人魚の涙は
襲撃してきた男たちに担がれ、フィラーラは夜の街を抜けていく。
人気のない路地をいくつも曲がり、やがて辿り着いたのは街の外れに建つ廃れた屋敷だった。
窓は割れ、蔦が壁を這い、長く人の気配を失っていることがひと目でわかる。
「あー、…他になかったか?」
「最適な場所がここしかなかったんだ。許せ」
「……まぁ、いいか」
軋む扉が開き、彼女は中へと運び込まれる。
埃の匂いが漂う一室。
フィラーラは椅子に座らされ、縄で体を縛られた。
逃げ出せないように手首も足首もきつく固定され、さらに口元には布が巻かれて声も封じられる。
「ん…、」
目の前には、彼女を攫った男たち。
にやにやと笑いながら、まるで珍しい品でも眺めるように彼女を見つめている。
その中のひとり――白髪の男が一歩前に出た。
細い指先でフィラーラの頬に触れ、まじまじと顔を覗き込む。
「!」
「案外、楽勝だったな」
低く、愉快そうな声だった。
「閃光弾なんて、一体どこで手に入れたんだ?」
「へっへ。こないだこの辺歩いてたドワーフのジジイからかっぱらったんっス!まさかこんなところで役に立つとは!」
「…おまえ、老人は対象から外せよ。可哀想だろ」
「とにかくだ」
これで、捕まえることには成功した。
だが問題はここからだ。
――どうやって“人魚の涙”を手に入れるか。
男たちは部屋の隅に集まり、ああでもないこうでもないと小声で話し合う。
脅すか、痛めつけるか、縛り上げるか――。
どの案も決定打に欠けた。
「なかなか思いつかないもんスね」
「オレら、揃ってアホだもんな」
「アホなのはお前らだけだ」
うーん。と、揃って頭を抱え始める。
そこへ。
「……あんたたち、少し落ち着きなよ」
背後から、静かな声が響いた。
男たちの後ろに立っていた女が、ゆっくりと前に出る。オレンジが混じった黒髪の、鋭い目をした女だ。
「っ、」
フィラーラは怯えた瞳で彼女を見上げた。
「こういうのはまず、信頼を得ないと始まらないだろ?」
女は穏やかな声音で言い、フィラーラの前にしゃがみ込む。
「手荒な真似をしてすまなかったね。あたしはオルカ。で、あっちの白いのがライアス。あの小柄なのがリジーで、背の高いのがウェイズだ」
順に顎で示しながら紹介する。
「あたしたちは怪しい者じゃない。ギルドの依頼で動いているだけだ」
そう言って、オルカは一枚の紙を取り出した。
依頼書だ。
フィラーラの前に広げ、彼女はそれを見る。
「……?」
人間の文字は、ルーンたちに教わって少しだけ読める。
フィラーラは必死に目を凝らし、女の顔と依頼書を交互に見た。
そこに書かれていた文字を読み取った瞬間、彼女はきょとんと目を瞬かせる。
――人魚の涙。
その言葉を見た彼女は、くぐもった声で何かを訴えた。
「んん、」
「ん?何だ?」
布越しでは聞き取れない。
オルカは小さく息を吐き、口元の布を外した。
それを見て、ライアスが眉をひそめる。
「おい、大丈夫かよ」
「大丈夫。縛ってるんだから」
フィラーラは小さく息を吸い込んだ。
「あなたたち……人魚の涙、ほしいの?」
その問いに、オルカたちは頷く。
だがフィラーラは、困ったように首を横に振った。
「わたし、作れない」
「……は?」
ライアスの声が低くなる。
「人魚の涙、子供を生んだことがある人魚にしか作れない。わたし、まだ子供だから……」
言い淀む。
フィラーラはまだ子供だ。
あと一年ほどで大人と認められ、子を宿せる体にはなるが、今は違う。
彼女の言葉を聞いて、部屋の空気が一瞬で変わった。
「……マジっスか」
ウェイズが呟く。
「そんな話、聞いてないぞ」
リジーが顔を青くする。
オルカも目を見開き、依頼書とフィラーラを見比べた。
「つまり……あんたには無理だってことか?」
フィラーラは小さく頷く。
沈黙。
やがてライアスが舌打ちし、乱暴に頭を掻いた。
「んだよ、それ!連れ去り損じゃねえか!」
「一年も待てるわけないっス……」
落胆が広がる。
ライアスたちは顔を見合わせ、ため息を吐いた。
その時だった。
ギ……ギギギギ……。
どこからともなく、不快な音が響く。
「……ん?何の音だ?」
リジーが周囲を見渡す。
ライアスたちも辺りを見回し、音の出どころを探した。
床か、壁か、それとも廊下か。
ギギ……ギ……。
今度は、より近くから聞こえる。
オルカはふと違和感を覚え、ゆっくりと頭上を見上げた。
天井の梁の影。
暗くてはっきりとは見えない。
だが――そこに、赤い光が二つ、ぎらりと瞬いた。
「……っ、上だよ!」
それが何かを理解した瞬間には、もう遅かった。
影が弾けるように落下する。
咆哮。
鋭い爪。
魔獣だ。
「ぎゃあああっ!」
リジーとウェイズの悲鳴が、廃屋に響き渡った。




