船酔いに注意
「……というわけよ」
ルーンの言葉が途切れると、甲板に静けさが戻った。
潮風が吹き抜け、ブルーテイルの羽毛が小さく揺れる。
シオンはしばらく何も言わなかった。
そして、ふっと短く息を吐く。
「……なるほどな」
そう呟いてから、海へ視線を向けた。
「よくわかった」
声は低く、けれど重くはない。
ただ、ルーンの言葉を事実として受け止めた――そんな調子だった。
「ダークエルフの掟ってやつは初耳だったが、理解は出来た。…話してくれて感謝する」
ルーンは何も言わず、ただブルーテイルを撫でる。
「ブルーテイルと世界、そしてカラー。…それらはすべて繋がっていて、ひとつでも不調を起こせば均衡が崩れ始める」
シオンは肩に乗ったブルーテイルを見る。
ブルーテイルは、金色の瞳でシオンを見返し、「きゅ」と小さく鳴いた。
「……思ったよりも、この依頼は大変そうだな」
「だから貴方に頼んだのよ。探求者…それも、特S級の貴方と一緒なら、カラーの雫もすぐにこの子に飲ませてあげられるかもしれない。…だから、最後までよろしく頼むわね」
ルーンは口元を揺らませて、シオンの方に顔を向ける。
目を閉じて、シオンはただ頷いた。
波の音が、二人の間を満たしていく。
するとそこで――
「シオンー……」
かすれた声が背後から聞こえ、振り返ると、フィルがふらふらと甲板に出てきていた。
その顔色は青白く、今にも倒れそうだ。
「……うぅ。まだ、揺れてる……」
「おい、外に来るな」
「空気……吸いたくて……うぷ」
「船酔いが悪化するだけだからやめておけ」
シオンは呆れたように言いながら、フィルに近付いて肩を支える。
「ほら、戻るぞ」
「うぅ……」
そして二人は、船内へと消えていった。
彼らのやりとりを見たルーンは、小さく息を漏らす。
「……雫をすべて飲みさえすれば、あなたも、世界も、カラーも助かる。──それまで、頑張らないとね」
「きゅうっ」
頬を撫でると、ブルーテイルは元気よく鳴いた。
船は、変わらず南の大陸へと進んでいく。
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夜になり、船内は静まり返っていた。
波が船体を叩く低い音だけが、廊下に響いている。
「……えと、確か…ここよね」
ルーンはランタンの淡い灯りを頼りに、船室の前で足を止めた。
シオンに教えてもらった通りならば、中にはフィルが一人で休んでいるはずだ。
「…………」
そっと扉を開ける。
室内は暗く、ランタンの灯りで周囲を照らすと寝台の上でフィルが仰向けになって眠っていた。
顔色はまだ少し青白く、呼吸も浅い。
ルーンはベッドのそばまで歩み寄り、彼を見下ろした。
「……船酔い、酷そうね」
小さく呟いてから、彼女はそっと手を伸ばす。
フィルの額に触れ、静かに呪文を唱えた。
「――――」
淡い光が、ルーンの掌から溢れ、フィルの額に吸い込まれていく。
その温もりに、フィルの眉がぴくりと動いた。
「……ん……」
ゆっくりと目を開ける。
「……シオン?」
「あ、ごめんなさい。起こしちゃったかしら?」
「へ?…え、あ…ル、ルーン!?」
てっきりシオンが様子を見に来たのだと思い、フィルは少し油断していた。
声を聞いて、すぐ近くに彼女の顔があることに気付くと、彼は一瞬だけ目を見開く。
「な、なんで……ここに……?」
かすれた声で問う。
ルーンは少しだけ視線を逸らしてから、フィルに手を見せて答えた。
「少し思ったの。魔法で……船酔いの症状、和らげられないかと思って」
その言葉に、フィルは目を瞬かせる。
「……え……?」
「甲板で見た時の貴方の顔がとても辛そうだったから、なんとかできないかなって考えていたのよ。それで、もしかしたら治癒術ならなんとかなるんじゃないかなと思って」
淡々と言うルーンの顔を見て、次の瞬間、彼の頬がじわっと赤くなった。
「そ、それで…こんな時間に俺の部屋に…」
「嫌だった?」
「い、いや、そうじゃなくて……!」
慌てて首を振る。
「……ちょっと、びっくりしただけ……」
だけど、こんな夜に異性の部屋に来るなんて何を考えているのだろう。
そう思ったけど、フィルはその疑問を頭の片隅に置いて息を吐いた。
ルーンは、もう一度だけフィルの額に手を当てる。
「!」
「……気持ち悪さ、どう?」
「…………」
フィルはしばらく黙ってから、胸をおさえて正直に答えた。
「……うん。さっきより、楽……かも?」
「そう。よかった」
その一言は、とても静かだったけれど、どこかあたたかかった。
「……ありがとう……」
フィルは視線を彷徨わせながら、ぽつりと言う。
「どういたしまして」
ルーンは手を引っ込め、立ち上がった。
「まだ船旅は続くから、無理はしないでね。また辛くなったら、言ってくれれば魔法をかけてあげるから」
「……うん」
「それじゃあ、おやすみなさい、フィル」
踵を返し、ルーンは歩き出す。
ルーンが部屋を出ようとすると、フィルは少しだけ身を起こして、彼女の背中を見つめた。
「ぁ……」
何か言いかけて、結局、言葉にできずに――
ただ、彼女が扉を閉めるのを見送る。
「…………」
ランタンの灯りが消えたあとも、フィルの頬は、しばらく赤いままだった。




