第十四話:森の別れと、星空の雫
穢れの根源だった古木に、瑞々しい若葉が芽吹いたのを見届けた後、俺たちはエルウィンに導かれて、彼女たち森エルフの集落で、数日間の歓待を受けることになった。
そこでの食事は、驚きの連続だった。花の蜜をソースにした木の実のソテー、清らかな湧水だけで煮込んだ滋味深い根菜のスープ。どれもが素材の「味」を最大限に引き出した、繊細で、優しい料理だった。
「どうだ、リオン。お前さんの酒の肴に、悪くないだろう?」
宴の席で、アストリッドが楽しそうに笑う。彼女の隣では、エルウィンが優雅に果実水を口に運びながら、俺に微笑みかけていた。
「君の言う『調和』の哲学は、我ら森エルフの料理にも通じるものがある。君なら、きっと、この森の恵みを、我ら以上に活かすことができるだろう」
彼女の言葉は、最高の賛辞だった。
数日後、旅立ちの朝が来た。俺たちの荷物は、来た時よりも遥かに豊かになっていた。アストリッドは焼き入れを終えた伝説の鉱石を、俺は星屑草と星屑の泉の聖水を。
集落の入り口で、俺たちはエルウィンと向き合った。
「エルウィンさん、本当に、世話になりました」
「礼を言うのは、我らの方だ。君たちがいなければ、この森は今頃、沈黙していただろう」
アストリッドが、少し寂しそうに尋ねる。
「お前さん、一緒に来ないのか? お前さんの弓と、リオンの分析があれば、怖いもんなしだぜ」
その問いに、エルウィンは、静かに首を横に振った。
「私の居場所は、この森だ。森を守り、森と共に生きることが、私の使命であり、喜びだからな」
彼女の翡翠色の瞳には、微塵の迷いもなかった。だが、彼女は続けた。
「だが、我らの縁が、これで終わりというわけではない。森は、受けた恩を忘れはしない。いつか、君たちが我らの助けを必要とする時が来れば、このエルウィン、風の如く駆けつけよう」
彼女は、俺とアストリッドに、餞別だと言って小さな包みを渡してくれた。アストリッドには、光の糸で編まれた、軽くて丈夫な弓弦を。俺には、触れると清涼な香りを放つ、数種類の珍しい森の種を。
「君の言う『調和』の、新たな材料として使うがいい」
森の番人たちに見送られ、俺たちは再び旅路に戻った。
その日の夜、街道脇で野営をしながら、俺は、どうしても、試さずにはいられなかった。
星屑草と、星屑の泉の水。この二つが合わされば、一体どんな「味」が生まれるのか。
俺は、小さな蒸留器を取り出し、慎重に、泉の水で星屑草のエーテルを抽出していく。アルコールは、ごく僅か。素材の味を、最大限に引き出すために。
最後に【時酵】のギフトで、全ての要素を完璧に調和させる。
完成したのは、小瓶の中で、まるで本物の星空のように、無数の光の粒子がまたたく、幻想的なリキュールだった。
「アストリッドさん、一口だけ」
俺が差し出したスプーンの上で、一滴の雫が、星のように輝いている。
アストリッドは、それを、ごくりと飲み込んだ。
次の瞬間、彼女の瞳が、これまでにないほど、大きく見開かれた。
「……なんだ、こりゃあ…」
彼女の体から、旅の疲労が、すうっと消えていくのが分かった。マナが、魂が、その清らかな味で浄化されていく。
「味が、ない…? いや、違う。ありとあらゆる、全ての『美味い』の味が、同時にする…。まるで、魂で、星を飲んでるみてえだ…」
その時、偶然通りかかった、ツェルバルク領へ向かうという一人の商人が、俺たちの持つ小瓶から放たれる、ただならぬ香りに気づき、足を止めた。
「お、お客様…もしや、それは、伝説の…?」
俺は、気まぐれに、その商人に、一滴だけ、リキュールを分けてやった。
商人は、それを口にした瞬間、その場に崩れ落ちるように膝をつき、わんわんと泣き始めた。
「私は、バルト様にお仕えして20年…! これまで飲んできた、どんな高価な酒も、この一滴の前では、泥水に等しい! なんという、なんという神の雫だ…!」
商人は、俺に名前を尋ねたが、俺はただ、静かに笑って首を振るだけだった。
商人が去った後、アストリッドが、俺に尋ねた。
「なあ、リオン。この酒の名前は、なんて言うんだ?」
俺は、星空が溶け込んだような小瓶を見つめながら、答えた。
「まだ、名前はありません。これは、始まりの一滴ですから」
俺の脳裏には、まだ見ぬ無数の食材と、それらが織りなす無限の「味」の可能性が、広がっていた。
俺たちの、本当の旅は、この一滴から始まるのだ。
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