鉱山にて
ラ=パープルの町を出て、東へと伸びる道をひとり歩くシオンの足取りは静かだった。
潮の匂いが薄れていくにつれ、空気は冷たさを帯び、肺の奥まで澄んでいく。
やがて、岩山を穿つように開いた穴が見えてきた。
入口には倒れかけた木柵と、「立入禁止」と書かれた古い札。風に揺れるたび、札は乾いた音を立てた。
人の気配はない。だが、完全な静寂でもない。
耳を澄ますと、奥から微かに“きぃ……きぃ……”という、何かが擦れるような音が響いてくる。
「…………」
シオンは剣の柄に手をかけ、そのまま鉱山へ足を踏み入れた。
中は広く、天井も高い。壁に残る作業用ランプはすべて消え、代わりに、ところどころで紫がかった淡い光が滲んでいる。
壁や地面には、黒ずんだ紫の結晶が、血管のように這い回っていた。
自然の鉱石とは思えない、不気味な生々しさがある。
「…………」
シオンはしゃがみ込み、指を伸ばしかけて止めた。
……冷たい。
触れた瞬間、体温を奪われるような感覚が走った。
立ち上がり、さらに奥へ進む。
足元で小石が転がる音が、やけに大きく響いた。
やがて通路は二手に分かれる。
左は狭く下り坂。右は広く、闇が深い。
シオンは右を選んだ。
紫の光は、進むほどに濃くなる。
そして――彼は足を止めた。
前方に、蠢く影を見たからだ。
「……おい」
声を掛けるが、返事はない。
影は、ゆっくりとこちらを向く。
紫の光に照らされ、姿が浮かび上がった。
――人間だ。
だが、それはもう“人”ではなかった。
身体のあちこちに紫の結晶が食い込み、皮膚と一体化している。顔の半分は人のままだが、もう半分は鉱石に覆われていた。
「……う、うぅ…、か、かえ……りたい……」
掠れた声は、確かに人のものだった。
シオンは剣を抜く。
「……やはり、ここにはもう"人"はいないか」
一歩、踏み出す。
影――元鉱夫は、ぎこちなく歩き出した。結晶が擦れるたび、きぃ……きぃ……と嫌な音が鳴る。
「……さむ……い……」
胸の奥で、何かが静かに痛んだ。
「っ…、」
――ここにいたのは、ただの鉱夫だったはずだ。
助けられない。戻せない。
だが、放ってはおけない。
シオンは低く息を吸い、踏み込んだ。
剣閃。
だが刃は、肉ではなく“石”を打った感触で弾かれた。
「ちっ…!」
すぐに後退し、体勢を立て直す。
結晶と皮膚の境目――そこだけが、わずかに柔らかく見えた。
斜め下からの一閃。
ズン、と鈍い音。
ひびが走り、赤黒い液体が噴き出す。
「――ぁ……」
元鉱夫は膝をつき、そのまま崩れ落ちた。
近付くと、最後に掠れた声が落ちる。
「……おく……へ……いくな……」
「…………」
シオンは一瞬目を伏せ、そして奥へ視線を向ける。
奥へ行くな。
だが、依頼の品は奥にある。
「……悪いな。その忠告は俺には無意味だ」
シオンは歩き出す。
通路は広がり、紫の光が集まる大広間へ出た。
中央に、ひとつの巨大な結晶塊。
心臓のように脈打ち、淡く光っている。
「(…あれか)」
――核。
あれが、シオンが探していた"宝石"だった。
その瞬間、床の結晶が軋み、持ち上がる。
“中から”、何かが起き上がった。
鉱石と肉が混ざり合った巨体――
鉱山の“主”が目を覚ました。
「グオオオオッ!!」
「っ…」
シオンは剣を構える。
次の瞬間、腕が振り下ろされた。
轟音と衝撃。床が砕け散る。
シオンは跳び退いて、飛んでくる破片を弾いた。
「――あれが、鉱山に溜まった“澱”の成れの果てだ」
声が響く。
岩棚の影に、フードをかぶった人物が立っていた。
「……来るのが遅いぞ」
「すまない。野暮用を片付けていた」
鉱山の主が結晶片を弾丸のように飛ばす。
シオンは剣で弾きながら走った。
「魔獣に化けるなんて聞いてないぞ」
「依頼書には書いた。見ていないだけだろう。核は、危機を察知すると防衛機能が働く」
フードの人物は、核を指した。
「鉱山の主は、あれを守る殻にすぎない」
鉱山の主が突進する。
シオンは正面を避け、側面へ滑り込む。
「……人をあんな化け物に変えたのも、その防衛機能が招いた結果だって言うのか」
「変えたのではない。あれは“染まった”だけだ」
歯を食いしばる。
「……ふざけるな」
脚部へ剣を叩き込み、ひびを入れる。
「君は、以前の核のように、あれを持ち帰るか。それとも、今度は壊すか?」
その言葉と同時に、鉱山の主の胸部が開いた。
紫の光が脈打つ。
――核が露出する。
「っ…」
シオンは床を蹴った。
結晶の棘が肌を裂く。
それでも止まらない。
止まれない。
「はあっ!!」
剣を核へ突き立てる。
――ガンッ!
弾かれる。
だが、体重を乗せ、ひねる。
ピシ……ピシ……。
ひびが走り、次の瞬間――
パキン、と音を立てて核が砕けた。
「グオオオオッ!!!」
紫の光が爆ぜ、鉱山の主は咆哮しながら崩れ落ちる。
シオンは破片を掴み、跳び退いた。
――ドォン。
巨体が完全に崩壊し、光は霧のように消えた。
「はぁ、……っ、は…」
静寂。
荒い息の中、シオンは手の中を見る。
拳ほどの結晶。
紫の奥に、わずかに青が混じっている。
「手に入れたな」
フードの人物が、背後に立っていた。
「今回も壊さなかったな」
「……これを壊すわけにはいかない」
結晶を懐にしまう。
「もう二度と人を巻き込まないためにも、俺はこれからも"これ"を壊さずに回収していくさ。"彼女"に代わってな」
フードの人物は小さく笑った。
「やはり君は、私が何もしなくても自ら茨の道に入り込んでくれるな。面白い。改めて、君に決めて良かったと思うよ」
紫の光が、フードの奥で揺れる。
「次の依頼を出す時は、君たちがあの獣に残りのカラーの雫を飲ませたあとだ。それまで、ちゃんと生きていなよ」
「……………」
影の中へ溶けるように消える前、声が残る。
「覚えておくといい。君たちがあの獣にすべての雫を飲ませても、いずれ世界は一度歪み、すべてが無に帰すということを」
「…あの時のようにはさせないさ」
「……ふふ。期待しているよ、"シオン"」
そして、フードの人物は、シオンの前から完全に消えた。
踵を返して、ゆっくりとした足取りで外に出ると、空気は冷たく澄んでいた。
懐の結晶は、まだ微かに脈打っている。
「(あいつらには、見つからないようにしないとな)」
シオンは、ラ=パープルの方角を見つめ、小さく息を吐いた。




