Act・3
【Act・3】
いつものように患者の病室を回り終え、医者は外の空気を吸おうと中庭へ通じる渡り廊下を歩いていた。その姿に気づいた女性看護師がバタバタと駆けて来る。
「タイラ先生!」
名前を呼ばれた医者は足を止め、穏やかな笑みと共に振り返る。看護師が思わず頬を染めるような笑顔だ。
「やあ、どうしたんだい慌てて」
「ちょうどいいところへ! 今、知らない男の子が街の入り口に来ているんですが」
「男の子? 軍の関係者ではなくて? いったいどうやって」
「砂漠を歩いて来たそうで」
「はは、まさか」
この街は砂漠のど真ん中にある。汽車のルートからも外れているため、患者も医者も必要な物資も、軍の車に乗せられて来るのが普通だ。
歩いて来た者など、今まで一人もいない。
「そんなことより病人も一緒なんですよ。来て下さい!」
「分かった、分かった。そう怒鳴らないでくださいよ。――あれ、もしかしてあの子かな」
タイラが廊下の向こうを指差した。
「え?」
「今、両腕に人を抱えた少年がそこを通ったけど」
「大変、ちょっと君!!」
看護師は少年を追いかけて走って行く。タイラはその後を白衣のポケットに手を入れながらのんびり着いていった。
看護師が声を掛けると少年は立ち止まり振り返った。
大きさからして子供だろう。右肩に赤いコートに包んだ人を抱え、左腕ではもう一人、小さな少年を小脇に抱えるようにしている。
「すごい力持ちな子だねぇ」
近寄って見てみれば、上着も着ていない少年の腕は無駄な肉もなく引き締まってはいるものの、人間二人を抱えるには細いように思えた。
「……あんたは」
少年は少し日に焼けた顔をタイラに向ける。
「僕は医者だよ」
「ココを頼む」
少年は右肩に抱えていた一人をそっと降ろした。顔に掛かっていたコートのフードを上げると、それはまだ若い少女であった。
「酷い熱中症だ。奥へ運ぼう」
タイラは看護師に指示を出す。看護師は頷き、来たときと同じように慌しく駆けて行く。
「そっちの子は?」
「クナイはここが見えるところまでは自分で歩いて来ていたのだが」
「この子は軽い脱水症状だね。大丈夫、すぐ気がつくよ」
「そうか良かった」
「――で、君は?」
「俺の名はアキツという」
少年の返事にタイラは笑う。
「いやいや、名前じゃなくて。君は平気なの?」
「問題ない」
「この砂漠は平気で人二人を抱えて渡れる広さじゃないよ?」
「俺はロボットだから」
少年が言った言葉にタイラは一瞬キョトンとして、それから弾けるように再び笑った。
「あっはは。面白い子だねぇ」
タイラは少女を空いている病室へと運び、点滴をした。隣のベッドにはもう一人を寝かせる。
二人を運んできた少年はというと、言っていることが少し頓珍漢ではあるが受け答えも意識もしっかりしている。大丈夫だろう。
ベッドに寝かされた少女の隣にある椅子に座り、少女の様子を見ている。もともと少年のものなのだろう。少女を包んでいた赤いコートを今は着ていた。ここは外とは違い空調が管理されていて涼しいとはいえ、見ていて少々暑苦しい。
それにしても、子供三人でこんなところまでいったい何をしに来たというのか。
疑問は色々あるが、タイラはひとまず病室を出た。その足にわしっとしがみつくものがある。
「タイラ先生!」
「あれ、こんにちは? トワ」
「こんにちは」
足にしがみ付きながら見上げてくる幼い少女の頭をタイラは撫でた。肩辺りで切り揃えられた柔らかな金色の髪が揺れる。トワと呼ばれた少女はビー玉のような丸く透き通る青い瞳を細めて笑った。
「今の……新しい患者さん?」
トワがタイラの後ろの病室を気にしてちょこちょこと動き回ると、飾り気のない白いワンピースがひらひらとはためく。トワはいい子だがちょっとお転婆なところがある。
タイラは視線をトワに合わせるようにしゃがみこむと、口元に人差し指を当てた。
「うん、だから静かにね」
「子供がいた? トワと遊んでくれるかなあ」
大きかった声を小さくしてトワは聞く。
「後で聞いてみるといいよ。すぐ気がつくと思うから。それに――」
タイラはアキツと名乗った少年の言葉を思い出し、笑みを漏らした。
「一人はロボットさんらしいからねぇ」
「ロボットさん?」
◆◆◆◆◆
「う……」
クナイはうっすら開いた目をこすった。ぼやけていた視界がはっきりとしてくると、そこには愛想のないもう見慣れた顔があった。
「気がついたか」
「アキツ……」
「ああ、目が覚めたかい。気分はどうですか?」
部屋に戻ってきたタイラが意識の戻ったクナイに水の入ったコップを差し出した。
警戒するような目つきでタイラを見るクナイだったが、その格好と口調から、相手が医者だということが分かりコップを受け取る。
「ここは……病院?」
「そうですね。まあ、ここは街全体が一つの大きな病院みたいなものなんだけどね」
水を飲み干したクナイは、目をきょろきょろと動かし周囲を確認するとアキツを見た。
「……あいつは?」
「ココならまだ寝ている。心配ない」
アキツが顔を向けた方、隣のベッドを見れば、そこにはココがいた。点滴を打たれている様子は心配だが、その寝顔はいつも通りに能天気そうでクナイは少し安心する。
「そっか……よし」
クナイはベッドから降りた。
「まだ休んでいたほうがいいんじゃないか」
「もう平気! だいたい、お前こそどうなんだ。その……俺のことまで運んだんだろ? またどっか故障とかしてないだろうな」
本当は真っ先に言わねばならない言葉があるはずなのに、口から出てくるのはそんな言葉ばかりで、クナイは“ココロ”を持たないロボットより、よっぽど自分のほうがポンコツのような気がした。
タイラは二人のやり取りを聞いて思わず吹き出した。
「はは、ホント、面白い子達だね。 まさか君まで彼がロボットだと?」
「……人間じゃねえよ、そいつ」
「ロボットですか。だから、あの砂漠を越えてこれたと。じゃあ……その窓から飛び降りても平気なのかな?」
冗談を言いながらタイラが指差す窓をアキツは見る。
「問題ない」
「ははは、それはすごいですね」
「――おい! アキツ!」
突然クナイの叫んだ声に、ココの様子を診ていたタイラは視線を二人に戻した。そこに先ほどまであったアキツの姿はない。さっきまで閉じていた窓が開かれカーテンがはためいている。そこからクナイが下を覗き込んでいた。
「飛び降りた!」
クナイはそう言うと、身を翻しすぐに病室を飛び出して行った。一瞬何のことか分からなかったタイラも、ハッとして、その後に続く。
「ここは五階ですよ?!」