刻印・2
「……あの日、いつものように眠ってたんだ。でも、その日はなんだか嫌な感じがして……夜中に、ふと目を覚ましたんだ」
フィルはそう前置きして、視線を落とした。
ルーンは何も言わず、黙って聞いている。
「そしたらいきなり。前触れもなく……掌が、焼けるみたいに痛くなって」
フィルはぎゅっと右手を握りしめる。
「その瞬間に……刻印が浮かんだ」
喉を鳴らして、続きを言う。
「同時に、頭の中で……声がしたんだ。“こっちへ……こっちへ……”って」
その声は、耳ではなく、直接脳に響くような感覚だった。
「……それで、急に気持ち悪くなって。吐きそうで、息も苦しくて……ベッドにいられなくなった」
フィルは、かつて住んでいた城を思い出す。
夜の王城は静まり返っていて、廊下には誰の気配もなかった。
その中を、フィルは頭を押さえながら、ふらふらと歩き出していく。
「目的なんてなかった。気づいたら、足が勝手に動いてたんだ」
頭の中では、あの声が何度も響いている。
――こっちへ。
――こっちへ。
「……その間でも、掌の痛みと頭の声は続いてて、……しばらく歩いたら、耐えられなくなってきてさ…」
フィルはそこで言葉を切り、小さく息を吸う。
「……そのまま、倒れた」
気を失ったのは、一瞬だったのか、長かったのかもわからない。
「それで、次に目を覚ました時……吃驚したんだ」
フィルはゆっくりと顔を上げる。
「……周りに、兵士たちが倒れてたんだよ」
ルーンの眉が、わずかに動く。
「皆、動いてなくて……何故か、床には血が流れてた」
声は震えていなかったが、どこか乾いていた。
「オレ…何も覚えてなくて。何をしたのか、……どうして兵士たちが倒れているのか…っ」
ただ、その場で唖然としていた。
赤黒く光る刻印を浮かべたままの右手と、倒れた兵士たちに囲まれて。
「……その後すぐ、騒ぎを聞き付けた別の兵士たちに捕まった」
フィルは淡々と続ける。
「そのまま、父さんの前まで連れて行かれて……、父さんたちは刻印のことを知ってるみたいだった。この刻印を見て、父さんはオレに“兵士を殺した罪”を着せた」
無実だと叫んでも、誰も信じなかった。
信じてもらえなかった。
「……それで、気が付いたら…国を追い出されたんだ」
そこまで話して、フィルは黙り込んだ。
部屋の中に、重たい沈黙が落ちる。
ルーンはしばらく何も言わずにいたが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……本当に覚えていないの?自分が、何をしたのか」
「……ああ」
フィルは小さく頷く。
「オレはやってない。でも、その確証なんてどこにもなくて…。父さんたちに執拗に責められていくうちに、だんだん苦しくなってきて、…もしかしたら、オレが覚えていないだけで、本当にオレが兵士を殺したのかって思えてきてさ……」
ルーンは、テーブルの上の本とフィルの右手を交互に見つめる。
「……フィル、貴方は何もしていないわ。すべてはその刻印がやったの。刻印が“発動”した時に、意識を操られた可能性があるわ」
「意識を…操る?」
そう呟いた彼女の声には、はっきりとした警戒が滲んでいた。
「フィル」
ルーンはまっすぐ彼を見る。
「貴方は、あれを“自分の意志”でやったんじゃない。……それだけは、はっきりしてる」
フィルは、その言葉に少しだけ目を見開いた。
「……ルーン」
「だからこそ、この刻印の正体を突き止めなきゃいけない」
彼女は静かに、本のページを押さえる。
「大丈夫よ、フィル。私は、何があっても、貴方の味方だから」
ルーンは力強く頷き、テーブルに乗るフィルの右手に触れた。
そんな二人の姿を、継ぎ接ぎだらけのぬいぐるみは穏やかな表情を浮かべ、静かに見つめていた。




