第八話:緑の森と不協和音の味
「鉄壁の迷宮」での冒険を終えた俺たちは、ツェルバルク領の武骨な宿場町を後にして、南へと続く街道を旅していた。目指すは、
ドルヴァーン家が治める広大な森林地帯 。その最奥にあるという「星屑の泉」。アストリッドの伝説の鉱石を鍛えるための聖水と、俺が求める新たな酒の材料が、そこにはある。
数日かけて旅を続けると、世界の景色は劇的にその姿を変えた。ツェルバルク領の荒涼とした岩山は次第に低くなり、代わってどこまでも続くかのような緑の海が、俺たちの眼前に広がった。
「おいおい、木が多すぎやしねえか。息が詰まりそうだ」
生まれ育った**山岳州**の岩と洞窟に親しんだアストリッドは、鬱蒼とした森が少し苦手なようだった 。
対照的に、俺の心は高揚していた。【霊脈味覚】が、未知の植物や土壌から放たれる、無数のエーテルの「味」を捉えていたからだ。蜂蜜のような甘い樹脂の味、ミントのように清涼な若葉の味、そして雨上がりの土のような、ミネラルを豊富に含んだ水の味。その全てが、俺の創作意欲を刺激した。
やがて、ドルヴァーン領の入り口を示す、苔むした古い石の門をくぐる。空気が変わった。ただ清浄なだけではない。森全体が、一つの巨大な生命体のように、穏やかで、力強いマナで満ちているのを感じる 。
俺たちが森の小道を進んでいると、不意に、木々の間から数人の人影が現れた。鋭い目つきをした、緑衣のレンジャーたちだ。その佇まいから、彼らがドルヴァーン家に仕える森の番人であることが知れた。
「止まれ、旅人。この先へ進むには、森の許しが必要だ。名と目的を告げよ」
リーダーと思しき金髪の女性エルフが、静かな声で言った。
「私は山岳州のアストリッド。こっちは相棒のリオンだ。森の奥にあるという『星屑の泉』を目指している」
レンジャーのリーダー、エルウィンは俺たちを値踏みするように見つめると、やがて、困ったように眉をひそめた。
「星屑の泉、か。あいにくだが、今、泉へ至る道は病に蝕まれている。森が、病んでいるのだ」
彼女の話によると、数週間ほど前から、森の一部で木々が枯れ、動物たちが凶暴化し、水が濁るという奇妙な現象が起きているらしい。ドルヴァーン家の誇る
樹界精霊との交信でも、その原因は分からず、ただ森が「苦しんでいる」ことしか分からないという 。
俺は、エルウィンに許可をもらい、病んだ森の入り口へと足を踏み入れた。途端に、鼻をつく腐敗臭と、肌を刺すような淀んだエーテル。俺の【霊脈味覚】が、強烈な不快感を捉えていた。
(なんだ、これは…? 毒じゃない。呪いでもない。まるで、美しい音楽に、不協和音が混じり込んだような、気持ちの悪い味だ…)
正常な森のエーテルが奏でる調和の取れた味に、明らかに異質な、酸っぱくて、耳障りなノイズが混じっている。そのノイズの発生源は、さらに森の奥深く。星屑の泉の方角からだった。
「この森の病は、何者かが持ち込んだ『異物』が原因です。土壌や水に根を張り、この森本来のマナの流れを、根本から乱している」
俺の分析に、レンジャーたちは驚きの表情を浮かべた。
「小僧、お前に何が分かる」
「分かりますよ。俺は、ソムリエですから。最高の味を創るためには、ほんの僅かな不純物も見逃さないのが、仕事なんです」
エルウィンは、俺のただならぬ様子に、何かを感じ取ったようだった。
「…我々も、その『異物』の正体を突き止めようと、調査隊を組んでいるところだ。もし、お前たちの言うことが真実で、我々に協力してくれるというのなら、泉への道を案内してやらんこともない」
それは、新たな冒険の始まりを告げる、試練の提案だった。
アストリッドが、俺を見てニヤリと笑う。
「面白えじゃねえか。どうやら、美味い酒にありつくには、一仕事片付けなきゃならねえらしいな」
こうして俺たちは、ドルヴァーン家のレンジャーたちと、病んだ森の調査に同行することになった。
その先に、どんな腐敗した味覚と、危険な魔獣が待ち受けているのか。俺は、少しの恐怖と、それ以上の好奇心と共に、森の深淵へと視線を向けた。上の好奇心と共に、森の奥深くへと視線を向けた。
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