第十二話:星屑への道と、三つの覚悟
古き鹿王アルセオスの祝福を受け、俺たちの前には、これまで見えなかった、木々の間に続く、光に満ちた小道が現れていた。それは、物理的な道というより、森の木々や光そのものが、俺たちを導くように形作った、聖域へのいざないだった。
一歩、その小道に足を踏み入れると、空気がさらにその密度を変えた。俺の【霊脈味覚】が、もはや「味」という言葉では表現できないほどの、純粋で、清らかで、そして複雑な情報の奔流に満たされる。花の蜜、夜明けの空気、磨き上げられた水晶、そして、遥か彼方の星々が瞬く音。そんな、ありとあらゆる「美しい味」が、俺の魂を直接揺さぶってきた。
「すごい…この道、歩いているだけで、マナが浄化されていくようだ」
俺が感動に打ち震えていると、エルウィンが、どこか誇らしげに、しかし厳粛な口調で言った。
「ここは、森の聖域。泉は、自らを選んだ者しか受け入れない。この道は、その最初の試練だ」
光の粒子が舞う小道を進むと、やがて、開けた場所にたどり着いた。そこには、物理的な壁は何もない。だが、俺たちの前には、まるで水面のように揺らめく、透明な光の帳が、行く手を阻んでいた。
「泉の番人だ。自らの目的を、その魂の言葉で語り、覚悟を示さねば、道は開かれない」
エルウィンの言葉通り、光の帳から、人の形をした、葉と光でできた古代の精霊が、静かに姿を現した。
『何故、聖なる泉を求める? その魂が抱く、真の願いを述べよ』
精霊の言葉は、音ではなく、直接、俺たちの脳内に響いた。
最初に、アストリッドが前に進み出た。
「私は、ドルム・ガンドの鍛冶師、アストリッド。亡き師匠を超える、最高の鎚をこの手で打ち上げる。そのためには、最高の鉱石と、それを鍛える最高の水が必要だ。これは、私の誇りと、師匠への誓いだ!」
彼女の言葉に、嘘偽りはなかった。職人としての、純粋で燃えるような情熱。精霊は、静かに頷いた。
次に、エルウィンが、弓を胸の前で交差させた。
「私は、森の番人、エルウィン。穢れに蝕まれた同胞を、そして、この愛する森そのものを、救いたい。泉の聖なる力で、穢れの根源を断ち、森に再び調和を取り戻す。それが、私の使命であり、願いです」
森への、深く、利他的な愛情。精霊は、再び、静かに頷いた。
最後に、俺の番が来た。二人の美女の、気高く、真剣な眼差しが、俺に突き刺さる。
(まずい、俺の目的は「最高の酒を造りたい」だ。こんなところで通用するのか…?)
だが、ここで嘘はつけない。俺は、覚悟を決めて口を開いた。
「俺は、リオン。ソムリエです。俺は、この世界のあらゆるものを使い、誰も飲んだことのない、究極の一杯を造りたい」
精霊の光が、わずかに揺らめいたように見えた。
「それは、ただの欲望ではないのですか?」俺は続けた。
「この世界は、美しいものと、醜いものが混じり合っている。調和もあれば、不協和音もある。俺がアルセオスを救えたのは、穢れという『不協和音』に対して、石ころカエルの苦味という、別の『不協和音』をぶつけることで、新たな『調和』を生み出せたからです」
俺の言葉に、熱がこもっていく。
「俺の求める酒造りも、それと同じです。異なる素材、異なる風土、異なるエーテルを、完璧なバランスで組み合わせ、グラスの中に、一つの完璧な『調和の世界』を創り出すこと。それは、人の魂を癒し、明日への活力を与える力になると、俺は信じています。星屑草と泉の水で、俺は、ただの薬酒ではない、魂を浄化する一杯を、必ずや、造り上げてみせます」
俺が言い終えると、精霊は、その光を、これまでで最も強く、輝かせた。
『…面白い。欲望のようでいて、その根底にあるのは、調和への祈り。よかろう、人の子よ。汝らの覚悟、確かに、泉へと届けよう』
その言葉と共に、光の帳が、すうっと、静かに消え失せた。
目の前には、どこまでも続く、光の道。そして、その遥か先から、滝のように降り注いでくる、星々のエーテルの「味」。
「…行ったぞ、リオン! お前さん、弁が立つじゃねえか!」
「君の言う『調和』、私たちエルフの思想にも通じるものがある。興味深い」
アストリッドとエルウィンが、感心したように、俺の背中を叩く。俺は、照れくささで、顔が熱くなるのを感じた。
俺たちは、顔を見合わせ、笑い合う。
そして、聖域の最奥、星屑の泉を目指し、光の中へと、再び歩みを進めるのだった。
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