Act・2
【Act・2】
西軍基地の奥の隔離塔にある小さな部屋。
“頭のイカレたおっさん”と同じ部屋に閉じ込められたクナイはというと、そのおっさんに両肩をがっしりと掴まれ固まっていた。
「君……ココを知ってるのかい?」
思いの他しっかりとした声に、戸惑いながらもクナイは少し安心する。
「やっぱり……あんたヒジリ博士なんだな?」
「ねえ、君、ココを――」
「ちょ、ちょっと、落ち着けよ」
必死になってぐいぐいと詰め寄って来るおっさんが、今度は別の意味で怖い。
「ココは、ココはどうしてるんだい?!」
「――落ち着けってのっ!!」
「ご、ごめんなさい!」
思わず立ち上がり怒鳴ったクナイに、おっさん――改め、ヒジリは体を縮こめて謝った。その様子はなんとなく、主人に叱られしっぽを丸める大型犬を思わせる。
クナイは息を吐いてヒジリを見下ろした。
「完全にイカレちまってる訳じゃなさそうだな」
「嫌だな……私はイカレてなんて……ただ、そういうフリをしていただけなんです」
丁寧な物言いでヒジリは言った。
姿勢を正し顔を上げれば、特に暗い印象はない。物腰は柔らかで、クナイの前で今なぜか正座をしているその姿も、弱々しく笑ってみせる顔からも人の良さのようなものが滲み出ている。悪い人間ではないのだろう。
「フリ?」
「こうしていれば、これ以上、西軍の手伝いをせずに済むので。……解放してはもらえませんでしたが」
「そうだよ、なんであんた、こんなとこにいるんだよ。手伝いって?」
「あ、私は機械技師なんです」
「知ってる。“魔法の手を持つ機械技師”」
クナイの言葉にヒジリはキョトンとして首を傾げた。
「なんですか? それ」
「……さあ……なんだろな」
あまりにも無垢に尋ねられて、クナイは無愛想に言い返した。
どうやらこの男は、自分の価値をよく分かっていないらしい。
ヒジリの腕前を知らないクナイにも、目の前にいる男がそんなに凄い博士だとは思えなかった。むしろどちらかというと鈍臭くて頼りなく見える。
しかし、この男のようになりたいのだと夢を語り、この男の言葉に自分の手で故郷を立て直そうと決意した若い機械技師を知っている。ハルヒが言っていたヒジリは、本当にこのヒジリなのだろうか。
「どうしてこんなことになったのか。私は……ただ、物を作りたかっただけなのに」
「子供みたいなこと言ってんなよ」
「ええ。私はいつまでもこんなんで。それでも私なりに娘を守りたかった。父親として」
「ココを守る?」
「私がここに連れて来られたのはもう三年ほど前になります……」
◆◆◆◆◆
その日も遅くまで仕事をしていたヒジリは、今作っている機械の材料となるものが足りなくなってきたことに気がついた。
店の隅にある階段を上がり二階を覗くと、ひと目で見渡せる住まいの寝床では、ココがぐっすりと眠っている。いつ見ても幸せそうな寝顔に小さくヒジリは微笑み、再び下へと降りる。店先の机では帳簿をつけていたシンがそのまま机につっぷして寝ていた。ヒジリはそっとその背に上着を掛ける。
ある日、店へとやって来て弟子にしてくれと突然土下座を始めた男。それがシンだった。
ヒジリは驚き、そして困り果てた。弟子なんて言われても、どう接したらいいのか分からない。ただでさえ人付き合いは苦手なのに。
なんとか断ろうとするヒジリに、何でもするからと言って毎日やって来るシン。それなら一緒に働かないかという妥協案を示すと、シンは強面の顔を輝かせ頷いた。
実際、シンはよく働いた。特に物の価値については詳しくて、ヒジリが仕事を持ってきた客の言い値で頷いたその横で、「それはおかしいだろ」とチンピラのごとく間に入ってくることもあった。
いっそ『歯車』の店長になってくれないかと言ってみると「冗談言わないでください」と怒られたが。
冗談などではなくただ物を作ることしかできない自分より、よっぽどシンの方が優れた人間だとヒジリは思う。
逆に冗談で、自分に何かあったときには店を宜しく頼んだよと言ってみると、「そのときは命に代えても店の看板だけは守ります!」と熱く返されてしまったが……。
ココとも上手くやっていてくれていて、その点でも非常に助かっていた。いや、そこが一番助かっていたと言うべきかもしれない。
店の入り口を出るとヒジリは警備のボタンを押した。
これもシンに言われて取り付けたものだ。警備といっても不審者の侵入があれば、ご近所に大音量の音楽が流れ、煌々(こうこう)とライトが点灯する……というだけの物なのだが。
一度、幼いココがいたずらをして作動させてしまったときは、ご近所様へ謝って回ったものだ。皆笑って許してくれたものの、やはりせめて音の大きさだけは、今度シンには内緒でもう少し小さめに調整しておこうと思っている。
街はすっかり寝静まっていた。
上を見上げても、鉄骨が入り組んだ隙間の奥にある夜空は小さく、星を確認するのは難しい。
ヒジリは工具入れとライトを手に街外れの鉄屑置き場へと向かった。そこは資源として分類された鉄屑の、さらに屑が残されているところなのだが、ヒジリの目にはそれでもまだまだ使えると思える物ばかりだった。
今夜のうちに材料を持ち帰れれば、明日は朝からまた作業ができる。
ガラクタを探りながら目当ての部品を見つけ工具入れを開いたヒジリは、中に入っていた蝶々を模した玩具に小さく息を吐く。
以前、ココに壊され、直そうと思って入れておいたものだ。
『てふてふ一号』。
つけた名前は意外と気に入っている。
以前、雨が降った日に雨漏りをした我が家の屋根を直していたときのことだ。
まだ若かった自分が作った、ある砂漠の街の水処理施設のことを思い出した。もうずいぶんの年月が経ったがどうなっただろうか。
気になって店をシンに任せて出掛けて見れば、それは不器用な仕事なりにも整備維持され、ちゃんと稼動していた。もっとも、あと二・三年すれば、もう一度施設を改めて見直す必要があるだろう。
自分の作った物がまだ生きている音が心地良く、水処理施設の中にしばらくいると、一人の少年がやって来た。
最初は不審者を見るような目で見られたが、自分がこの施設を作ったのだということを話すと、とたんにその目を輝かせた。
この街で自分も機械技師として働いているのだという少年に、この街の水と電力を作る施設の説明と整備のポイントを話すと、とても素直な思考回路で柔軟にヒジリの説明を飲み込んだ。きっといい技師になるだろう。
その少年に『てふてふ一号』と同じ型の玩具をプレゼントすると、宝物にすると大喜びしてくれた。
二号目のそれは一号を改良してさらに軽くし、装飾的で綺麗と言える出来になっていたが、おそらくココはそれでも喜んではくれなかっただろうとなぜか思う。
難しい。娘が楽しそうに笑う顔を最後に見たのはいつだっただろう。
「ヒジリ君はホントに不器用ね」
皆に器用だとばかり言われる自分に、そう言って笑う唯一の人だった妻。
不思議な女性だった。そこにいるだけで何となく、こちらも笑顔になってしまうような、そんな人だった。
ココも母親がそばにいたときは、よく笑っていたと思う。
「私はやっぱり君みたいにはできないよ……」
ヒジリが呟いたときだ。ガラリと後ろで鉄屑が崩れる音がした。見れば人影が三人分、鉄屑の山の上にあった。同業者だろうか。
「……こんばんは」
おずおずと声を掛けると、「こんばんは」低い男の声でそう返ってくる。そして別の一人が聞いてくる。
「この辺りは機械技師が多いんですか」
「え、ああ、そうですね……あ、でもここの鉄屑は使えない物の方が多いので、ここにはあまり来ないかもしれませんが」
「そうですか。あなたも機械技師のようですが」
「はい」
「なら、ヒジリ博士という機械技師をご存知ですか」
「ええ、ヒジリは私ですが……」
言ったとたん、ヒジリは眩しいライトの光に照らされ目元を手で覆いながらそちらを見る。三人は何かを話し合っているようだったが、やがてこちらへと近づいてきた。
「はは、まさかこんなところにいるとは、ヒジリ博士」
「はあ……」
「逆に危険を冒して上層部の街をあちこち探し回ってしまいましたよ」
「私を……ですか?」
困惑するヒジリの周囲を三人は囲むようにして立つ。さすがのヒジリも身の危険を感じ始めていた。
「一緒に来ていただきますヒジリ博士」
「どこにですか?」
「西です」
「西?!」
驚くヒジリの両手を後ろにいた一人が背中で一つにまとめて捻り上げる。自分をライトで照らす男の顔はヒジリからは見えない。
「無駄な抵抗はやめてください。あなたは貴重な人材だ。その大事な手を折るような真似はしたくない」
「私を西へ連れて行ってどうするつもりです」
「何も難しいことはない。あなたには機械技師として物を作ってもらう。ただそれだけですよ。物を作るのはあなたの仕事でしょう?」
「でも――」
言い返そうとすると捻られている手がさらに強く捻られて、ヒジリは呻いた。
「博士、博士にも家族がいますよね」
「妻は……もうずいぶん前に亡くしました」
「でも子供はいる」
「……」
黙ってしまったことは肯定と同じことだと分かっていても、とっさに機転の利く嘘など口から出ては来なかった。
「子供を危険な目には遭わせたくないでしょう?」
ヒジリは一瞬、街の方にチラと視線をやった。警備の音とライトは発動すればここからでも確認できるほどのものだ。今、この者たちはココの居場所を把握しているわけではない。
しかしここでヒジリが抵抗するようならば、ココを見つけ出してヒジリを動かす材料にするだろう。
「……分かりました。なら急いだ方がいい」
変な注文をつけたヒジリに男の影が首を傾げるのが見え、ヒジリは付け加えた。
「あなた方がどうやって東へ来たかは分かりませんが、夜が明ければ動きづらくなると思います。この街の人たちは私の顔を知っている人も多いですし、私はあなた方と違ってスパイみたいには動けませんから……」
精一杯のおしゃべりだった。早くこの男たちをココのいるこの街から遠ざけたかった。
「なるほど。では早速、参りましょうか。ヒジリ博士」
◆◆◆◆◆
「――そして私は西に連れて来られ、あるものを作る協力をしたんだ」
ヒジリの口調に嫌なものを感じ、黙って聞いていたクナイはこくりと小さく唾を飲んだ。
「あるものって……」
「東軍を攻撃するための……ロボット兵器です」
「なんだって?!」
「私はやはり、頭がおかしくなってしまったのかもしれない」
「何……何やってんだよ!」
「全てを捨ててでも、何かを守りたいと思う気持ちが君には分かるかな」
「それは……分かるよ」
クナイには弟である自分を守るため、自らの命を捨てた姉がいた。
自分だって姉の命と引き換えならば、国などという自分にはよく分からない存在は、壊れたって構わないと思うだろう。
姉がそばにいてくれたなら、それだけで、どんな世界の片隅だろうと自分は生きていけたはずだから。
「分かる……けど、なんであんたがそんなもの作っちゃうんだよ! あんたは……あんたの夢は人間の友達になるようなロボットを作る事じゃなかったのかよ。ココだって、そのためにこんなとこまで来たってのに!」
そんなことはしてはいけない。それは結局、誰のためにもなりはしない。
「今……なんて?」
「え?」
「今、こんなとこまで来たって言ったけど。ココが来てるのかい?! まさか、ココも西軍に捕まったんじゃ……」
「いや、違う。でも、すぐそこの東側の街にまだいるはずだけど」
「そんな……」
ヒジリの元々そんなに良いとは言えない顔色が、青ざめさらに悪くなる。
「なんだよ」
「もう準備は整っているんです。私がこうなって西は別の機械技師を連れてきた。ロボット兵器は彼の手で完成されています。西はもうすぐ、東のあの街へ攻撃を開始するはず」
「嘘だろ……」
ヒジリの言う別の機械技師にはクナイにも心当たりがある。おそらくあのアカガネのことだ。あいつなら作りかねない。
「西はまず軍の設備があるあの街を潰してから、その後、東の国全体をのっとるつもりなんです。こうしちゃいられない……」
ヒジリは立ち上がると、部屋にあった小さな机の引き出しを漁り始めた。
「何してんだよ博士」
「ここから出るんです。何とかしないと。あれが……動き出す前に」
そう言って振り向いたヒジリ。その手には使い込まれた小さなネジ回しが握られていた。