Act・8
【Act・8】
「トンボとはそれきり会ってないの?」
「ああ、それきりだ」
ココの問いに答えて、アキツは立ち上がった。
「おかしいと思った。感情がないのに人間に“なりたい”なんて」
クナイはようやく、疲れが少し和らいだ足をさすりながら言った。
「約束した」
「そのトンボもタキって人も、何をそんなに慌ててたんだろうね」
ココも立ち上がると、服についた土埃を叩いた。
「そもそもその話だとな、お前やっぱり、にんげ――」
クナイが言いかけたときだ。列車の汽笛がクナイの言葉を遮り、三人はそれまで歩いてきた道を振り返った。
足の下の線路からガタガタと振動が伝わってくる。そして見えたこちらへと向かってくる列車の姿。どうやら止められていた電気の供給が元に戻ったようだ。遥か遠くにあった小さな列車の姿は、見る間にどんどん大きくなる。
「逃げろ!」
「だから鉄橋だけでも渡りきった方がいいと言っただろう」
こんな時にでも別に慌てるわけでもなく言うアキツ。
「そのとき、そう言えよ!」
どんどん近づいてくる列車。
「ま、間に合わないよっ」
もつれる足を急かすように鳴らされる汽笛。
「轢かれちゃう!」
叫んだココにアキツは相変わらずの口調で話しかける。
「掴まれココ」
「え?」
そして今度はクナイを呼ぶ。
「クナイ」
「なんだよ!」
話をしている場合じゃないだろうが。大馬鹿野郎。
一心不乱に走るクナイに、文句を口にする余裕はない。アキツは自分の方を向きもしないクナイの服の裾を引っ張った。
「引っ張るな!――って?」
クナイの体が宙に浮かんだ。アキツが後ろから片手でクナイの体を小脇に抱えるようにしたのだ。もう片方の腕ではすでにココを抱え上げている。
そしてアキツは、高さ三十メートルはある鉄橋の下の川へと、何の躊躇もなく身を躍らせた。次の瞬間、その背を掠めるようにして列車が走りすぎていく。
「わあああぁぁぁぁっ!」
落ちていくクナイの叫び声は、川の中へと大きな水柱と共に消えた。
列車は何事もなかったかのように、ガタガタと鉄橋を揺らし走り去る。
水柱が収まると、流れがほとんどない淀んだ川から、やがて三人は水面の上へと顔を出した。アキツに押されるようにしながら岸へと這い上がったココとクナイは、酸素を求め喘ぐ。
アキツはというと、やはり顔色ひとつ変えてはいない。
「平気か」
「平気……じゃねえよ! 死ぬかと思っただろうが!」
当然のように怒るクナイ。
実際はアキツのおかげで死なずに済んでいるわけだが、何か腹立たしい。
「あ……」
水浸しの服を絞っていたココは小さく呟くと川の方へ目をやった。
「どうしたココ」
「あたしの荷物、一個、川の中に落としてきちゃった」
肩から提げていた小さな鞄がない。それを聞いてアキツは再び川へと足を入れた。
「取ってくる」
「え、でも、ここ深そうだし」
「問題ない」
いつもの台詞が返ってきた。
「とっとと行けよ。お前のせいなんだから」
心配するココとは逆に急かすクナイの言葉に、アキツは静かに水の中に潜っていった。
ココは川の淵に座った。
体にまとわりつく服が気持ち悪いが、日差しは暖かくしばらくすれば乾いてくるだろう。
アキツが潜った水面はその後、ぴくりとも揺れない。川の流れはひどく穏やかだが、そのせいもあってかかなり濁っていて、岸からは潜ったアキツがどの辺りを探しているのかもわからない。
見つからないのだろうか。意外と時間がかかる。
「アキツ、なかなか上がってこないね」
「そうだな」
自分の後ろに座っているクナイに言うと、別に気にもかけていない様子の返事が返ってくる。
「深そうな川だね」
「そうだな」
「濁った水だね」
「……そうだな」
「そろそろ上がってきたほうがいいよね」
「…………そうだな」
上がってくる気配はまだない。
「まさか溺れちゃったんじゃ……」
「はは……まさか」
言葉とは裏腹に顔が引きつるクナイ。
「あの荷物、たいしたもん入ってないのに!」
「知るかよ!」
ココが声を大きくして言うと、クナイも落ち着きを失くす。
「どうしよう!」
うろたえるココに、クナイは川の淵に立ってアキツが潜った辺りに呼びかけた。
「くそ。おい、おいっ!上がってこいよ!」
しかし川は穏やかに流れるまま。
「おい! もういいって!」
クナイはだんだんと不安になってきた。さっさと行けなんて言ったのは、自分だ。
「おい!」
まだアキツの姿は現れない。
「アキツ!!」
川の縁に手を掛け、クナイが叫んだときだ。
「……うるさいぞ、なんだ」
クナイが呼びかけていた場所とは見当違いな川下から、何事もなかったかのように荷物を持ったアキツが顔を出し、あの無表情でこちらを見ていた。
「アキツ! 溺れちゃったかと思った」
岸に上がったアキツに駆け寄るココに、アキツは荷物を渡す。
「見ての通り、俺の体はその辺のロボットと違う。水に沈むことはない」
ああ、そうですか。確かに鉄でできていないのはよく分かるが。
クナイの顔がまた険しくなる。
「この……俺は絶対、お前が人間なんて認めないからな!」
「だからロボットだと言っているだろう。分からない奴だな」
「うるさい。行くぞ!」
クナイは水を吸って重たい靴を履いた足を、ぐちゃぐちゃと音を立てながら歩き出した。
「一番うるさいのは確実にあいつだが」
声のボリュームやトーンにおいて、うるさいと言われるレベルなのは、自分ではなくクナイの方である。
首を捻るアキツに、ココは返された荷物を肩に提げると言った。
「アキツ。さっきクナイ、アキツって呼んだよ」
アキツを「おい」や「お前」としか呼ばなかったクナイが、アキツを名前で呼んだ。そのことをアキツに教えてあげる。
しかし水の中から上がったばかりだったアキツは再び首を傾げた。
「……よく聞えなかった」
「クナイ、もう一度呼んであげなよ」
前を行くクナイに、ココが呼びかける。
「ふざけるな。用もないのに名前なんか呼べるか」
「照れてる」
振り向きもせず不機嫌な声で言うクナイを指差し、ココはそうアキツに説明する。
「照れているのか」
「だから、お前らと一緒なんか嫌だったんだ!」
聞かれたことには答えず、クナイはズンズンと先に行ってしまう。
アキツとココはその後ろから、やや遅れてついて行く。
ふと上を見上げたココは、飛び降りた鉄橋の高さに今更ながらにヒヤリとした。そして、そこから何の躊躇いもなく飛び降りたアキツの顔を覗き見る。
「ねえ、アキツ。“ココロ”が手に入ったら、トンボに真っ先に見せてあげようね。人間になったアキツを」
そのとき、トンボはどんな顔をするのだろうか。
笑うのか、それとも泣くのか。
どちらにしてもそれはトンボらしく、そして人間らしい。
ココの言葉にアキツは頷いた。
「ああ」
ROBOT HEART・3
- ナマエ- 終了