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ROBOT HEART・ロボットハート  作者: 猫乃 鈴
七話・ソンザイ
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Act・6

【Act・6】


「おい! サトリ! お前、軍の特殊部隊へ入るって本当か?!」


 帰り支度を終えたサトリは、いつも一緒に警備を担当している男に突然、両肩を鷲掴まれ、一瞬返す言葉を失った。


「え。あ……はい」

「そうかぁ。まあ、お前優秀だもんなぁ……」

「そんなことは……」

「ま、頑張れよ。体には気をつけろよな」


 見た目も性格も体育会系丸出しの男は、掴んでいた肩を今度はバンバンと叩いた。

 何事も結構、勢いと体力とで押し切るタイプのこの男を、最初は苦手としていたサトリだったが、共に働くうちに男が裏表のない気のいい人間だということが分かった。


「――っと、じゃあお前、ヒヨリちゃんはどうすんだ」

「え?」

「知ってるぞ? お前がいつもヒヨリちゃん店に送り迎えしてるの。この野郎、大人しい顔して抜け駆けしやがって!」


 今度は首を腕で羽交い絞めされ、息苦しさに顔を歪めながらもサトリは笑った。


「ええ、ちゃんと話すつもりです」



◆◆◆◆◆



 サトリがヒヨリと出会ったのは一年ほど前のことだ。


 酒も煙草も博打もやらないサトリは、その日も自分の仕事を終えると真っ直ぐに家へと帰ろうとしていた。それを引き止め、街に一軒しかない呑み屋に誘ったのも、やはり一緒に仕事をしているこの男だった。


「たまには一杯ぐらい付き合え」

「いえ、俺、呑めませんし」

「あそこは飯も美味いんだぞ。奢ってやるから」

「今夜の食事はもう用意してあるんで」

「それに踊り子のヒヨリちゃんは超べっぴんさんだ!」

「踊り子……ですか?」


 眉をひそめたサトリだったが、男はそれでもいつも飄々ひょうひょうと自分の言葉をかわすだけのサトリが見せた反応に笑みを浮かべた。


「そう、お前まだヒヨリちゃんの踊り、見たことねぇだろうが」

「……いいです。俺、そういうのは」

「あ、お前、今やらしい想像しただろ。言っておくけどな、ヒヨリちゃんの踊りはそういうんじゃないからな。このスケベ」

「な、俺は別にっ」

「ほら行くぞ、スケベ野郎」

「ちょ、いいですってば!」


 サトリは首根っこを掴まれ、力技で男に店に引きずられて行った。

 街の中心からは少し外れたところに、意外と大きな店構えで建っているそこは、夜中だというのに活気に溢れていた。橙色の灯りと客の笑い声が店の外にまで漏れてくる。男ばかりかと思ったが、女の客も意外といる。

 男はサトリが逃げられないよう肩を組み、慣れたように人ごみを掻き分け店の奥へと入って行った。男は常連らしく、顔なじみらしい人物が男を見かけると声を掛ける。ようやく一つ空いたテーブルに着くと、男が勝手に注文を済ませた。

 マスタードが添えられた厚切りベーコンのガーリックソテー、カリカリのバケットに鶏白レバーのパテ。スパイシーな香りが食欲を誘う豆とトマトの煮込み、チーズの盛り合わせなどが、次々と運ばれてくる。

 酒との相性が良さそうな食事ではあるが、酒を呑まないサトリにも、確かに美味いと言わせる味だった。食事に自然と伸びるサトリの手に、男が満足そうにジョッキを傾けたそのときだ。

 突然、店の灯りが落ちた。

 一瞬静まった店内は、次に期待と熱の篭った歓声と拍手に包まれ、サトリはその雰囲気に呑まれそうになる。次の瞬間、暗かった店の一所、舞台のようになっているところを灯りが照らし出すと、騒がしかった店内が急に静まり返った。


 一人の女性が舞台の上に立っている。


 あれが踊り子のヒヨリなのだろう。身にまとっているのはどこかの民族衣装だろうか。ふんわりとした袖やスカートは独特のシルエットをしている。しかし肩や背中、腰周りは大胆に露出しており、サトリはじっとその踊り子を見ることに気が引けた。

 しかし、ジャン! と勢いよく弾かれたギターの音色に合わせ、踊りだしたヒヨリから目が離せなくなった。

 しなやかで軽やか。それでいて力強く、緩やかかと思えば激しく。ヒヨリの細い四肢が動くたび、その手首、足首に重ねてつけた金の輪が、シャラと音を立て光る。栗色の長い髪がひるがえる。


 目を奪われる。

 意識のすべてを持っていかれる。

 自分は椅子に座っているだけなのに、心臓の鼓動が速まっていく。


 最後、華奢に見えるヒヨリの素足が一つ、強く床を叩く音を響かせたのと同時に、演奏がピタと止まった。

 うつむいていたヒヨリは小さく肩を上下させながら、やや赤く上気した顔を静かに前に向ける。恐いくらいに真剣な顔つきをしていたヒヨリがフッと表情を緩めると、店内から再びワッと大きな歓声が上がった。

 サトリも無意識に椅子から立ち、気づけば懸命に両手を打ち鳴らしていた。




◆◆◆◆◆



 ヒヨリはいつものように店の片付けを終え、店主に挨拶をすると裏口から出た。ヒヨリは店で踊っているだけではない。客の注文を取ったり洗い物をしたり、ゴミを出すのもヒヨリの仕事だ。

 今も、もちろん踊りを舞っているときとは違い、ごく普通のゆったりとしたチュニックにカーゴパンツというラフな格好で、長い髪もひとつにまとめている。

 そのヒヨリの肩に、突然寄りかかってきた者があった。


「おー。我らが舞姫様じゃないか。今日も綺麗だったぜ!」

「なぁ、今度は俺のためだけに踊ってくれよ~」


 酒の匂いをぷんぷんさせた二人の中年男だ。


「ちょっと……」


 ヒヨリが男たちの手を振りほどこうとしたときだ、急に重たかった肩が軽くなり、次に男たちのうめき声が聞こえてきた。

 振り向いて見てみると、地面に二人が倒れ、打ち付けたらしい腰や背中をさすっている。

 それともう一人、ヒヨリの知らない若い男が立っていた。


「お前たち何してるんだ!」


 若い男はそう二人に怒鳴ると、心配するようにヒヨリを見た。


「あの、大丈夫ですか」


 ヒヨリを気遣う言葉を掛ける若い男だったが、ヒヨリはというと若い男を無視して酔っ払い二人の元へと行き、その腕を取る。


「もう、ほらしゃんとして」

「いてぇ。いてぇよおぉ」

「自業自得。ちょっと呑みすぎでしょ」

「ヒヨリちゃーん」

「はいはい。ちゃんと立って」


 ぽかんとする若い男の前で、酔っ払いの汚れた背中をはたいてやったりしている。 


「家までちゃんと帰れる? 途中でそのまま寝たりしないでよね」

「あー。大丈夫だよぉ」

「じゃ、おやすみなさい」

「おやすみぃ、ヒヨリちゃん」


 ひらひらと手を振りながら、互いを支えるようにおぼつかない足取りで去って行く二人を見送ると、やっとヒヨリは若い男の方を見た。


「一応、お礼は言うわ。ありがとう」

「……一応って」

「あの人たち、うちのお店の常連さん。これぐらいはいつもあることだし、いつもあれ以上のことはしてこないから。素面に戻ればちゃんと謝ってもくれるし。だから、あんな風に助けてくれなくても平気だったってことよ。王子様」


 若い男はヒヨリの言い方に、少し気を悪くしたように眉間に皺を寄せる。


「それは乱暴して悪かったけど……」

「むしろ、こんな時間まで酔ってもいない見知らぬあなたが、店の裏にいることの方が私には怪しく思えるんだけど?」


 見た目の可憐さからは、ちょっと想像しにくい強い口調でヒヨリが言うと、若い男は動揺したように後ずさった。


「い、いや、俺は別に。その、君を待っていただけで」

「……私を?」


 ヒヨリの声色に不信感が増す。


「ち、違うんだ。その、変な意味じゃなくて。今日、君の踊りを初めて見たんだけど、あの、すごく良かったと思って……」

「それで?」

「えっと……あ、あの踊りはなんていうのかとか、いつからやってるのかとか……聞きたいかなって……」

「……」

「……いや、確かに不審者だね……ごめんなさい」


 男のその言葉にヒヨリは思わず吹き出した。笑ったヒヨリに男の見るからに真面目そうな顔が赤くなる。


「この街にいて、私の踊りを見たのが今日初めて?」

「あ、俺、酒は呑まないし、その、こういうものだと知らなかったんで」

「まあ私も、帰りに声をかけてくる酔っ払いにはよく会うけど、踊りについて知りたいなんて男の人に会ったのは初めてかしら」

「え、そうなんですか?」

「ええ。お兄さん、お名前は」

「えっと、サトリといいます」

「そう、私はヒヨリ。どうぞまた店に来てくださいね」

「はい。絶対にまた見に来ます」


 真剣に答えたサトリに、またヒヨリはくすくすと笑った。こうして笑っている姿は、舞台上の凛とした姿と違い、少し幼い印象だ。

 ヒヨリは笑いながら行こうとして、少ししたところでその場に突っ立ったままのサトリを振り向いた。


「夜道は危ないから――とか言い出すかと思ったんですけど。王子様?」


 ヒヨリの言葉にきょとんとしたサトリだったが、すぐに意味を理解した。


「あ、よ、良ければ送ります、よ」


 そうして、二人は店や店の外でも会うようになり、ヒヨリの踊りのことなどを話すうち、だんだんと打ち解けていった。二人が互いにとって特別な存在になるのに、それほど時間は掛からなかった。

 ヒヨリの仕事が終わるのをサトリが待ち、店からヒヨリの家まで送るのも日課になった。

 元々の人柄の良さから、サトリは店の人間や客とも親しくなり、二人の仲もいつしか周囲の公認となっていた。




◆◆◆◆◆



「サトリ、ごめんなさい。待たせちゃって」


 いつものように店を出てきたヒヨリを、サトリは少し緊張した顔で迎えた。


「ううん。いいんだ。今日はその、ヒヨリに話があって」

「話?」

「うん。あの、俺……えっと、俺……」


 何て言ったら良いだろうか。

 部隊に入れることは自分にとって名誉なことだと思う。でもヒヨリにとってはどうだろうか。何より、部隊に入ればそう簡単にヒヨリとも顔を合わせられなくなる。それを知ったらヒヨリはどうするだろう。

 サトリがなかなか話を切り出せないでいると、いつも帰りにそうするように、ヒヨリはサトリの腕に腕を絡ませて歩き出した。

 そして言う。


「おめでとう」

「え……」

「知ってる。うちのお客さん、あなたのお仲間ばっかりよ?」


 それを聞いてサトリは拍子抜けする。


「そ、そっか」

「ええ、おめでとう」

「それで、その、明日からしばらくこっちには来られなくなると思うんだけど……」


 本当は『しばらく』なんてものではないのだけれど。


「そうね。新しく送り迎えしてくれる人を探さなきゃ」

「ヒヨリ」


 思わず情けない顔になるサトリに、ヒヨリは笑う。


「冗談よ。でも、私行かないでなんて言わないわ。凄いことなんでしょ? サトリは頑張ってたもの。だから……いってらっしゃい」

「うん、行ってくる」

「あ、ただし」

「な、何?」

「私がおばあちゃんになるまでには帰ってきてほしいかな」

「ヒヨリ……」


 ヒヨリはちゃんとサトリがなかなか帰ってこられないことも分かっていた。しかし待っているなんて言葉は言わない。それでもサトリの帰りを望んでくれている。

 サトリはヒヨリの笑顔に向き合うと、背筋を正し敬礼した。


「了解いたしました」


 それを見て、またヒヨリは笑った。


 


◆◆◆◆◆



 基地へ向かう日になり、サトリはまとめた荷物を背負い家を出た。

 昨晩から風が嵐のように強く吹いていて、旅立ちの日としては少し不安を感じさせる陽気であった。

 部隊へと入る準備のため、昨日はヒヨリと会うことができなかった。もう一度会いたいと思ったがキリがない。互いを励ます言葉も、気遣う言葉も、もう何度も交わした。

 門が見えると、そこには軍のトラックが止まっていた。その幌の掛かった荷台部分に、すでに兵士が乗っているのが見える。サトリも乗り込む列に並んだ。今回入隊が認められたのは五人と聞いた。どうやらサトリが最後のようだ。


「次、乗れ」

「はい」

「しっかりやれよ」

「有り難うございます」


 迎えに来た兵士にボディチェックと激励の言葉を受け、皆乗り込んで行く。次がサトリの番というときだ。


「サトリ!! 大変だっ!」


 耳慣れた同僚の声にサトリはそちらを見た。ずいぶんと慌てた様子でこちらに駆けて来る。


「どうかしたんですか?」

「あ……お前、もう行くんだな……」


 いつも勢いだけで話す男が、珍しく迷ったように口篭った。様子がおかしい。


「何が大変なんです?」

「いや、その……」


 迎えの兵士が二人を睨んだ。 


「おい、早くしろ!」


 兵士に急かされ、男はサトリの肩を強く掴んだ。その手が僅かに震えている。 


「実はな、ヒヨリちゃんが――」

「ヒヨリ? ヒヨリがどうしたんです?!」

「ヒヨリちゃんが……昨日の夜、店から帰る途中事故にあって――」


 気づいたときにはサトリは走り出していた。

 荷物も放り出し、まっしぐらに病院へ向かって走った。駆け込んだ病院で看護師を捕まえヒヨリのことを聞きだす。その剣幕に病室を教えた看護師が、後ろから止める声も聞かず、サトリは病室のドアを開いた。


「ヒヨリ!!」

「…………サトリ?」


 病室の窓の方を見ていたヒヨリが、放心したようにサトリに顔を向けた。その目は酷く泣いたせいか、赤く腫れている。

 そしてサトリは、少し視線を落とし目に入ってきたベッドに顔を歪めた。

 寝ているヒヨリの体に掛けられた布団の不自然さ。体に沿ってある膨らみが、本来あるべきところまでないのが分かる。

 

「ヒヨリ……」


 サトリがヒヨリの顔に視線を戻すと、ヒヨリはようやくサトリのことを認識したように目を見開いた。ヒヨリの顔が青ざめる。

 

「サトリ、なんでここに? だって……今日は――」

「ごめんヒヨリ。ごめん、俺がついていれば……」


 サトリが一歩、ヒヨリに近寄ったときだ。


「……来ないで」


 ヒヨリが上半身を起こし搾り出すような声で言った。


「ヒヨリ?」

「来ないで!!」

「ヒヨリ」

「来ないでったら!」


 枕を投げつけられたサトリが、それ以上そばへと寄るのをやめると、ヒヨリはベッドに突っ伏した。


「こっちに来ないで……」




◆◆◆◆◆



「ヒヨリは……いい子なんです」


 呟くように言ったサトリにクナイは聞いた。 

 

「特殊部隊の話は?」

「白紙に戻りました」


 あのような形で部隊への召集から抜け出てしまったサトリには、もう二度とチャンスはないだろう。

 またあの寂しそうな笑顔を見せると、サトリは出てきた部屋をココに勧めた。


「片付けたので、どうぞ」

「……有り難うございます」

「それじゃあ、ごゆっくり」


 小さく会釈してサトリが行ってしまうと、

 

「んー……たまらない話だね」

「タイラ」


 いつから聞いていたのか、すぐ後ろにいたタイラの声にクナイとココはぎょっとする。


「互いに自分のせいで相手をダメにしたと思っている関係ってのは、見ててもつらいなぁ」


 どんな事故だったかは分からないが、聞く限りヒヨリの足のことで、サトリに非がある部分はないはずだ。

 それでもサトリは、いつものように自分がヒヨリを送っていれば、ヒヨリが足を失くすことなどなかったのではないかと考えてしまうのだろう。

 そして、サトリはヒヨリのせいになどしないだろうが、ヒヨリのことがサトリの特殊部隊への入隊をダメにしてしまったのは事実だ。


「うん……」


 ココはタイラの言葉に頷いた。 


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