夜の海は寒いよ
夜の海は、昼とはまるで別の顔をしていた。
月明かりを映した水面は静かに揺れ、船はその上を、音もなく滑るように進んでいる。
「……………」
甲板の手すりに手を置き、ルーンはじっと海の様子を見つめていた。
冷たい夜風が、髪を揺らす。
ブルーの気配はないが、油断はできない。いつでも戦えるようにしておかないと。
「………」
髪をかきあげて息を吐くと、その背後で、船内へ続く扉が小さく開く音がした。
「ルーン」
振り返ると、フィルが立っていた。
甲板に出てきたフィルに、ルーンは首を傾げる。
「フィル、どうしたの?」
「……眠れなくて」
そう言って、フィルは彼女の隣に並ぶ。
二人で並んで、同じ海を見つめた。
「船酔いは平気なの?」
ルーンが聞く。
「うん。今のところはね。ルーンの魔法のおかげかな」
「そう。よかった」
「っ、…夜は、やっぱり寒いな」
「ちょっとだけね。でも、私は好きよ」
少しだけ会話をし、しばらく、波の音だけが二人の間を満たす。
やがて、フィルがふっと息を吐いた。
「……あのさ、今朝のことだけど」
「今朝?」
「苦手な食べ物克服会」
「………ああ」
フィルが言うと、ルーンは眉をひそめる。
「“克服”なんて言わないで。ほとんど拷問だったわ」
「でも、ちゃんと食べてたじゃん」
「無理やりよ」
唇を尖らせる。
「もう二度とやらないわ」
不機嫌そうな横顔を見て、フィルは思わず眉尻を下げた。
「(……かわいい)」
場違いだと分かっていながら、そう思ってしまう。
いつもは大人びていて、冷静で、どこか遠い存在みたいなルーンが、今は自分の隣で、子供みたいに怒っている。
それが――
なんだか、特別なものを見ている気がして嬉しかった。
ルーンは海を睨むように見つめたまま、不意に気づいて振り返る。
「……何、笑ってるの?」
「……別に」
フィルは笑いを隠そうともせず、視線を逸らした。
その瞬間――
ドンッ。
船が、大きく揺れた。
「っ……!」
音と揺れに驚き、ルーンとフィルは顔を見合わせる。
ルーンの胸元のブローチが、青白く光り始めた。
「!」
――ブルーテイルが、反応している。
次の瞬間、水面が盛り上がった。
ばしゃあっ、と大きな波を立てて――
二人の前に、巨大な黒い影が現れる。
「オオオオッ!!」
船よりも大きな、水棲魔獣。
月明かりの下、その輪郭だけが、不気味に浮かび上がっていた。




