第九話:穢れ獣と浄化の味覚
ドルヴァーン家の森の番人、エルウィン率いるレンジャーたちとの共同調査が始まった。俺たちは、彼らの案内の元、病んだ森――「穢れの森」へと、本格的に足を踏み入れた。
一歩、境界を越えた瞬間、世界から色が失われたかのような錯覚に陥る。生命力に満ちた緑は色褪せ、木々は黒い樹脂を涙のように流しながら、苦悶するように枝をねじ曲げている。なにより、空気が重い。俺の【霊脈味覚】が、腐った果実と錆びた鉄を無理やり混ぜ合わせたような、不快で歪なエーテルの「味」を捉え、絶えず頭痛を引き起こした。
「なんてことだ…ここまで酷いとは」
アストリッドも、屈強なドワーフである彼女ですら、肌を刺すような悪寒に思わず腕をさすっていた。
「気をつけろ。この森の獣は、もはやただの獣ではない」
エルウィンが、弓を片手に鋭く警告する。
「穢れたマナに当てられ、魂まで歪められた『穢れ獣』だ。知性も、痛みも、かつての習性すら失っている。ただ、破壊と汚染を撒き散らすだけの存在だ」
その言葉を証明するように、茂みから、数頭の巨大な猪が飛び出してきた。だが、その姿は異様だった。体毛は抜け落ち、皮膚はどす黒く変色している。両目からは、瘴気のような紫の光が放たれ、その涎は地面をじゅうじゅうと溶かしていた。
「来たか!」
レンジャーたちが矢を放ち、アストリッドが戦斧を構えて前に出る。しかし、穢れ獣の動きは予測不能で、異常なほどタフだった。アストリッドの強力な一撃が脇腹を捉えても、まるで痛みを感じていないかのように、さらに凶暴に牙を剥いてくる。
「ダメだ、アストリッドさん! そいつらの弱点は、もう心臓じゃない!」
俺は、頭痛に耐えながら【霊脈味覚】を研ぎ澄ませ、穢れ獣のエーテルの流れを分析していた。正常な生命体が持つ滑らかな循環とは違う。奴らの体内には、穢れたマナが結節した、いわば「癌」のような塊があった。
「右肩の付け根! そこに酸っぱくて苦い『味の塊』があります! そこが奴らの、新たな核です!」
「なにっ!?」
半信半疑ながらも、エルウィンが即座に俺の指示に反応した。彼女の放った矢が、吸い込まれるように一頭の猪の右肩を射抜く。
「グルォォォ!?」
これまでどんな攻撃にも耐えていた穢れ獣が、初めて甲高い悲鳴を上げた。動きが、明らかに鈍る。
「本当だったとはな! 全員、あの小僧の指示に従え! 弱点は右肩だ!」
アストリッドの雄叫びと共に、戦況は一変した。弱点を的確に突かれた穢れ獣たちは、次々と地に伏していった。
戦闘後、レンジャーたちの俺を見る目が、明らかに変わっていた。疑念は消え、今は驚きと、僅かな敬意すら感じられる。
「君のその力…ギフトか。我らが精霊の力とは違う、真実を見抜く目を持っているのだな」
エルウィンが、素直な感心を口にした。
俺は、倒れた穢れ獣の亡骸を調べていた。その穢れた組織を、指先に少しだけ付けて舐める。
「おい、リオン! 何てものを口にしてるんだ!」
アストリッドが慌てて止めに入るが、俺は構わずその「味」を分析していた。
(この穢れは、単一の味じゃない。複数の要素が、最悪の形で組み合わさっている。だとしたら…この不協和音を打ち消す、『調和の味』を見つけ出せれば…)
この森を浄化する「解毒剤」は、強力な聖水や魔法じゃないのかもしれない。あるいは、最高の酒を造るように、完璧なバランスの「何か」をぶつけることで、中和できるのではないか。俺のソムリエとしての魂が、そう告げていた。
俺たちは、穢れの源流を辿り、森のさらに奥深くへと進んでいく。
やがて、開けた場所にたどり着いた。そこには、天を突くほど巨大な、一本の古の巨木が立っていた。しかし、その幹は黒く染まり、枝からは粘つく黒い雫が滴り落ちている。この森の病の、発生源。
そして、その木の根元で、一体の魔獣が、静かに眠っていた。
鹿のような、優美な角。森の緑を映したかのような、美しい毛皮。本来なら、この森の守り神とでも言うべき、気高い精霊獣だったのだろう。
だが、その体は半分が穢れに侵され、瞳からは、絶え間ない苦痛と憎悪を宿した、紫の光が漏れ出ていた。
俺たちの存在に気づき、森の元・守護者は、ゆっくりと身を起こす。
そして、天を震わすほどの、悲痛な咆哮を上げた。
それは、助けを求めるような、それでいて、全てを拒絶するような、絶望の叫びだった。
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