第十三章
それから三ヶ月が過ぎた。
季節は春から初夏へと移り変わり、王宮の庭園には色とりどりの花が咲き誇っていた。薔薇の香りが風に乗って工房まで届き、窓から差し込む陽光は日に日に強くなっている。
私は宮廷筆頭仕立て職人として、充実した日々を送っていた。
王妃様のための華やかなドレス、重要な式典で着用される貴族たちの礼服、外国の使節をもてなすための特別な衣装――依頼は次々と舞い込んできた。そして時には、公爵の――
コン、コン。
軽いノックの音と共に、工房の扉が開いた。
「セレスティーナ」
アレクサンダが入ってきた。最近、彼は私を名前で呼ぶようになっていた。最初は「ローレンス嬢」だったのが、いつの間にか「セレスティーナ」に変わっていた。その変化が、私たちの関係の深まりを物語っている。
今日の彼は、執務服ではなく、少しくつろいだ装いをしていた。黒いシャツに濃紺のベスト。それでも、その存在感は変わらない。
「今日も仕事か?」
彼は、私が作業台に向かっている姿を見て、少し眉をひそめた。
「ええ、王妃様の新しいドレスの最終調整を」
私は手元の青いシルクから視線を上げた。王妃様の誕生日の祝賀会で着用されるドレスだ。すでにほぼ完成しているが、最後の刺繍を施しているところだった。
「根を詰めすぎるな」
アレクサンダは私の側に来ると、優しく私の手を取った。針を持ちすぎて、少し赤くなっている指先を、彼の温かい手が包み込む。そして、とても優しく撫でてくれた。
その仕草に、胸が温かくなる。
「心配してくださるの?」
私は、少し甘えるように尋ねた。
「当然だろう」
素っ気ない口調だが、その灰色の瞳は優しさに満ちている。最初に会った時の冷たさは、もうそこにはない。
彼は私の手をゆっくりと離すと、工房の窓際へと歩いていった。外を眺めながら、話題を変えた。
「ところで、聞いたか?ジェラルドとミレイユの処分が正式に決まったそうだ」
その名前を聞いて、私の手が一瞬止まった。
「......どうなったの?」
私は、針を置いて彼の方を向いた。
「財産没収の上、辺境への追放だ」
アレクサンダは、淡々と告げた。
「二人とも、一生、王都には戻れない。ジェラルドは貴族の爵位も剥奪された。今は、平民として辺境の小さな村で暮らすことになる」
複雑な気持ちだった。
十年間、私を苦しめた二人。憎んでいたはずなのに、今となっては、最後には憐れみさえ感じる。彼らは、自分たちの欲望のために、本当に大切なものを見失っていたのだ。
「後悔しているだろうな」
アレクサンダが、窓から視線を戻して私を見た。
「君という宝を、目の前にしながら見過ごしていたことを。もし彼らが君を大切にしていたら、今頃は名門の一族として繁栄していただろうに」
彼は、ゆっくりと私に近づいてきた。その足音が、静かな工房に響く。
そして、私の頬に、そっと手を添えた。
「俺は、見過ごさない」
その声は低く、それでいて確かな決意に満ちていた。
「アレクサンダ......」
私は、彼の名前を呟いた。もう、「公爵」とは呼ばない。二人きりの時は、いつもこうして名前で呼び合うようになっていた。
「セレスティーナ」
彼は、私の目を真っ直ぐ見つめた。その灰色の瞳には、何か特別な光が宿っている。
「君に、言いたいことがある」
私の心臓が、激しく鼓動を始めた。
「君と出会えて、本当に良かった」
彼の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「十年前、幼かった君を見た時、その聡明な瞳が忘れられなかった。そして再会した時、君は驚くほど美しく、そして強く成長していた」
アレクサンダの手が、私の頬から髪へと移動する。
「これからも、ずっと側にいて欲しい。君の才能を見守り、君の笑顔を守り、君と共に歩んでいきたい」
まだ、正式な求婚の言葉ではない。でも、その言葉に込められた想いは、十分に伝わってきた。これは、将来への約束。永遠の誓いへの、第一歩。
「私も......」
私は、涙を堪えながら答えた。
「貴方と出会えて、幸せです。こんなに温かい気持ちになれるなんて、思ってもいませんでした」
あの暗い十年間、私は愛されることも、大切にされることも、忘れかけていた。でも、アレクサンダが――この人が、全てを取り戻してくれた。
アレクサンダが、優しく微笑んだ。
その笑顔を見るたび、私の心は満たされる。最初は氷のように冷たく見えた彼が、今ではこんなにも温かく笑ってくれる。
そして、彼はそっと私を抱き寄せた。
強く、それでいて優しい腕の中で、私は安心感に包まれる。彼の心臓の鼓動が、私の耳に聞こえた。それは、私の鼓動と同じリズムを刻んでいる。
窓の外では、春の花が満開に咲いていた。
白い薔薇、ピンクの芍薬、紫のラベンダー――色とりどりの花々が、初夏の陽光を浴びて輝いている。蝶が舞い、小鳥たちが歌っている。
十年間の冬を超えて、やっと私の春が訪れた。
いや、もう春は過ぎて、夏が来ようとしている。明るく、温かく、希望に満ちた季節が。
その時、『星霜の記憶』が、静かに発動した。
でも今回は、過去の記憶ではなく――未来の記憶。
白いウェディングドレスを着た私の姿が見えた。月光糸で織られた、虹色に輝く美しいドレス。頭には、白い花の冠。そして、その隣で優しく微笑むアレクサンダの姿が――
彼は黒い礼服に身を包み、私の手を取っている。二人の周りには、祝福の花吹雪が舞っている。ライアンの笑顔も、エマの涙も、そして多くの人々の温かい眼差しも見えていた。




