Act・8
【Act・8】
「それじゃあ、サトリさん、お邪魔しました」
次の日、借りた部屋の片付けを終えると、ココは深々とお辞儀してサトリの家を出た。
「いえ、気をつけて」
「色々ありがとうございました!」
妙にハキハキとした口調で言うと、さっさと歩き出すココの後に、クナイは追いかけるように続く。
「なあ、おい、なあってばココ。本当にアキツ置いてきちまっていいのかよ」
まだアキツがいるサトリの家を振り返りながら聞くが、ココの足は止まらない。
「いいのいいの。それで“ココロ”が見つかるなら。それより私はトモダチロボットの作り方、クナイもロボット探し頑張らないと。ね!」
「……はいはい」
どこをどう聞いてもやせ我慢だ。このヘタクソ。
クナイが心の中で悪態をついている隣に、タイラは呑気に並ぶ。
「先は長そうですね」
「そういや、お前はなんでまだ一緒にいるんだよ」
「ひどいなぁ、ちびっ子は」
「ちびじゃねえ!」
◆◆◆◆◆
ヒヨリは物音に目を覚ますと、ベッドから起き上がった。
外しておいたベッド脇にある作り物の足を、何もない膝下に取り付ける。見た目には自分の足が再び戻ってきたように錯覚するが、どうしても感覚の届かないそこに、苛立つ気持ちは押さえられない。
宙に浮かんでいるような頼りない感覚で、足を床に付けて立ち上がり、倒れこむように車椅子に移る。
ほんの二、三メートルの距離が、今のヒヨリには遠かった。こんなことが難しくなるなんて、あの日までのヒヨリには考えもしなかったことだ。
何度、後悔しただろう。
何度、もしもと考えただろう。
あの日の夜、ヒヨリはいつものように踊った際、右足首を少し捻った。
らしくない失敗だった。
今夜からはもうサトリが来ないということで、どこか気分が落ちていたのが原因だろう。
店主が気遣って片付けはいいからと、早く帰れることになった。
店から出ると、軽いヒヨリの体を吹き飛ばしてしまうのではないかと思うような、強い風が吹き荒れていた。
明日には止むだろうか。明日はせっかくのサトリの旅立ちの日なのに。
そんなことを思いながら、足が痛むヒヨリは、いつもと違う近道を通って帰ることにした。いつもは少しでもサトリと長く話そうと、遠回りをして帰るのだ。
でも今日からサトリはいない。
少し古くなった建物が並ぶそこは、建て替えの最中の物もあるようで、工事の囲いの布がバタバタと風に煽られていた。キイキイとそこから金属の軋む音がして、ヒヨリは少し怖くなる。
早く通ってしまおう。
痛む足を速めてその道を通り過ぎようとしたときだ。
いっそう激しくなった風の音に混じり、頭上からしたガチャンという音に顔を上げる。工事をしているのとは逆側にある建物。その壁に掲げられていた看板が、外れて落ちてくるのが見えた。
大きい。
壁に掛けられていたときには、そんなこと思ったことなどないそれが、目の前に迫ってくる大きさに身がすくむ。
しかしヒヨリの体はとっさに反応し看板を避けようと動いた。ヒヨリの反射神経は良い。だが、捻った足首の痛みが邪魔をした。体の反応について来られなかった右足が取り残され、ヒヨリは地面に倒れる。その足の上へ看板が落ちてくるのを避ける術は、もうヒヨリにはなかった。
――気がついたときには手術は終わっていた。
そしてヒヨリは自分の足では二度と、舞台の床の感触を感じることができないことを知った。
声を上げて叫ぶように泣いた。
麻酔を打たれ痛みを押さえられている傷口よりも、心が痛くて仕方ない。足だけでなく胸までもが、あの時に潰されてしまったかのように痛かった。
事故だった。
誰も責めることなどできはしない。
もしも、足を捻っていなければ。
もしも、早く店を出ていなければ。
もしも、近道をしていなければ、
風があんなに強く吹いていなければ――。
考えても仕方のないことばかりだった。
夜が明けて思ったことは、サトリがいなくて良かったということ。
こんな姿は見られたくない。サトリは自分の踊る姿を本当に気に入ってくれていた。
何年かかるか分からない。でもきっといつか……きっとサトリが戻ってくる頃までには、また笑って出迎えられるようになる。
なってみせるきっと。
きっと……
しかし、サトリはヒヨリの元に現れた。現れてしまった。
そして言った。「ごめん」と。
あれは事故だった。
考えても仕方のないことだ。
ましてやサトリのせいなんかになるわけがない。
でもサトリがあの場に来てしまったのはヒヨリのせいだ。
ドアがノックされる音にヒヨリはハッとした。
「はい」
返事をすると開いたドアの向こうに、アキツが一人立っている。
「アキツ。他の人たちは?」
「もう出た」
「それじゃあ……」
アキツは部屋に入りヒヨリのそばにやって来た。
「話がある。だから残った」
「話?」
「俺にここに残らないかという話だ。ヒヨリは俺の苦しみが分かると言ったが、ココは俺との旅を楽しいと言った。俺には“ココロ”がないからよく分からないが、自分の存在が誰かを苦しめるものであるよりは、楽しませるものであるほうがいいと……そう考えるのはおかしいだろうか」
苦しみよりも楽しみを。
自分自身は相手に対し、何かを感じる“ココロ”を持っていなくとも、そんな自分に相手が何かを感じるのなら。
「私、そういう意味で言ったんじゃ……」
ヒヨリが苦しみを分かると言ったのは、アキツがいることで自分が苦しむという意味ではない。
「でも、そう……。アキツ、その考えは間違ってなんかないわ。私も……そう思う」
「すまない」
「さよならね、アキツ」
「ああ、さよならだ」
簡単な謝罪と別れの言葉を言うと、アキツは部屋を出た。ドアのすぐ向こうにはサトリがいて、ヒヨリの部屋から出てきたアキツに気まずそうに目を逸らす。
「世話になった」
「あ……いや」
アキツが出て行くと、サトリはヒヨリの部屋を覗いた。
「サトリ」
「ごめん、聞くつもりは……」
申し訳なさそうな顔をするサトリに、この人が本当に笑った顔を最後に見たのはいつだっただろうかと、ヒヨリは考えた。この人が笑っていたのは、いったいどんな時だっただろう。そんなことすら最近は、もう分からなくなってしまった。
「サトリ、サトリにとって私は、サトリを苦しめる存在になっていない?」
「そんな、そんなわけないだろ?!」
「そう……良かった」
声を荒げたサトリにヒヨリは穏やかに返すと、車椅子を掴む手に力を込めて立ち上がった。
「ヒヨリ!」
よろけるヒヨリに駆け寄ろうとするサトリを、ヒヨリは手の平を前に出し静止する。足を止めたサトリの不安そうな顔を見ながら、ヒヨリはサトリへと一歩一歩近づいて行った。
そうだ。この人の笑った顔を知っているのも、怒った声を知っているのも、何かあったときすぐに駆け出そうとする性格を知っているのも、全て自分がこの人の前にいたからだ。
サトリの目の前、残り一歩を上手く踏み出せずバランスを崩したヒヨリの体を、すぐにサトリの腕が支える。
ヒヨリはサトリの腕につかまり俯いた。
「……忘れていたの。サトリが嬉しいと私も嬉しくて、サトリが悲しいと私も悲しかった」
「俺も……だよ」
「本当はアキツがここに残ってくれるなら、サトリには私のそばにいなくても、もう平気だからって言うつもりだったんだけど」
「そんな」
「だけど……フラれちゃった」
サトリはヒヨリの両手を取ると、うつむいている顔を覗き込む。
「あの…………ヒヨリ」
「何?」
「その、俺が、これからもずっと、そばにいても……いいですか?」
「……ええ。ただし」
「?」
「私がおばあちゃんになってもずっとよ?」
そう言ってヒヨリは顔を上げ、悪戯っぽく微笑んだ。久しぶりに見たヒヨリの笑顔にサトリの方は、今にも泣きそうに顔を歪める。
「了解いたしました」
ヒヨリは思い出した。自分が笑うのも、目の前のこの人がいるからだった。
自分もサトリの笑顔がまた見たい。だから――
情けない顔で、それでもしっかりと敬礼しているサトリに、もう一度ヒヨリは笑った。
◆◆◆◆◆
「んー、やっぱりなんというか、一人減ると寂しいですね」
アキツがいないことを気にしないようにしている風を装うことで、なんとなく会話もしづらく、極めて静かに街を出たココたち。まず口を開いたのはタイラだった。そんなタイラにクナイがぼそりと返す。
「俺、お前減っても寂しくない……」
「クナイのツッコミにもキレがないですし」
「関係ねえだろ!」
「あれ、アキツ?」
タイラが後ろの方に視線をやりながら、わざとらしく口にする名前にクナイはタイラを睨む。
「いい加減にしろよ?」
「いや、ほら、本当にアキツが来ましたよ?」
「え?」
指差すタイラにクナイもそちらを振り返った。するとタイラの言う通り、アキツがこちらへと駆けて来るのが見えて唖然とする。
「アキツ……」
「良かった。すぐに追いついて」
「良かったじゃねぇよ! 何なんだお前は。あそこに残るんじゃないのかよ?」
「俺は一言もそんなことは言っていないはずだが」
「てめぇ……」
拳を握るクナイだったが、ココは心配そうにアキツを伺った。
「アキツ、どうしたの? ヒヨリさんは? “ココロ”はどうするの?」
「ココ」
「ん?」
「俺の“ココロ”はココが作ってくれるんじゃないのか?」
「え?」
「約束、だろう?」
「アキツ……」
ココの顔が見る間に明るくなり、その口に笑みが浮かぶ。
「うんっ、そうだね。よし、行こうアキツ。しゅっぱーつ!」
ココはアキツの後ろに回ると、その背をぐいぐいと押して歩き出した。タイラはその様子にやれやれというように肩を竦めて、またクナイに向かってチラと視線を送る。
「またみんな一緒。良かったですね、クナイ」
「俺には関係ないって言ってるだろ?」
「素直じゃないですねぇ、ちびっ子は」
「ちびって言うな! ほら、行くなら早くしようぜ」
「……本当に素直じゃないですね」
先を行くココがタイラに手を振った。
「置いてくよータイラ」
「今、行きますよー」
ココの機嫌の良さに苦笑しながら、タイラは三人の後ろに続いた。
ROBOT HEART・7
- ソンザイ - 終了