Act・3
【Act・3】
ドサリと床に倒れ伏す兵士。その横で別の兵士がまた床に転がった。
さらに別の兵士は苦痛の表情で床を這いながら、落ちた無線機に手を伸ばす。
「こちら……第七班……応援を、頼む……」
仲間を呼ぼうとしたその手から、不意に無線機が奪われた。そして次の瞬間、粉々の破片となって兵士の前に落ちてくる。それを見て兵士は力尽き意識を手放した。
「さすがね。これだけの人数を相手に一人で。まあ、そうでなければいけないんだけど、あなたは」
静かな女の声にアキツは振り向く。
重なり倒れる兵士たちで埋め尽くされた廊下の向こうに、あの白衣の女が立っていた。
ハルカは自分の足元にうつ伏せに倒れている兵士の一人を確認する。体を仰向けに転がすと、起きはしないが苦しそうに呻いて顔を歪めた。どの兵士も戦闘不能なものの命に別状はないらしい。
そしてハルカは兵士たちの体を避け、時には跨ぎながらアキツのそばへとゆっくり歩いてきた。
「あんたは」
近づいてくるハルカに体を向けるアキツ。するとハルカは両手の平を顔の横に上げて見せた。
「待って、武器は持っていないわ」
「……あんたは、俺を作ったと言っていたな」
「そうよ。残念だわ、ゼロ。本当に何も覚えていないのね」
「ゼロ?」
「そうよ。識別番号0番。それ以上でも以下でもない唯一の存在。あなたは特別だった。私が作った最初にして最高の出来だったのに」
ハルカとアキツは、互いに手を伸ばせば届く位置に向かい合って立つ。
「俺はいったい何なんだ」
「あなたは戦うために作られた強化兵――といってもそんなに難しい物じゃないわ。簡単に言うと……そうね、火事場の馬鹿力って知っているかしら」
「人間の危機的状況下において発揮される潜在的な力のことだ」
すぐに返された答えに満足そうにハルカが微笑む。
「そう、それらを除いた脳が制御している数十パーセントが、通常の人間が出せる力。それを常に百パーセントだせるのがあなたよ。ごく普通の成人男性ですら五百キロは持ち上げられると言われている力。人間には本来、誰にでもそれだけの力が秘められているの。素晴らしいと思わない?」
「しかし、普通の人間が常に百パーセントの力を出すと筋肉や骨が破壊される」
「その通り。だから、あなたには力に見合った器を与えたの。力に耐えられる体をね。まだ子供だったあなたの体を、戦場において最もバランスがよく効率的に動ける体に成長するよう作り替えたわ。毒物や薬物への耐性をつけさせるのは、想定していたよりも時間が掛かって大変だった。素早く軽い動作を考慮した結果、皮膚を金属のように強くすることはできなかったけど、その代わりに細胞分裂の活性化による常人の何倍もの治癒力も与えた」
手を伸ばしても避ける素振りを見せないアキツに、ハルカは残した人間特有の無防備で柔らかな皮膚の頬に触れる。
「普通の人間は肉体的限界を、脳内の低い心理的限界が守っている。あなたにはそれもない」
本来なら肉体が限界を迎えるはるか前に、疲れや苦痛を感じとった身体は動きを止めてしまう。だからそんなものは失くしてしまった。器が砕け散るまでは、その力が零れ落ちる事はない。
「他には何をした」
「あとは学習と訓練よ。せっかく与えた力を上手く使えないんじゃ仕方ない。力と器を与えても、馬鹿じゃ使い物にならないでしょう? 兵器や人体に関する知識も与えたわ。それに、その場で常に正しい判断と行動ができるよう様々なシミュレーションも行った」
「正しい判断と行動……」
「『正しい』と言ってもこの国にとって、だけど……。その訓練でも、あなたは優秀だった。だから本当にがっかりしたのよ? 一年前のあの日は」
「一年前?」
聞き返されてハルカは溜息を吐いた。
「……それも覚えていないのね。一年前、あなたはすでに完成体として認められていた他の三人の強化兵を連れて、西軍の基地へ潜入したの。結果は西のロボットに殲滅されて失敗。もちろん無抵抗だったわけではないけれど、結局全員戻らなかった。でもね、何よりがっかりしたのは……あなたが逃げ出したこと」
「俺が……逃げた」
「全員の音声通信がまず途切れたわ。そのあと、あなたを含む三人からの映像による通信も途絶えた。その後、乱れながらも届いた識別番号1番からの映像データに、逃げる0番……あなたの姿が映っていたのよ。一人で逃げ出すなんて、一体どこで失敗したのかしら……」
ハルカの口調にどこか苦々しさが混じる。
「確かに仲間を守れなんていう正義論や倫理学は教えなかったわ。そんなものはいざという時、任務の足を引っ張る。でも、あの三人がうちにとってどれくらいの損失かぐらい、あなたには分かっていたはず。なのに、あなたは他の三人には目もくれず、その場からの脱出を試みた。その後、通信は途絶え、結局あなたは戻らなかった……。まさか、こんな風にまた会うなんてね」
再び笑みを見せたハルカに、アキツは一歩足を引いた。
「悪いが、俺には行くところがある」
「そう……でも行かせないわ」
ハルカは時間を確認するように袖を軽く捲くると、手首に巻いてある時計のような機械に指先で触れる。
すると急に糸が切れたようにアキツはガクリと床に膝をついた。そのまま前に突っ伏し倒れそうな体を、何とか手をつき支えたアキツがハルカを見る。ハルカはそんなアキツを哀れむように、そして冷ややかに見下ろしていた。
「あなた達みたいな危険な物を作るのに、保険がないわけないでしょう? 体内に埋め込んだチップはそのままのようね」
一度ついた膝を立てハルカに手を伸ばそうとするアキツに、ハルカは腕の機械のダイヤルを回した。
とたんにアキツは再び床に伏すことになる。思いのままにならない全身の、床についた顔だけをなんとか腕をついて上げれば、目の前にポタと垂れるものがあった。
額から鼻筋を伝って落ちたそれは、限界を迎えた肉体の危険を知らせる生理的な汗だった。
「さすがのあなたも立ちあがれない? でも良かったわね。本当なら、もがき苦しみ気を失うほどの激痛が今、あなたを襲っているはずなんだから」
ハルカは言いながら、近くに倒れている兵士のジャケットを探ると拳銃を見つけ出す。自動拳銃であるそれのスライドを引きながら、すっかり床に伏しているアキツの前にしゃがみこんだ。
「失敗作は処分しないと。……そういえば、あなた自分をロボットだと言っていたそうね。いいことを教えてあげる。あなたはロボットなんかじゃない。一度死んでしまえば、それまで。二度と元には戻らない」
そして目だけはまだハルカから逸らさないアキツの額に、銃口を押し付ける。
「さようなら、ゼロ」
ハルカの細い指が引き金を引き、重い銃声が辺りに響いた。
◆◆◆◆◆
ハルカがその子供を初めて目にしたのは、もう十年近く前になる。
ハルカの研究の材料として運ばれてきた、数名の中にその少年はいた。
少年は真っ白だった。――いや、透明であった。
白でも黒でも注ぎ入れて満たすことのできる透明な器だった。
肉体も程よく成長しつつ、まだまだ発達段階の柔軟な身体をしていた。
彼が拾われたのは戦争被害の大きな地域だと記録にある。そこで五体満足に生き残っていただけでも奇跡だ。
他の子供より『素材』としては少し大きくなりすぎているように見えたが、戦争の影響からか世の中のことを、ほとんど知らないその少年はハルカの理想だった。
集められた他の子供の中には怯える様子を見せる者もいたが、その少年は落ち着いていた。
その子は絶望を知らなかった。なぜなら希望を知らないから。月もでない闇夜ばかりの空の下では、己の影すら知ることができない様に。
どんなに貧しくとも、常に死と背中合わせでも、少年にとって世界とはそういう物でしかなかったのだろう。
それが『普通』の世の中で、少年も『普通』に過ごしていたにすぎない。
もっとも、もう少し成長していれば、その『普通』に疑問を持ち始め、自分の知っている物とは違う幸福な世界のことをどこかで見聞きし、絶望を覚えていたかもしれないが。
大人の語る良き時代についての昔話や、美しい世界を描いた挿絵のある絵本など、この子には触れる機会すら与えられなかったのだろう。
この子は特別だ。
早速ハルカは少年に手術を施し始めた。
全てを終えても、そこにはただ一人の少年がいるだけにしか見えなかった。
後ろからそっと背中に触れても反応はないが、声を掛ければ音を認識して振り向く。肉体の感覚は確かになくなったようだが、研究は本当に成功したのだろうか。
成功したかを確かめる最も早い方法は、実際に痛みを与えてみることだ。
ハルカは少年に目隠しをすると手を取り、その指先に細い針の先をそっと押し当てた。
針はプツリと少年の指先の皮を破り肉を刺す。
針を持つ指に、その微かな感触が伝わって来て、ハルカは全身が粟立つような嫌悪を感じた。しかし少年の方は、針が自身の指を突いたその瞬間も身じろぎひとつしない。
更に針を押し込んでから目隠しを外すと、少年は目に入ってきた自分の指先に、目を丸くし何か言いたげに口を薄く開いたが、結局、何も言わずに口を結んだ。
ハルカは小さく震える手で少年の指から針を引き抜いた。一瞬見えた点のような傷は、プクリと丸く溢れ出てきた血液で見えなくなった。
指先で形を保てなくなった血が流れ落ちるのを、少年は小さく首を傾げながら眺めている。
少年が痛みを感じている様子はまったくない。
研究は成功したのだ。
次の日、ハルカは再び少年の手を取った。
今度は目隠しをしないまま、指先ではなく手の平へ針を押し当てる。
針の先端が自分の手に刺さる瞬間を目にすると、少年の体は視覚からくる反射で跳ねたが、特に抵抗することはなかった。その表情も大きくは変わらない。ハルカが何をしているのか、ただただ観察するように眺めている。
そう、恐怖を感じる必要などない。そこに痛みなどないのだから。それを覚えさせる。
ハルカは自分の心臓が鼓動を速めるのを感じた。少年の顔を確認しながら針を押し進める。まだ柔らかく小さな少年の薄い手は、もう少しで針が突き抜けてしまいそうだった。
「痛みはないのね」
実験を終え、念のため言葉で確認をすると、少年はハルカをじっと見て言った。
「お姉さんは、とても痛そうだね」
けして生意気な口調ではなかった。
それでも、ハルカはとっさに少年の頬をはたいていた。
少年の顔は乾いた音と共にハルカの手の動きに合わせ横に振られたが、痛みを感じない少年はその表情を変えはしなかった。
「余計な口は利かなくていいわ」
馬鹿げている。ハルカ自身はどこにも傷を負っていないのに「痛そうだ」など。
「もう一度、聞くわ。痛みはないのね」
改めて聞いたハルカに少年は、今度は短い返答のみを口にした。
「……ありません」
それから手術を何度か繰り返し、実験や訓練は更に過酷なものになっていった。
そうして、いつしかハルカの手はもう震えなくなっていた。
感覚を持たないロボットのような相手を前に、自分までもがロボットになったようだった。
仕事の結果を確かめ記録し、更に数値や精度を上げて行く機械のように。
彼らを前に、そうなれたことはハルカにとって幸いだった。
痛みなど必要ない。
この世から争いごとが無くならないのなら、せめて痛みだけでも無くしてしまえばいい。
痛いのは怖い。
痛いから怖い。
だからもう、怖がることなど何もない。
ねえ、そうでしょう?