Act・4
【Act・4】
柔らかな芝生の絨毯が敷かれた庭で、集まってくる鳩に餌をやっていたトワは、頭上から突然現れたその人に目を丸くして息を呑んだ。
鳩たちがバサバサと白い羽を舞い落としながら飛び去って行く。
しゃがむように地面に降り立ったその人の赤いコートが、少し遅れてふわりと地面に広がった。
「……人が降って来た……」
ゆっくりと立ち上がりトワに気づいたその人の顔は、まだ若い少年だった。
トワはその人に近づくとドキドキしながら聞いてみた。
「……お兄ちゃん……天使様?」
前に絵本で見たそれとは、ずいぶん見た目も格好も違うが、空から現れたその人は自分とは違うもののようにトワには思えた。
少年は綺麗な、でも表情のない顔をトワに向けると言った。
「いや、俺はロボットだが」
「ロボット……さん?」
トワが首を傾げていると、そこへタイラが息を切らし走ってきた。
「君! 大丈夫か!」
「問題ないと言っただろう」
「問題ない、じゃねえんだよっ! この馬鹿!」
クナイは走ってきた勢いそのままに、アキツの尻を蹴っ飛ばす。
少しよろけたアキツだったが蹴られた尻をさすりもしないし、蹴られたことに怒りもしない。
それがクナイにはまた腹立たしかったりもするのだが。
「すまない。心配させた」
「してやんねえよ、そんなもん」
地面が柔らかかったのが幸いしたのか、降り方が良かったのか。
タイラはアキツが何事もなかったかのようにそこに立っているのを見て、眉をひそめた。
いったい、どういう体をしているのか……。
そもそも死にたがっているわけでもないのに、五階から飛び降りるなんて神経がどうかしている。
「ココが怒るぞ、あんなとこから飛び降りて故障なんかしたら」
クナイはアキツの足を手の平で叩いてみる。とりあえず故障している様子はない。
「お兄ちゃん、ホントにロボットさんなの?」
トワが目を輝かせながらアキツに聞くと、タイラがぽんとその頭に手をやる。
「トワ、そんなわけないだろう?」
「でも……」
タイラの顔はいつものように笑顔だが、その声はどこか冷たく聞こえた。トワは拗ねた様に口を尖らせる。
そこへまた看護師がタイラの元へとやって来た。
「タイラ先生!」
「どうしました?」
「206号室のオハラさんが――」
少し声を潜めて言う看護師にタイラは頷いた。
「今行きます。……君、アキツ。後で話があるので診察室に来てくれますか?」
「分かった」
アキツの返事を聞くと、タイラは小走りに看護師と共に行ってしまった。
◆◆◆◆◆
「う……ん……」
「あ、気がついた」
もぞもぞとベッドの中で寝返りを打ったココに、クナイはその顔を覗き込んだ。
ココは渋そうに眉間に皺を寄せながらもうっすらと目を開く。
「大丈夫か、ココ」
アキツの声に何度か瞬いて、ココはのろのろと体を起こした。腕に違和感があって見ると小さなガーゼが当てられている。
「アキツ、クナイ……あたし……」
「砂漠で倒れた。ここは病院だ」
よく見ると自分がいるのが、真っ白な部屋の清潔そうなベッドの上だということに気づく。
すでに何もかかってはいないが、点滴をかける棒がベッド脇に置いてあって、どうやら腕のガーゼはその跡のようだということも分かった。
「そっか……ごめんね……」
「謝ることじゃねえよ」
「気にするな」
二人に言われてココはまだどこか力の入らない顔で笑ってみせる。
「うん……ありがとう」
ココの言った言葉に、これが自分もまず言わなければならなかったことだと、クナイは苦い顔をする。
そしてまだ自分はアキツに、ありがとうと言っていないことを思い出したが、今更言うのも変な気がして結局言わないことにした。
どうせアキツは言われなくても気にしやしない。
なのになぜ自分の方がこんなに気にしなければならないのかと、腑に落ちない気持ちになったが。
そのとき
「こんにちは!」
ベッドの下から現れた小さな女の子が、ぴょんとココのベッドの足元に飛び乗った。
「 びっくりした……」
「私、トワ!」
「トワ? こんにちは」
そばによじ登ってくるトワが可愛くて、ココはつい自然と笑顔になる。
そんなトワのやんちゃっぷりにクナイは溜息をついた。
「来んなっていったのに、ついて来た」
「だって、お隣のお兄ちゃんがいなくなってからトワと遊んでくれる人いなくて、つまんないんだもん」
「いなくなった?」
「うん。死んじゃったの」
ずいぶんあっけらかんとトワの口からでたその言葉に、ココは少し驚く。
まだ小さくて、そのことの意味がよく分からないのか、それともこの子にとって死はその程度のものなのか、病院という場所柄、それに触れる機会が多いせいなのかは分からない。
「……そう……なの?」
「オバケ病だったって、噂なの」
トワがわざと声を潜めるようにして言った、ふざけた名前の病気にクナイは眉を上げる。
「なんだそりゃ」
「よくわかんない。でも、タイラ先生でも治せないらしいの!」
「タイラ?」
ココが聞き返すと、トワはふふんと自慢げに腰に手を当てた。
「タイラ先生はすごいお医者さんなんだよ? それに、すっごい優しいの。トワのことも診てくれてるんだ」
「トワはなんで病院にいるの?」
「トワはお腹イタイイタイ病なの。ときどきキューってなるの。すーっごく痛いの」
トワはお腹に手をやり、愛らしい顔をぎゅっとしかめる。
「そうなの……」
こんな小さな子が、そんな病気だなんて可哀想だ。
ココがトワの頭を撫でてあげていると、今度はトワはアキツの方を向いた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんは本当にロボットさんなの?」
「そうだが」
「いいなあ、トワもロボットだったら、お腹痛いのも平気なのになあ」
ベッドから足をぶらぶらさせるトワ。確かにロボットには腹痛なんてものはないのだろう。その代わり、他にも色々なものがなくなるが。
それぐらいトワの痛みは酷いものなのだろうか。
「でもね、タイラ先生が治してくれるから、トワ平気だよ? ねえ……お姉ちゃん遊ぼ? ……ダメ?」
「いいよ! 遊ぼう、トワ」
トワの可愛さにすっかりほだされ、ココはベッドから降りようとした。しかしクナイがそれを止める。
「馬鹿。お前はまだ休んでろっての」
「ええ? でもー」
「おい、行くぞ、俺が遊んでやる」
「わーい!」
ぶっきらぼうに言って部屋を出て行くクナイの後に、トワは喜んでついて行った。
言い方は乱暴だが、クナイなりの気遣いにココはくすくすと笑う。なんだかんだでクナイはやっぱり優しいのだ。
トワがいなくなり、アキツと二人きりになると病室は急に静かになり、なんとなくココは少し落ち着かない気持ちになる。そういえばアキツと二人きりは久しぶりだ。
するとアキツが口を開いた。
「熱はもうないか、ココ」
「え? うーん……どうだろう」
自分で額に手をやるココに、アキツは自分の手を見た。
「すまない。俺では熱さが分からない」
「……アキツ……だ、大丈夫だよ! もう、全然! むしろ、いっぱい寝たからすっごい元気!」
たぶん本人はそんなことはないのだろうが、自分の何も感じない手を見るアキツがなんだか寂しそうに見えて、妙に声を張り上げてココは言った。
言った後で、逆に不自然だったかもしれないと、少し恥ずかしくなる。
「そうか、なら良かった。悪いがココ、少し出てくる」
「……どこ行くの?」
「そのタイラという医者に呼ばれている」
「え?」
「すぐに戻る」
そういってアキツは病室から出て行ってしまった。
トワの言っていた『すごいお医者さん』。
そんな人がいったいアキツに何の用なのか。
なんだか胸がざわついて、ココは慌ててベッドから抜け出した。慌てたせいでシーツを踏みつけ派手に転ぶ。
「ま、待って、アキツ! あ、あたし大丈夫だから。一緒に行くよ!」
体にまとわりつくうっとうしいシーツを払いのけ、ココはアキツを追いかけた。