ブルーテイルに雫を
宝石は、遺跡の前に静かに留まっていた。
紫の輝きは先ほどよりも穏やかで、まるで呼吸をするように淡く明滅している。
ルーンは掌を開き、ブルーテイルをそっと前へ差し出した。
宝石に近付いた瞬間、ブルーテイルはゆっくりと顔を上げ、小さく鳴き声をあげる。それに応えるように、ブルーテイルの身体が淡く光りはじめた。
青から紫へ、紫から白へ。
グラデーションのような光が、小さな身体を包み込む。
「……はぁ」
ルーンは小さく息を吸い、宝石へと手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、ひやりとした感触が掌に伝わる。
それと同時に、胸の奥がざわりと揺れた。
――宝石から今まで以上の"怖い"という感情が流れ込んでくる。
「(…大丈夫。なにも怖いことはないわ)」
まるで、泣いている子供に言い聞かせるようにルーンは宝石に思いを伝えた。
この先にあるのが、失敗か、成功か。そのどちらかしかないことを、ルーンはよく理解していた。
「……大丈夫」
今度は自分に言い聞かせるように、そしてブルーテイルを安心させるように、静かに告げる。
「ルーン…」
フィルが呟く。
ルーンは目を閉じた。
次の瞬間、彼女と宝石を囲むように魔法陣が展開される。
幾重にも重なった円と紋様が淡い光を放ち、空気が震えた。
「……っ」
シオンとフィルは息を呑み、その光景を見守ることしかできなかった。
宝石が、光に包まれる。
ルーンは眉をひそめ、意識を一点に集中させた。
――引き出すのは、ほんの一滴の雫。
それだけでいい。
[…!]
そして。
宝石の表面を伝い、
一滴の雫が、静かに零れ落ちた。
[…………]
ブルーテイルが顔を近付け、その雫を口に含む。
瞬間。
紫色の光が弾けるように広がった。
ブルーテイルの身体が光に包まれ、輪郭がぼやける。
けれどすぐにその光は収束し、次の瞬間には。
[きゅいっ!]
元気な鳴き声が周囲に響いた。
ブルーテイルは先ほどまでの弱々しさが嘘のように、ルーンの掌の上でくるくると回り始める。
「……ブルーテイル!」
[きゅうっ]
「…よかった」
ルーンの口から、安堵の息が漏れた。
宝石の光がゆっくりと消え、魔法陣も霧散する。
そして、宝石は再び形を変えた。
魔獣の姿へと戻るが、その姿は先ほどとは違う。
狂気も、威圧もない。
ただの、どこにでもいる魔獣と変わらない存在だった。
魔獣は一度、ルーンを見上げる。
「ありがとう。もう、大丈夫よ」
そう告げると、魔獣は小さく鳴き、背を向ける。
やがて遺跡の奥へと、静かに姿を消していった。
ブルーテイルは、ぴょんと跳ねてルーンの肩へと移る。
その瞬間、全身の力が抜け、ルーンはその場にへたり込んだ。
「ルーン!」
慌ててシオンとフィルが駆け寄る。
「大丈夫か?」
ルーンは小さく頷き、フィルの差し出した手を借りて立ち上がった。
少しふらつきながらも、彼女は二人の方へ顔を向ける。
「逃がしてしまってもよかったのか?」
「…ええ。平気よ。私たちの目的はあくまで雫ですもの。ブルーテイルが雫を飲んだことであの子も落ち着いたはず。パープルの歪みはすぐに治まるわ」
「ルーン。少し顔色が悪いけど、ほんとに大丈夫?」
「心配ないわ。……それより、お礼を言わないとね」
「お礼?」
「ええ」
ルーンは頷き、髪をかきあげる。
そして、静かに、はっきりと。
「ありがとう。貴方たちがいなかったら、ここまで来られなかったわ。……この子も、感謝してる」
[きゅうっ!]
そう言って、口元を緩ませて微笑んだ。
彼女の肩の上で、ブルーテイルも元気よく鳴き声をあげる。
その笑顔に、フィルは思わず顔を赤くし、照れくさそうに頭をかいた。
「い、いや……その……とっ、当然だよ!困ってる女の子を助けるのは、探求者の義務だからね!!」
シオンは何も言わず、ただ小さく頷く。
こうして三人は、最初のカラー・パープルの雫をブルーテイルに飲ませることに成功した。
そして彼女たちは遺跡を後にし、紫の風に背を押されながら町へと戻っていった。




