Act・4
【Act・4】
「弱虫!」
言われてクナイは顔をしかめて深くうつむいた。
そんなことは知っている。
「早くしろよ!」
別の声もそう言ってクナイを責める。
「やだ……できない」
消え入りそうな声でいつも自分に無理を言う、いじめっ子二人組になんとか言い返す。
「あんなただのマスコットロボが怖いのかよ」
「弱虫! 弱虫!」
いじめっ子はクナイを小突きながら、更にクナイを責める言葉を浴びせる。クナイは小さな体をもっと小さくして、それに耐えていた。すると、
「こらぁー!」
どこからか怒鳴る声がした。
「げっ。この声は」
「あんたたち! またうちの弟をいじめてるね!!」
遥か遠くから、こちらに向かって走ってくる若い女の姿。手にはいったいどこから持ってきた物なのか、モップを握り締めている。
「うわぁ! やべぇ。イサナだっ」
「逃げろっ」
慌てて走り出すいじめっ子たち。
「この悪ガキども!」
「わああー!」
モップを振り上げながら追いかけきたイサナに、いじめっ子たちはあっという間に逃げていってしまった。
「まったく……クナイ、平気か? 怪我は?」
イサナはいじめっ子たちが逃げていった方をちょっと睨んでから、振り回していたモップを肩にクナイの方へと向き直った。その顔は先ほどいじめっ子たちを追いかけていたときとは打って変わって優しい。
「姉ちゃん……」
姉の姿を目に安心したクナイは、次に視線を足元に落とした。
こうして自分がいじめっ子に絡まれているのを、イサナに助けられるのは初めてではない。それが恥ずかしいし情けない。
体も小さくそれほど力もないクナイに比べ、イサナはどこか男勝りで、すっかりいじめっ子たちからは怖がられる存在になっていた。
幼い頃に両親を亡くしたイサナは、さらに幼かったクナイの姉であるというだけでなく、母であり、父でもあった。それが強さと優しさを兼ね備えたイサナの性格の源といえる。
どこか強くなりすぎた感じは否めないが、女性としての美しさもイサナにはあった。血が繋がっているクナイと同じ褐色の肌に、艶のある黒い髪と瞳。着飾れば上層部に住んでいる金持ちの娘なんかよりも美人なのだろうが。
「ほらぁ。どうした、そんな顔して。あいつらに何言われた」
目下、イサナにとって大切なのは、この歳の離れた弟のことだけだった。
クナイは道具屋の前に出されている、客を呼び込むためのロボットを指差した。
「あれの腕……取って来いって」
「あれの?」
決められた動作をただ繰り返すだけのマスコットロボ。その腕を取ることなんて、簡単なことのように思う。
「うん……そんなことしたら、あいつ腕なしになっちゃう……」
イサナはロボットの方を見て言ったクナイの言葉に、一瞬きょとんとしたが、次の瞬間「あっはは!」と豪快に笑った。クナイが顔を赤くする。
「何だよ。笑わなくてもいいじゃんか! どうせ俺は弱虫だよ」
膨れてそっぽを向くクナイの頭を、イサナは優しく撫でる。
「クナイ。あんたは弱虫なんかじゃない。あんたは優しいイイ子だよ」
感情も何もないロボットを、腕がなくなったら可哀想だと思えるのは優しいから。
「俺、でも強くなりたい」
クナイが欲しいのは優しさよりも強さ。
「あんたは強いよ」
言われてクナイの顔が渋る。
「姉ちゃんの嘘つき。俺、強くない」
「あんたが優しいのは強いから」
それはとても分かりづらいものだけれど。力の強さや、喧嘩の勝ち負けと違って分かりづらいけれど。いじめられても、いじめっ子の言うことをそのままに聞くことをせず、自分を貫けるのは強いから。
「あんたは強い。あたしが言ってんだ、間違いない」
少々強引に言ったイサナに、納得しかねるクナイはイサナを見上げた。
「じゃあ……もっと強くなりたい」
「もっとねぇ……なれる?」
「うん。そしたら、今度は俺が姉ちゃんを守れんだろ?」
そう。ずっと守られてきた。今はまだ無理かもしれない。でも、いつかは。
「言ってくれるじゃないか」
イサナは嬉しそうに小さな弟の言葉に微笑むと、その頭をくしゃくしゃと撫でた。照れくさそうにクナイも笑う。そんなやり取りをしながら歩いていると、食事処の前で途方に暮れている女将の姿が見えてきた。
「まったく、嫌になるね」
ぼやく女将にイサナは声を掛けた。
「どうしたの女将さん」
「ああ、イサナ。ほら、うちのロボットの腕、壊されちまったのさ」
肩をすくめる女将の前には、腕から導線をむき出しにしているロボット。腰を痛めた主人の代わりに、店で使う食材の運搬をしていたものだ。
「きっとあいつらだ……」
クナイはロボットを見て呟いた。
「俺、取り返して来る」
「もう暗いよ!」
「すぐ戻るー!」
言いながらクナイは走って行ってしまった。そんなクナイを見送りながら女将は微笑む。
「イイ子だね」
「でしょ。あたしの弟だからね」
女将の言葉に、イサナは当然のように答える。
「そういや知ってるかい」
「何?」
「なんだかこの辺りに、新しく警備ロボットが見回りを始めるんだってさ」
「警備ロボット?」
「そう。少しはここいらの治安も、それで良くなるといいんだけどねぇ」
工業街の最下層部は、貧しい者たちの溜まり場のような所だ。確かに治安がいいとは言えない。
頭上で街灯がチカチカと瞬いて、街のあちこちでちらほらと明かりが灯り始める。夜が近い。
「もう行くのかい」
「うん。あたし、やっぱあの子が心配だから見てくる」
我ながら、親馬鹿ならぬ姉馬鹿の心配性だとイサナは思うが、放っておいてもいずれは自分から離れていってしまうときが来るのだ。もう少しの間、甘やかしたっていいじゃないか。
イサナは女将に笑って手を振ると、クナイの後を追って小走りに駆け出した。
◆◆◆◆◆
トタンでできた壁の足元にできている割れ目から、クナイは中を覗き込んだ。そして誰もいないことを確認すると、潜り込むようにして中へと入る。
ガラクタだらけのそこは、いじめっ子たちの秘密基地だった。そのガラクタの中に、もぎ取られたロボットの腕を発見する。
やっぱり。
クナイはロボットの腕をガラクタの中から引きずり出すと、抱えるようにして両手に持った。
持ち帰れば、きっと女将は喜ぶだろう。
そしてクナイはいじめっ子がいなかったことにホッとして、ホッとしたことにまた少し情けなくなった。
クナイはこっそりとトタンの割れ目から外へ出た。
その目に映ったものは、見覚えのない大きなロボット。くるくると顔を周囲にめぐらせていたロボットは、秘密基地から出てきたクナイの姿をその目に捕らえると、横を向いていた体をクナイへと向けた。
「なんだ、あれ」
街でよく見かける労働用のロボットよりも、ピカピカでなんだかカッコイイ。
『不審人物発見・止マレ・手ヲ上ゲロ』
ロボットはクナイに向かってそう言った。モニターがクナイを映しセンサーがクナイの手にある、ロボットの腕に止まる。
「え? 何」
『武器ノ所持ヲ確認』
ロボットの体の真ん中にある扉が開くと、そこから大きな黒い銃口が出てきてクナイに照準を合わせた。
『無駄ナ抵抗ハ・ヤメロ・武器ヲ捨テテ降伏シロ』
機械的な音声の言った言葉にクナイは苦笑いした。
「はは。何? これのこと? これ、武器なんかじゃないって」
手にしたロボットの腕を前に差し出して見せる。
『十秒以内ニ武器ヲ捨テロ・十……九……』
武器などではないと言ったのに、ロボットがカウントを始めてクナイは慌てた。
「わ、分かったよ。ほらっ。これでいいんだろ!」
仕方なく、せっかく取り返したロボットの腕をロボットの方へ放り投げるクナイ。しかし――
『六……五……』
ロボットのカウントは止まらない。
「待てよ! ちゃんと言う通り……」
『ニ……一』
カウントが終わり、ロボットの銃口が容赦なく火を噴いた。
「わああっ!」
咄嗟に前へ飛び地面に伏せ、なんとかロボットの攻撃を避けたクナイ。
頭上で続けざまに鳴る銃声が収まり、恐る恐る顔を上げ振り返ると、先ほどまでクナイが前に立っていたトタンの壁は穴だらけで、次の瞬間、ガラリと崩れ落ちてしまった。
その光景に、クナイは恐怖に震えながら立ち上がると駆け出した。
『凶悪犯・逃亡・追跡スル』
ロボットはけして慌てることなく、それでもピッタリとクナイを追いかけてくる。街を走り回るクナイと、それを追うロボットを街の人たちが何事かと振り返った。
「な、なんで」
『止マレ』
クナイに向かって、また銃が連射される。
「わあっ! わああっ」
クナイが頭を抱えながら角を曲がると、そこは行き止まり。
「あ……」
壁を叩くクナイの後ろ、角の向こうにロボットが姿を現した。ゆっくりと銃口がクナイに狙いを定める。
「誰か……」
震える声で助けを求めるが、それを掻き消すように、ロボットの銃が激しい音を立て連射された。
クナイは固く両目を閉じ、その瞬間、体に衝撃を受けて地面に仰向けに倒れこんだ。割れたアスファルトの地面に擦るように背中を打ち付けて、一瞬息が出来なくなる。
しばらく響いていた銃声が止み辺りが静かになると、クナイはきつく閉じていた目をそっと開いた。
見えるのはすっかり暗くなったくすんだ夜空。
そして、何か柔らかな物が自分の上に覆い被さっているのに気がついた。
「姉……ちゃん?」
イサナだった。イサナはクナイの声に体を浮かせると、クナイの顔に手を当てる。
「クナイ。良かった……怪我、してないね?」
「姉ちゃん」
「良かった……」
安堵したように言うと、イサナはまたクナイに覆い被さった。
『ターゲット駆除・完了』
ロボットは動かないクナイとイサナに、銃を体の中にしまうと去っていった。
クナイはしばらく仰向けのまま地面に倒れていた。
いったい今のは何だったんだろう。頭が混乱していて訳が分からない。
早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻してきて、クナイはまだ自分の上にいるイサナに声を掛けた。
「姉ちゃん?」
返事がない。
「姉ちゃん、起きて」
重い。こんなに姉は重かっただろうか。
ずっしりと自分に覆い被さっているイサナで、身動きが取れないクナイは、唯一動かせる右手でイサナの肩を叩いた。
「姉ちゃん、重いよ」
ちょっと苦笑しながらイサナを揺する。
「姉ちゃんってば……」
クナイはふと地面に目をやり、そこに水溜りが広がっていくのを見た。暗くてよく見えないが、それはひび割れたアスファルトの溝を伝って、地面についているクナイの顔に近づいてくる。
それが何だかとても嫌だった。
「姉ちゃん、起きて……」
クナイは何とかイサナの体を押し上げようとする。すると、その手にも湿った感触があった。それはイサナに触れた手を伝って、クナイの服にもじわじわと染み込んで来る。
「何これ」
生暖かくて気持ち悪い。
そのとき、夜の訪れに二人の上にあった街灯が点灯し、その色を映し出した。
ひどく鮮やかな赤い色。
「……何これ……姉ちゃん……」
いったいどういうことなのか分からない。分かりたくもない。
「起きろってば姉ちゃん!」
いつまでたっても起きてくれないイサナに怒鳴るように言う。
「やだ、やだ……やだよ姉ちゃん! 姉ちゃんっ! 起きろ姉ちゃん!!」