ぬっと前に進み出てくる。その体は砲撃を受けて黒くなってはいるものの、傷ついてはいないようだった。
そしてロボット兵器は突然、体を前のめりに傾けると、大きな手で集まってきていた戦車をゆっくりとした動作でなぎ払った。
まるで箒で掃かれた紙くずのように地面を転がる戦車。その風圧は凄まじく、風下にいたココたちのところまで、周辺に待機していた軍用車や人が吹き飛ばされ転がってきた。
「危ない!」
ココの声にタイラはハンドルを切ると、建物の影に車を走らせた。屋根をバラバラと崩れた建物の破片が叩く。
「まいったな……」
「お願いです。私を降ろしてください」
これ以上、先へ進むのが難しくなり呟くタイラに、助手席にいるヒジリは言ったが、後部座席のココにドンと背もたれを蹴っ飛ばされ口をつぐむ。
「お父さんは黙ってて」
「はい……すみません……」
父を強制的に黙らせたココは、茶色く霞んだ窓の外に目を細める。
すると土煙の隙間に、見覚えのあるくすんだ赤い色がはためくのを見た。旅の間、ずっと自分のすぐそばにあった色。今から迎えに行くその人がいつも身につけていた、あの赤い色。
ほんの一瞬だったが間違いない。
「タイラ、止めて!!」
急に叫んだココに、タイラは慌ててブレーキを踏んだ。
「なんですか?」
「アキツが……アキツがいたの!」
言いながらすでにココは車を降りていた。そしてその色、アキツが見えた方へと土煙の中を駆け出した。
◆◆◆◆◆
「撃てぇ!!」
地上に何台も設置された砲台から、ロボット兵器に向かって再び砲弾が爆音と共に発射された。
砲弾はロボット兵器の顔となる部分へと命中したが、その作られたふざけた様な表情が変わることはなかった。
「くそ、ダメか」
指揮をしていた兵士が忌々しそうに呟く。するとロボット兵器がその掘削機のような口を、顎を外すかのようにガパリと開けてこちらに向けた。見えたロボット兵器の喉の奥が光り、その光の玉が徐々に大きくなっていった。
あれはマズイ。
兵士が思ったときだ。口いっぱいに広がった光の玉が、ロボットからこちらに向け発射された。
「退け、退けー!!」
「わああああっ」
巨大な光の玉は砲台があった場所を中心に、えぐるように周辺を破壊し吹き飛ばしながら爆発する。
そこから離れた別の場所で、兵士たちと共にハルカは白衣をバタバタと爆風になびかせ、アキツと並んでロボット兵器を見ていた。アキツに折られた腕は今、兵士の手当てによって首から布で吊り提げている。
「本当にあれを壊せるの?」
「ああ」
聞いたハルカに、アキツはまっすぐロボットを見据えながら答えた。しかし、爆音に紛れ耳に入ってきた声に後ろを振り向く。
「アキツー!」
「……ココ」
風と土煙の中をよろけながら、それでも懸命に走ってきたココは、何とかアキツの前まで来るとその両腕を掴んだ。
「アキツ! 良かった、大丈夫?」
「問題ない」
言葉ではそう言うアキツの、左のこめかみにある傷に気づいたココは表情を険しくした。
「……また、あなた達なの」
ココだけでなく、その後ろからココを追いかけ現れたタイラの姿に、冷ややかな目をしながらハルカは言った。
「ハルカ」
「タイラ、今おしゃべりしてる暇はないわ。分かるでしょ? 今、あれに基地を壊されるわけにはいかないの」
「君は……こんなときにもそんなことを」
自分の身のことすら考えず、強化兵の研究のことだけを心配するハルカに、いつもは飄々としたタイラの顔が嫌悪に歪む。
アキツは自分の腕を掴んでいるココに首を傾げた。
「ココ、どうしてここに。クナイはどうした」
「クナイも一緒。アキツを迎えに来たんだよ。行こうアキツ、逃げなくちゃ」
ココは言いながら掴んだアキツの腕を引っ張ったが、アキツの足はその場を動かずびくともしない。
「悪いがココ、俺にはやることがある」
「やること?」
「あれを壊す」
「あれ……あのロボットを?」
アキツが顔を向けた先にあるのはロボット兵器だ。
すると、後から追いかけてきたヒジリが、クナイに支えられながらアキツの前へと出てきた。
「無理です。あれを壊すには、あれの中に入るしかない」
「……あんたは?」
「ヒジリと言います。あれを作ったのは私なんです。私を行かせてください」
「その体では無理だろう。怪我をしている。それに、俺もあれは中から破壊するつもりだった」
「あれの中は複雑で……」
「大丈夫だ。あれの構造なら、おれの頭の中に入っている」
「君の頭の中に?」
「以前一度、西軍の基地に潜入したことがある。そのときにあれの設計図をこの目で見た」
「一度……それだけで?」
驚いているヒジリから、アキツはその隣にいるクナイへと視線を移した。
「クナイ、無事だったか」
「……うん……まあ」
「ロボットを作った奴が見つかったんだろう?」
「そうだけど……でも……もういいんだ」
「そうか」
それ以上は聞くこともなく頷いたアキツが、ロボット兵器の方へと歩き出しココは慌てた。
「待ってアキツ! なんで? なんでアキツがそんなことしなきゃいけないの!」
「俺が、それをできるから」
「……」
返された冷静な声に再び返す言葉がなかった。
だって、なんて言えばいいのだろう。なんて言えばアキツを止められるのか分からない。
誰かのためや何かのためならば、そんなもの放っておけばいいと、そんなもののためにアキツが戦う必要なんてないのだと、言う事だってできただろう。
それなのに、自分にできることをやりに行くだけだと言うこの人を、この場に留めておける良い言葉がココには見つからない。
ココが黙ってしまうとアキツは再び足を進め始め、焦ったココはその赤いコートを引っ張り止めようとする。
「だ、ダメ! アキツ! 行ったら……ダメだってば!!」
しかしアキツの足は止まらず、上着を掴んで踏ん張りしゃがみ込むココを、そのままズルズル引きずりながらロボットの方へと向かう。すると、引っ張っていた上着だけがアキツの腕からすっぽ抜け、ココは勢い余って後ろへ転んだ。
地面にしたたか打ち付けたお尻が痛い。
力ずくでもアキツを止めたいのに、それすらできない。
痛さと情けなさと自分の無力さにココが起き上がれずにいると、アキツは行きかけた足を止めココをチラと振り返り、その前に戻ってきた。そして転んだままのココに手を差し出す。
ココは差し出された手を見ると、その手首を掴みアキツを引き寄せた。
目の前にあるアキツの体に腕を回してしがみつく。今度こそ逃がすものかと、回した腕に、シャツを握り締めた手に目一杯の力を込めた。たとえそれがアキツ相手に無駄なことだと分かっていても。
押しつけるようにしてアキツの体についたココの耳に、そこで確かに鼓動する心臓の音が聞こえてきた。こんなときだというのに、焦りに早まるココのそれとは違い、乱れる事なく規則正しく脈打っている。
それが、何だか悲しかった。
「ココ、俺なら平気だ。問題ない」
「問題なくないよ! アキツはっ――」
体を離して見れば、いつもの赤いコートが脱げたアキツは、ココが見たことのない黒い長袖のシャツと、軍人が身につけるようなベストを身につけ腰には銃まで下げていた。
思わず言おうとした言葉の続きを飲み込んだココに、アキツは先を促した。
「俺は、何だ?」
「アキツは……」
ぐっと一度、唇を結んだココは、再び口を開きアキツに告げる。
「アキツはロボットなんかじゃ……ないんだよ」
ココの目の前にいるのはロボットなどではない。しかしただの少年でも、もはやなかった。
そこにいるのは、これから戦場に向かう兵士だった。
「そうみたいだな」
決心して告げた真実に返された、あまりに呆気ない一言にココの目が見開かれる。
「…………知ってたの?」
「さっき全て思い出した。識別番号0番。俺はロボットではなく東軍に作られた強化兵だ。もっと早く思い出せていれば、ココをこんな所まで付き合わせることもなかった。……ごめん」
謝る言葉を使うアキツにココは首を振る。
「ココは行っては駄目だと言うが、俺はこういうときのために作られた。だから、むしろ行かなければならない」
「アキツ……ちがうの! 待ってアキツ!!」
本当は謝らなければならないのはアキツではない。自分の方だ。
本当は『行ったらダメ』なのではない。
本当は――
「あたしが行って欲しくないの!」
そう、ココ自身がアキツに行って欲しくないだけ。
『行ったらイヤだ』
ただ、それだけだった。
「一緒にいてよ。行かないでよ。行っちゃヤダよ!」
自分勝手な我が侭でみっともない感情を、小さな子供のような言葉でココはアキツにぶつける。本当に小さかった頃には、母にも父にも言わなかった、言えなかった我が侭だ。
するとアキツは少し目を細め、ココの頭にそっと手を置いた。
「そうか。それなら、どうしてそんなにココが止めるのか、俺にも少し分かる気がする」
「じゃあ……」
「だが、やっぱり俺は行くべきだと思う。俺が、そう思うんだ……ココ」
あやすように自分の頭を撫でる手の強さに、ココにはもうアキツを止めることができないと分かった。
「行ってくる」
静かにそう一言告げると、ココから手を離しアキツはロボットに向かって駆け出した。
ココの手元に、くすんだ赤いコートだけを残して。
ROBOT HEART・10
- キオク - 終了