歓迎…されてる?
「少しお腹すいたわね。何か持ってくるわ」
フィルに話を聞いたあと、ルーンは小さく伸びをしてから言った。
彼女が部屋を出ていき、扉が閉まると静けさが戻る。
フィルはしばらくその場に座っていたが、やがてテーブルの上に置かれた本を引き寄せた。
開かれているのは、あの刻印が描かれているページ。五つの紋様が並び、その下には細かい文字で説明が書かれている。
「………」
フィルは、無意識のうちにそれを読み進めていた。
――五つの刻印には、それぞれに“意志”がある。
――刻印は依代に選んだ人間の魂を喰らい、その身体を乗っ取る。
そこまで読んで、フィルの動きが止まった。
「……っ」
胸の奥が、ひやりと冷える。
「(……読まなきゃ、よかった)」
そう思いながらも、視線はページから離れない。
眉をひそめ、頭の中で何度もその文章をなぞってしまう。
――魂を、喰らう。
――身体を、乗っ取る。
フィルは本を閉じ、額に手を当てた。
「……………」
ルーンは、この刻印について何か知っている。
さっきの反応を思い出すだけでも、それははっきりしていた。
「……(あれは、本で読んだからってだけじゃないよな)」
確証はない。
でも、彼女は“もっと肝心なこと”を知っている気がする。
ガチャ
その時、部屋の扉が開く音がした。
フィルは反射的に顔を上げて振り返る。
「……おかえ――」
そう言いかけて、言葉が止まった。
そこに立っていたのは、ルーンではなく、見知らぬ男性だったからだ。
「…………」
フィルは、見知らぬ男性を見つめて固まる。
相手もまた、部屋の中にいるフィルを見て、その場に立ち尽くしていた。
青紫色の髪。
鋭さを秘めた眼差し。
ここにいるということは、彼もダークエルフなのだろう。
「……えっと……どなたで?」
何か言わなければ。と思って出た言葉は、それだけだった。
その言葉に、男性の眉がぴくりと動く。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。お前が、ルーンが言ってた人間か」
「……ん?」
フィルは首を傾げる。
この人は、ルーンの知り合いなのだろうか。
その時――
「……兄さん?」
ルーンの声が聞こえた。
男性が声の方に顔を持っていくと、そこにはパンの入ったバスケットを抱えたルーンが立っていた。
「何してるの、兄さん?」
そう言って、男性を見る
──兄さん。
その言葉を聞いて、フィルは内心で納得した。
そして、焦る。
「(……この人、ルーンのお兄さん……!?)」
慌てて、フィルは立ち上がった。
「長に許可をもらって、様子を見に来た」
淡々とした声で、男性――ルーンの兄・リースレッドはルーンに告げる。
「様子って…、何も心配することなんてないわよ」
それを聞いて、ルーンは小さく息を吐き、フィルの方へと歩み寄った。
そして、彼にだけ聞こえるように小声で言う。
「……刻印の事は、兄さんには内緒ね」
フィルは一瞬だけ目を瞬かせ、何も言わずに頷いた。
そして、ルーンはそのままリースレッドの方を向き、フィルを紹介する。
「……紹介するわ、兄さん。彼はフィル。私の友達よ」
「は、はじめまして!」
部屋の中に、張りつめた空気が流れる。
リースレッドは、ルーンがフィルを紹介したあとも、すぐには何も言わなかった。
ただ、鋭い視線でフィルを上から下までなぞるように見つめている。
まるで――値踏みするように。
「…………」
「………、」
フィルはその視線を正面から受け止めきれず、無意識のうちに肩を竦めた。
背筋に、じわりと冷たいものが走る。
「(……こわい…)」
声を出していないのに、心の中ではそう呟いていた。
リースレッドは一歩、フィルの方へ近づく。
「…長が決定なされたことだ。文句はないが、本来ならば、この集落には人間…ダークエルフ以外の種族の立ち入りは許可されていない。これはルーンの願いだったからこそ叶えられたことだ。そうでなければ、お前のような人間、集落の外で魔獣どもの餌にしている」
低く、感情を抑えた声だった。
「兄さん」
ルーンがすぐに口を挟む。
「そんな言い方やめて。彼が怖がっているわ」
「…………」
リースレッドは眉をひそめ、ちらりとルーンを見る。
「ルーン、何故人間をここへ連れてきた。ここは、人間風情が足を踏み入れていい場ではないのだぞ」
その言い方には、はっきりとした不満が滲んでいた。
「兄さん、いちいち言い方がきついわ」
ルーンは小さくため息をつく。
「彼は、私と一緒に旅をしてるの。危ないことなんてしないわ」
「一緒に旅、だと?」
リースレッドは視線を再びフィルに戻す。
「…ルーン。何故、人間などに旅の同行を頼むんだ。同行者が必要だったのなら、この集落から誰か信用できる奴を連れていけばいいだろう」
「ダークエルフがぞろぞろ集団で外に出たら警戒されるわ。それに、この旅にはどうしてもダークエルフ以外の人の手が必要だったの」
「それなら、人間ではなく、せめてドワーフに頼め。俺が言っているのは、何故よりによって人間なんだということだ。人間など、信用に値する存在ではない」
その言葉に、フィルの喉がひくりと鳴った。
「(……なんか、凄い嫌われてる……)」
何か言おうとしても、言葉が出てこない。
この場所で、自分が“よそ者”だという事実が、改めて突きつけられる。
「兄さん」
ルーンの声が、少し強くなる。
「……私情を挟まないで。これは長様が決定したことよ。たとえ兄さんでも、口を出せることじゃないわ」
その一言で、リースレッドの動きが止まる。
「もうこれ以上、彼を悪く言わないで。もし次に彼を侮辱するようなことを言ったら、二度と兄さんと喋らないからね」
「っ、」
ルーンは腕を組み、じっと兄を睨みつける。
リースレッドは一瞬、言葉に詰まった。
「兄さん、私、もう子どもじゃないわ」
ルーンの声には、はっきりとした“鬱陶しさ”が滲んでいた。
「いつまでも守る側、守られる側って関係じゃないの。……いい加減わかって」
その言葉に、リースレッドは目を細める。
「……お前は、昔から無防備すぎる」
そう言ってから、彼は再びフィルを見る。
「だから、こういう人間に……」
「兄さん」
ルーンは、ぴしっと遮る。
「やめて」
部屋の空気が、ぴんと張りつめた。
フィルは二人の間に挟まれて、完全に居場所を失う。
「(……オレ、ここにいていいんだよな……?)」
足元が落ち着かず、視線も定まらない。
そんなフィルを見て、リースレッドは小さく鼻を鳴らした。
「……おい、覚えておけ」
彼はフィルに向かって、低く告げる。
「ルーンに何かあれば……その時は、俺は真っ先にお前を疑う」
フィルの心臓が、どくりと跳ねる。
「……っ」
声にならない息が漏れた。
ルーンがすぐに一歩前に出る。
「兄さん、脅すみたいな言い方しないで」
「脅しではない。忠告だ」
リースレッドは視線を逸らさない。
「……ルーンは俺たちの宝だ。集落にとっても、家族にとってもな」
その言葉に、ルーンは小さく肩を竦めた。
「……余計な真似はするな」
それだけ言い残して、踵を返す。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
+
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
フィルはようやく息を吐き、力なく肩を落とす。
「……怖…っ…」
思わず本音が漏れる。
ルーンはそんな彼を見て、苦笑した。
「ごめんなさい。兄さん、ああいう人なの」
「……オレ、あんな怖い人はじめてかも」
ルーンはバスケットをテーブルに置きながら、小さくため息をつく。
「……心配してくれてるのはわかるんだけどね。ちょっとだけ、ううん……だいぶ鬱陶しいのよ。過保護なのよ、兄さんは」
そう言って、パンを手に取り、一口。
フィルは、まだ少し緊張したままで頷くことしかできなかった。




