Act・6
【Act・6】
「見つけた」
「見つかった。遅ーい」
「……ごめん」
清掃用具の入ったロッカーの中に、トワはしゃがんでいた。モップやバケツの隙間から自分を見上げて笑ってくるトワに、クナイは笑って返してやることができない。
「……なあ、お前……」
「クナイ!」
「あ、お姉ちゃん」
後ろからしたココの声にクナイは口を閉じた。
自分は今、何を言おうとしたのだろう。「お前、本当はオバケ病なんだろ」などと、この小さな少女に言うつもりだったのか。
トワはオバケ病がタイラにも治せないことを知っている。それならば、そんなこと知らない方が――
結局、自分もそう思うのだ。タイラに偉そうなことを言ったくせに。
クナイは悔しさに両手を握り締めた。
トワはロッカーから這い出ると、ココの下に駆け寄る。
「お姉ちゃん、もう元気なの?」
「うん、もう元気だよ?」
「じゃあ……」
一緒に遊ぼう、とトワが言おうとしたときだ。
「トワ」
「タイラ先生」
タイラが少し離れたところから笑顔でトワを手招いていた。
「診察の時間ですよ?」
「はーい。お姉ちゃん、クナイ、またあとで遊んでね!」
「……ああ」
トワはクナイ達に手を振ると、タイラの方へと駆けて行った。
「……そんなに睨まないでくれませんかね? クナイ」
トワがそのまま診察室に向かってしまうと、タイラは笑顔を崩さないままにクナイに言った。
「先生ー! 早くー!」
もう姿の見えないトワの声が響いてきた。
「……早く行けよ、先生」
「はいはい」
クナイの皮肉めいた言葉に肩をすくめ、タイラはくるりと白衣をひるがえし、ゆっくりとした足取りで戻って行った。
◆◆◆◆◆
「先生、今日はトワとっても気分がいいの」
トワはタイラの手を取りながらスキップをした。トワの足が地面を跳ねる度、加減を知らない子供の、けして弱くはない力がタイラの手をぶんぶんと振り回す。
「そう、それは良かった」
「トワね、ほんとは病院って嫌いだったの」
「そう」
「だってね、病院はオバケがでるって聞いてたから」
スキップをやめてトワはタイラを脅かすように、両手をぶらぶらと前に垂らした。
オバケのつもりらしい。
その可愛いオバケに自然と笑みがこぼれるが、ここはあえて顔をしかめてみせる。
「先生もオバケは嫌いだなあ」
「でもね、タイラ先生のコトは大好き」
「有り難う。なんか照れますね」
「えへへ」
トワはじゃれるように、タイラの手に両手でしがみついた。
「ね、タイラ先生」
「なんですか?」
「トワね、もうオバケなんか怖くないよ?」
「……」
タイラは一瞬、返す言葉を忘れてトワを見た。
トワはいつものように、にぃと顔いっぱいの笑顔でタイラを見上げていた。
そうだ。何を勘違いしている。トワが言っているのは病気のことではない。
タイラはトワの頭をポンポンと撫でた。
「オバケがでたら、トワがやっつけてあげる!」
「それは頼もしいですね」
「先生知ってる? オバケはね、明るいのが嫌いなの」
「はは、じゃあ、今夜から明かりを点けたまま寝ようかな」
「先生……」
「はい?」
突然トワの足が止まった。
「お腹……」
「トワ?」
ずるずるとタイラの白衣の裾を掴み、そのままトワはしゃがみこむ。
「お腹、痛いよ、先生……」
そう震える声で呟くと、トワはタイラの白衣を手放し廊下にうずくまりながら倒れた。
「トワ!」
◆◆◆◆◆
ガラガラと音を立てて、看護師たちが廊下の向こうをストレッチャーを押しながら走って行くのを見てココはハッとした。
今、ストレッチャーの上に乗せられていたのは――
「クナイ、今のトワ!」
「え?」
ココはストレッチャーを追いかけた。
「タイラもいたな」
アキツが言って、クナイもトワに何が起きたのか察する。
「輸血の準備を。すぐに腫瘍摘出手術に入る」
タイラはトワの横に着きながら看護師に指示を出す。まだ手術室にも入っていないのに看護師の顔は暗い。
「はい……でも」
「何か?」
「いえ」
タイラが手術室に入る直前、ココはタイラに叫んだ。
「タイラ! トワはっ?!」
「……祈っていてください。もしかして、オバケにはその方が効くかもしれないですから」
振り向いたタイラのマスクをした口元に、あのどこか皮肉の混じった笑みが浮かんでいるかは分からない。
手術室の扉が閉められて、扉の上の手術中の赤いランプが点灯した。
トワには大きい手術台。そこに寝かされた小さな体にメスを当てる。麻酔の効いていて動かない体は、先ほどまで飛び跳ねていたものと、同じものとは少し信じがたい。
慣れた手つきでタイラのメスはその場所にたどり着く。
大きなライトに照らされた小さなトワの体の中。
「先生……」
何も言わないタイラに代わって看護師が口を開く。
「なんでなんだ……」
「先生、仕方がないです。このまま閉じましょう」
「このまま? まだ、何もしていない! ここに、ここにあるはずなんだ!」
トワがこの病気に掛かっているとはっきりと証明されたX線写真。トワの体の中に居座るそいつの存在を確かに確認したのに。
どうして。
「タイラ先生」
「どうしたら……」
「先生、このままではこの子の体力が」
最近ではタイラ自身、それの姿がないことを確認すると、すぐに開いた体を閉じていた。
いつもとは違う葛藤を見せ、感情的になるタイラに看護師たちの方が戸惑い、顔を見合わせる。
「どうしたら……」
まただ。
また繰り返すのか。
今回もこの先も。ずっとこんなことを続けろと。
シーツの端から出たトワの手が目に入る。ついさっきまで力強くタイラの手を握っていた手だ。
オバケが嫌いだと言っていたトワの声が頭をよぎった。でももう怖くはないと。
トワは本当に自分がオバケ病だということを知らなかったのだろうか。
先生知ってる?
オバケはね、明るいのが嫌いなの。
「………………明かりを……」
「はい?」
「……明かりを落としてくれませんか?」
タイラの意味の分からない要求に看護師たちは眉を寄せる。
「先生、何を」
「とうとうおかしくなったんじゃ……」
タイラは近くにいた一人の襟首を掴むと繰り返した。
「明かりを暗くしろと言っているんです」
「は、はい」
タイラの口調は丁寧だったが、どこか狂気めいたものを感じ、看護師は照明のスイッチの元へと駆け寄った。
明かりが落ちる。
手術台の上の照明も消され、手術室が一瞬、闇に包まれる。そしてすぐに弱く青白い室内灯が灯された。
暗さに慣れてきた目で再び手術台のトワへと目を戻した看護師たちは息を呑んだ。
「これは……」
トワの体の中、さっきまでは見えなかったその存在が姿を現していた。
どこか不安定な周囲とは違う赤い輪郭。
「まさか、こんなことで……」
目を見張る看護師に、タイラは無言でペンライトを点けるとそれを照らす。すると、その強い光が当たった場所が透けるように見えなくなった。
突然変異によるものか、病原体自身が身につけた自己防衛の力なのか。
「先生……これが……?」
「……メスを」
「え?」
「何をしているんです。早く」
「あ、は、はい!」
看護師たちは慌てて手術を再開するタイラのフォローを始めた。
手元は暗い。しかし相手の姿は見える。戦えないわけがない。
タイラは小さなトワの体の中に、図々しく貼りついているそいつを剥がしにかかった。
「先生、患者の心拍数が下がっています!」
「……どうした、トワ。オバケをやっつけるんじゃなかったんですか?」
そうだ。せっかく戦えるようになったんだ。負けるな。
「先生。出血が激しいです」
トワの命の鼓動を示す一本の線。規則正しい音と共に跳ね上がっていたそれが、どんどん弱く遅くなっていく。
「先生!」