助けに来たヒーロー
低く唸る魔獣の前に、シオンは一歩踏み出した。
背後では、フィラーラの荒い息遣いが聞こえる。
床に転がったナイフ、壁際に倒れたオルカ、そして血の匂い――状況は最悪だ。
「…………」
だが、シオンの表情は静かだった。
「グルルルッ」
魔獣が赤い瞳を細める。
新たな獲物を見定めるように、ゆっくりと体勢を低くした。
「離れていろ」
短く言い、シオンは剣の柄に手をかける。
次の瞬間、魔獣が床を蹴った。
爆発的な速度で距離を詰め、巨大な爪が横薙ぎに振るわれる。
――速い。
だが、シオンは半歩だけ体を引いた。
爪先が鼻先をかすめ、風圧が頬を打つ。
「っ、」
間合いの内側。
シオンの剣が閃いた。
金属音とともに、魔獣の前脚に浅い傷が走る。
だが致命には遠い。魔獣は痛みに咆哮し、今度は体ごと押し潰すように突進してきた。
「グラアアア!!」
床板が砕ける。
シオンは横へ跳び、壁を蹴って反対側へ回り込む。
「………、」
刃越しに伝わった感触を思い返す。
皮膚だけでなく、筋肉の密度も高い。
生半可な斬撃では通らない。
魔獣が尾を叩きつけた。
空気が裂ける。
シオンは剣で受け流し、衝撃を殺しながら滑るように距離を取る。
足裏が床を擦り、埃が舞い上がった。
その時、声が聞こえる。
「シオン……!」
フィラーラだ。
シオンは視線だけで彼女の無事を確かめ、再び魔獣へ向き直る。
魔獣の呼吸が荒い。
背中には深い傷があった。
先ほどオルカがつけた傷だ。
そこだけ、わずかに動きが鈍い。
「(……狙ってみるか)」
シオンの重心が沈む。
魔獣が吠え、再び突っ込んできた。
今度は真正面から。
巨大な顎が開く。
シオンは逃げず、一歩、踏み込んだ。
「ガアアアッ!!」
直前で体を捻り、牙の軌道を外す。
同時に、低い姿勢のまま魔獣の懐へ潜り込んだ。
「――はあっ!」
短い気合。
剣が下から跳ね上がる。
狙いは――背の傷。
刃が深く食い込んだ。
「ガアアアアッ!!」
絶叫。
魔獣が暴れ狂い、腕を振り回す。
シオンは即座に剣を引き抜き、後方へ跳んだ。
振り下ろされた腕が床を砕き、破片が飛び散る。
今の一撃は確実に効いたはず。
魔獣の動きが、目に見えて鈍った。
「………」
シオンは呼吸を整え、剣先を静かに下げる。
これで終わらせる。
次の瞬間、床を蹴った。
一直線。
魔獣も最後の力を振り絞り、咆哮とともに迎え撃つ。
交錯は一瞬だった。
閃光のような踏み込み。
そして――横一文字の斬撃。
静寂。
わずかな間を置いて、魔獣の巨体がぐらりと揺れた。
重い音を立て、前のめりに崩れ落ちる。
床が震え、埃が舞い上がった。
シオンはゆっくりと剣を下ろす。
完全に動かなくなった魔獣を確認してから、背後を振り返った。
フィラーラの顔を見つめ、彼女に近付く。
「……もう大丈夫だ」
「っ、……」
静かな声が、張り詰めていた空気をようやく解いた。




