ごめんなさい
魔獣の巨体が崩れ落ちて間もなく。
廊下の向こうから、複数の足音が駆け込んできた。
「シオン!なんかすげぇ音したけど、なんか……、うわ」
先頭に現れたジェイクが、部屋に足を踏み入れた瞬間――床に広がる血溜まりを見て目を見開いた。
その背後にいたリジーとウェイズは、部屋の隅で蹲っているオルカの姿を見つけるや否や、顔色を変えて駆け寄る。
「姉御!」
「大丈夫か!?」
二人は慌てて彼女の肩に手を伸ばした。
オルカの服は血で濡れ、呼吸も浅い。
心配する二人を見つめ、痛みに眉を寄せながらオルカは小さく息を吐く。
「……騒ぐほどじゃないよ。平気だ」
強がるように言い、リジーの手を借りてゆっくりと立ち上がる。
足取りは重いが、意識ははっきりしていた。
そして、オルカは一歩一歩、シオンの方へ歩み寄る。
「助かったよ」
素直な礼だった。
シオンは淡々と視線を返す。
「俺は、フィラーラを助けただけだ」
その答えに、オルカは一瞬きょとんと目を丸くし――ふっと笑った。
「あんた、愛されてるね」
ぽつりとそばにいたフィラーラに向けて呟く。
フィラーラは目を瞬かせ、少しだけ頬を赤くした。
その時、オルカの表情がふと曇る。
ライアスの姿がない。
「……なぁ、あいつは?」
リジーに問いかける。
首を傾げるオルカに対し、リジーとウェイズは顔を見合わせ、言葉を詰まらせた。
嫌な沈黙。
オルカの瞳が鋭く細まる。
「……まさか」
次の瞬間、彼女は傷の痛みも忘れたように走り出していた。
「姉御!」
呼び止める声も聞かず、部屋を飛び出す。
+
先ほどまでシオンたちがいた部屋。
そこへ戻るなり、オルカは叫んだ。
「ライアス!」
視線を走らせる。
「ライアス!どこだ!いたら返事をしろ!」
周囲をくまなく探し、
そして――彼女は見つけた。
部屋の奥。
血溜まりの中に倒れた、白髪の男の姿を。
「……っ!」
オルカの目が大きく見開かれる。
すぐさま駆け寄り、膝をついて体を抱き起こした。
「ライアス!おい、起きろ!」
何度も名前を呼び、肩を揺さぶる。
だが――反応はない。
「ライアス!演技なんていいから!起きろよ!冗談じゃねえぞ!」
触れた頬は、もう冷たかった。
オルカの瞳に、みるみる涙が溜まっていく。
「……っ、くそ……」
震える声が漏れた。
やがて彼女はライアスの体を強く抱き寄せ、押し殺した嗚咽をこぼした。
その様子を、シオンたちは入口付近で黙って見つめていた。
+
それからしばらくして。
シオンたちは屋敷の外へ出た。
夜気が、血と埃の匂いを少しだけ薄める。
オルカ、リジー、ウェイズも後に続く。
三人とも疲労の色が濃い。
「あんたらには迷惑をかけたね」
オルカがぽつりと言った。
シオンは静かに問い返す。
「……なぜフィラーラを攫った」
オルカは少しだけ視線を伏せ、懐から一枚の紙を取り出した。
ギルドの依頼書。
そこに記されているのは――人魚の涙。
ジェイクは腕を組み、ふっと息を吐く。
「なるほどな。仕事ってわけか」
「そういうこと」
オルカは肩を竦めた。
「けど、その子じゃ作れないってさ。無駄足だったよ」
軽く笑う。
「やっぱこういうのは、地道にやらないと駄目だね」
そう言ったものの、その表情はどこか硬かった。
フィラーラが、そっと一歩近付く。
「……ごめんなさい」
小さな声。
オルカは一瞬目を瞬かせ、それから優しくフィラーラの頭に手を置いた。
「謝ることじゃないよ」
ぽん、と軽く撫でる。
「あんたが無事でよかった」
そしてそのまま、視線をシオンへ向けた。
「この子を大事にするんだよ」
不意の言葉に、シオンは眉をひそめる。
意味を測りかねたまま、何も返さない。
オルカは小さく笑い、踵を返した。
「今回の迷惑の償いは、必ずする」
そう言い残し、リジーとウェイズを連れて歩き出す。
「それじゃあな」
そして、三人の背中は夜の闇へと溶けていった。




