Act・5
【Act・5】
「――で、何して遊ぶんだ?」
小さな手でぐいぐいと、どこかへ引っ張って行こうとするトワにクナイは聞いた。
「えっとね、かくれんぼ」
「このだだっ広い病院でかよ……」
タイラの言葉通り、ドームで全体を囲まれたこの街は一つの大きな建物のようだった。外が灼熱の砂漠だったことが信じられないくらいに涼しく、どこも真っ白で清潔だ。
煙と鉄錆でできたような工業街の最下層部で育ったクナイにとっては、綺麗すぎて少し落ち着かないくらいだが。
それにしてもなぜこんなところに、こんな街が作られたのだろう。
「クナイ、かくれんぼ苦手? そうだなあ……トワ隠れるの上手だから、クナイ見つけらんないかも」
「よーし、とっとと隠れろ。速攻で見つけてやる。いーち、にー……」
「キャー!」
トワは笑いながら駆け出した。
「……ったく」
クナイはゆっくりとトワを追って歩き出した。隠れるのが上手というだけのことはあり、トワの姿は廊下の角を曲がったところで見えなくなった。
代えのシーツが入ったカートの中、娯楽室の長椅子の下、備品の入っていた空き箱の中……。
すぐに見つかると思っていたのに、なかなかどうして――
「……やるじゃねぇか」
少し本気で探さなければならなそうだ。
クナイは今いるフロアを探し終え、下の階へと階段を下りた。すると下の踊り場で誰かが声を潜めて話をしているのが聞こえてきた。
上から覗き込むと二人の男女がいた。格好からして患者ではなく看護師の方だ。
「ねえ、206号室のオハラさん……」
「ああ、ダメだったらしい」
「あれでしょ、オバケ病」
「しっ、その呼び方はやめたほうがいい。また変な噂が広がる」
男の方の咎めるような声。
オバケ病。トワも確かそんなことを言っていた。
「タイラ先生も気の毒だわ」
クナイは一度止めた足を進めようとして、その名前にまた足を止めた。
「タイラ先生に担当が回されるのは仕方ないさ。あの人に無理なら他の人にも無理だよ」
◆◆◆◆◆
ココは医者に会いに行くと出て行ってしまったアキツを探し、前方に立ち止まっているその背を見つけホッとした。
追いついて何を見ているのかと、その視線の先に目を移す。そこには白衣を着た医者らしき男と、その医者に深々と腰を折るように頭を下げている女性がいた。
「有り難うございました」
「申し訳ありません。私の力不足で……」
「いいえ、タイラ先生のようなお医者様に看てもらえて……。本当に……有り難うございました……」
「ご冥福をお祈りしています」
「失礼……いたします」
医者と女性のやり取りが耳に入ってきて、あの女性の身に何が起きたのかココにも分かり、思わずそちらから視線を逸らす。
アキツは追いかけてきたココに気づくと言った。
「あれがタイラだ」
「アキツ、出直した方がいいみたい」
ココにも覚えがある。
もうずいぶん前のことだが、母との別れのときに父が同じような声で、同じようなことを言いながら、白衣を着た人に頭を下げていた。
あの人も大事な人との別れがあったのだろう。
アキツのコートの裾を引っ張り行こうとすると、医者がこちらに気がついた。
「あれ? ああ、僕が呼んだんだったね。ごめん、ごめん。えっと、君は――ココ? もう平気なのかな」
女性の姿がなくなったとたん、先ほどの神妙な面持ちとは打って変わった朗らかな笑顔を見せたタイラに、ココはちょっと面食らう。
「はい」
「ごめんねぇ、なんか、ちょっとごたごたしてて」
「いえ、こちらこそ、なんか、その……」
「うん、気にしないで、僕はもう慣れてるから。仕方のないことだしね」
ココ達に気を使わせないためなのかもしれないが、にこにこと笑いながら言うタイラにココは少し違和感を感じた。
「オバケ病か」
アキツがふと言った言葉に、タイラの笑顔が一瞬消えたように見えた。
しかし次の瞬間には、またココに向かってタイラは笑顔を向けた。
「はは。いや、まいったな。トワですね? 病院っていうのは、退屈なところですから、変な噂が広がりやすいんですね」
「……そうですね」
ココが答えたときだ。
「火のない所に煙は立たないっていうぞ?」
険しい声にココが振り向くと、そこにはクナイがこちらを睨むようにして立っていた。視線の先にいるのはタイラだ。
「クナイ……トワは?」
「今探してる。なあ、あるんだろオバケ病」
ココの問いに雑に答えて、クナイはタイラの元へとズカズカと近寄った。
「何を言っているんです?」
「俺、聞いたんだぞ? お前そのオバケ病の担当なんだってな」
静かな廊下にクナイの声はよく響く。タイラはにこやかだった顔を苦々しく歪めた。
「……少し静かにしてもらえませんか。ここをどこだと思っているんです。患者が聞いて動揺したらどうするつもりですか。……まあ、いい。どうぞ中へ。君たち部外者にうろつかれると困るし」
「部外者?」
開かれたドアに少し戸惑いながらも、ココたちはタイラの勧めるままに部屋の中へ入った。
病院らしい臭いが強くなるその部屋。棚には様々な薬品が並べられ、正面に机、右の壁際に診察用のベッドがある。
立ったままの三人に遠慮することなく、タイラは一人、机の前の椅子に座って足を組んだ。キャスター付きの椅子がギシと音を立て軋む。
「この街はねえ、いわば収容所のようなものなんですよ。他の街から孤立させるために作られた。ただ、ここは居心地が良くてね。逃げ出そうなんて人はほとんどいない」
そう、最期には皆、感謝さえするほどに。
「いたとしても、外は君たちも知っての通りの広い砂漠で、一番近い街にでもたどり着くのは難しいでしょうけど。そもそも、ここに運ばれてくるのは病人ですから、体力もそれほどないですし。そう、君の言う“オバケ病”の患者とかね」
「それじゃ……」
「戦争が始まってから見つかった病気でね。オバケ病とは、よくいったものですよ。死因や症状などからGI-1051 というウィルスの突然変異という見解はでているんですが」
「治療法は」
「内蔵にできた腫瘍を取り除けば。それが……その腫瘍が見つからないんですよ」
「……どういうことだよ」
「あるはずの腫瘍が、いざ体を開いてみるとないんです。X線写真にも写っているのに。まさにGHOST、オバケですよ」
両手を広げて芝居じみた口調で説明するタイラに、クナイの顔の険しさが増す。
「おい、もう一つ聞いていいかよ。オバケ病の担当は、お前なんだろ?」
「ええ、そうですが」
その返事にココはタイラのことを自慢気に話すトワの笑顔を思い出した。トワはタイラに診てもらっていると言っていた。
「え、じゃあトワは……」
「ああ、彼女はお腹イタイイタイ病ですよ?」
「この! 嘘つきやろう!」
クナイはタイラの白衣の襟元を掴んだ。
乱暴に引き寄せられても、タイラは口元に薄い笑みを浮かべたままだ。
「あいつ、お前が治してくれるって、そう言ってたぞ! なのに……」
「人ぎきの悪い。僕はやれることはやっている。君はそうやって責めることしかできない」
「それは……」
言い返すことができず、クナイは奥歯を噛み締める。
「でも、トワは何も知らないなんて」
「知ってどうするんです? 知らないほうがいいこともあるでしょう? どうせ助からないのに。いつ来るかもしれない死にびくびくするより、心穏やかに過ごせた方がいいと思いませんか。この街はこんなにいいところなんだから」
笑顔を崩さないタイラに、クナイは怒りを込めて握りしめていたタイラの襟首を突き飛ばすように離した。
「てめえみたいな、嘘の上手い奴は初めてだ!」
「クナイ!」
言い捨てて部屋を飛び出して行ったクナイを、ココは追いかけて部屋を出て行った。
「……やれやれ」
ゆっくりと息をつくと、タイラは乱れた襟元を正す。
「大変そうだな」
残ったアキツに言われて、タイラはまたにっこりと笑った。
「やあ、ロボットくん。いいねえ、ロボットってことは医者は必要ないってことだよね」
「本当に治療法はないのか」
「僕はこれでも優秀な方なんですよ?」
「そうか」
「仕方がないじゃないですか。ねえ」
「仕方がない、か」
「ええ」
笑顔のまま答えるタイラをアキツは表情のない目でじっと見る。
「……なるほど、確かに嘘が上手いな」
そう一言口にして、アキツは静かに部屋を出て行った。
パタンとドアが閉まるとタイラの顔から笑みが消える。
今のはいったいどういう意味か。
嘘など何も言っていない。
仕方のないことなのだ。
自分の所に回されてくる患者はもう助からないと決まっている。
始めの頃は何度もあがいた。
患者の体を切り開いては、そこにあるべき病気の根源を探って、見えないそれをこの手に掴もうとした。
戦うことすらさせてもらえない姿を見せない敵に刃を向けた。それは患者自身を傷つけ、結果的に患者の命を奪うことにもなった。
元々、助からない命だったとしても、自分の手に残された感触は病気ではなく患者の命を切り裂いた感触だった。
体の中を引っ掻き回しただけで閉じるような手術なら、最初からやらなければいい。
それなのに、政府や病院、患者の家族も、手は尽くしたのだという事実を欲しがった。そうすることで亡くなった者が報われると思っている。
違うだろう。
そうすることで報われたいのは患者本人ではなく周囲の人間だ。
言い方は悪いが、患者自身は死んでしまえばそれまでだ。
それでも周りの人間は、その後も生きてゆかなければならないのだから。
助からないと分かっている彼らのために、自分たちはそれでも精一杯のことはしたのだと己を納得させたいのだろう。
この楽園のように作られた環境も、そのためのアイテムにすぎない。
医者という肩書きのない彼らにできること。
医者という肩書きを持つものに絶対の信頼と共に患者を預けること。
タイラは優秀な医者だ。皆がそう認めるほどに優秀な。
だから許される。だから仕方ない。
そう、仕方がないのだ。
自分のところに回されてくる彼らが助からなくても。
「仕方ないんだ」
口に出してもう一度呟いてみる。
もちろん患者自身にそんなことを言ったことはない。誰もが安心するような笑顔で、最後の手術を迎える日まで、すべての患者が穏やかに過ごせるように嘘をつく。
変な混乱や、不安や恐怖を与えないように。
「……仕方がないだろ」
いつからそう思うようになっただろう。
いつからこんなことを平気で口に出せるようになったのだろう。
本当に自分はそう思っているのだろうか。
「ははは、もう、どれが嘘なんだか……」
口には笑みを浮かべながら、タイラは苛立つ両手で頭を鷲掴むように抱えた。