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第十七話:過去からの客と、決別の酒

 自由都市リューンに滞在して、一月が過ぎた。

 アストリッドは、鍛冶師ギルドの最奥にある地脈の魔導炉に籠りきりだった。星屑の泉で焼き入れされた伝説の鉱石、星銀鋼を、彼女は寝食も忘れて打ち続けている。時折、俺が差し入れる滋養のあるスープと、簡単なエールだけを口にして。


 その間、俺は俺で、自分の「作品」と向き合っていた。市場の隅で手に入れた、あの絶望的に不味い『嘆きの塩』。俺は、その塩が持つ、悲しみの味の奥底に眠る、純粋な「旨味」の核を、どうにかして引き出せないかと、試行錯誤を繰り返していたのだ。

 そして、ついに、一つの答えにたどり着いた。塩の悲しみを、果実の生命力で中和する。ライネスティア領産の甘い白ブドウを使い、塩水の中で特殊な酵母で発酵させる。いわば、この世界で初めての「貴腐ワイン」に近い製法だ。


 アストリッドが、ついに鍛冶場から出てきたのは、月の美しい夜だった。

 その手には、一本の、神々しいまでの輝きを放つ戦鎚が握られていた。星銀鋼でできた頭部は、内部に星空を宿したかのように青白く煌めき、竜骨で作られた柄には、アストリッド自身の手による緻密なルーン文字が刻まれている。

「できたぞ、リオン。こいつが、私の魂だ。名は、『星砕き(アストロブレイカー)』」

 彼女は、やり遂げた職人の、最高の笑顔をしていた。


「おめでとう、アストリッドさん。なら、祝いの酒を」

 俺は、この日のために用意しておいた一本のボトルを取り出した。琥珀色に輝く、デザートワインだ。

「こいつは…」

「ええ。『嘆きの塩』を使って、塩分の中で極限まで糖度を高めたブドウで造りました。塩の悲しみが、ブドウの甘みを、至高の領域まで引き上げてくれたんです」

 俺たちが、新たな傑作の誕生を祝して、グラスを合わせようとした、その瞬間だった。


 バンッ!


 宿屋の部屋の扉が、乱暴に蹴破られた。

 そこに立っていたのは、身なりは良いが、その顔には深い疲労と焦燥を刻みつけた、見覚えのある男。俺を追放した、かつての雇い主、バルト卿だった。

「リオン! やはり、お前だったか!」

 彼は、噂を頼りに、俺をここまで追いかけてきたらしい。その目は血走り、かつての傲慢な姿は見る影もなかった。

「頼む、リオン! 戻ってきてくれ! お前がいなくなってから、領地のブドウが、どういうわけか、全く味のしないものに…! ワインが、ただの酸っぱい水になってしまったのだ!」

 彼は、俺に駆け寄ろうとするが、その前に、アストリッドが立ちはだかった。

「どこのどいつだい、あんた。人の祝杯に、泥を塗るんじゃねえよ」

 その手には、完成したばかりの『星砕き』が、静かな怒りを発している。


 俺は、アストリッドを手で制すると、静かにバルト卿に向き直った。

「バルト卿。あなたは勘違いしている」

「な、何だと?」

「あなたは、俺の造る酒の味が、理解できなかった。いえ、しようともしなかった。あなたの求める酒と、俺の求める酒は、決して交わることのない、別の道にあるんです。今、俺があなたの元へ戻ったとしても、俺が造る酒は、あなたの口には、もっと合わなくなっているでしょう」

「金ならいくらでも払う! 地位も名誉も与えよう!」

「必要ありません」


 俺は、きっぱりと告げた。

「俺にはもう、この最高の相棒と、彼女が造り上げた、この最高の芸術品があります。そして、これから、この鎚の誕生を祝う、最高の酒を飲む。…残念ですが、この祝杯に、あなたを招く席はありません」

 俺は、バルト卿に背を向け、アストリッドの持つグラスに、琥珀色の液体を注いだ。その甘く、複雑で、そしてどこまでも優しい香りが、部屋に満ちる。


 バルト卿は、その光景を、ただ、呆然と見つめていた。

 やがて、彼は、自分が決してこの輪には入れないことを悟ったのだろう。何も言わず、力なく踵を返し、部屋を出ていった。


「…いいのかい、リオン?」

「ええ。俺の過去は、今、あの扉の向こうに消えましたから」

 俺は、自分のグラスを掲げた。

「さあ、仕切り直しといきましょう。我らが傑作の誕生と、新たな旅の始まりに。乾杯」

「ああ、乾杯だ!」

 グラスが触れ合う、澄んだ音。

 俺たちの、本当の旅は、ここから始まるのだ。

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また、同じ世界観で紡がれる別の物語もございます。あわせてお楽しみいただけましたら、この世界の奥行きをより一層感じていただけるはずです。


同世界観→「転生悪役令嬢イザベラ、婚約破棄も魔法も筋肉で粉砕します!」https://ncode.syosetu.com/n8606kt/

新連載→「魔王軍の法務部」https://ncode.syosetu.com/n6390ku/


作者マイページ→「月待ルフラン」https://mypage.syosetu.com/1166591/

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