第十一話:二輪の華と浄化の祝杯
穢れの王と化していた森の主、古き鹿王アルセオスは、今はただ、穏やかな寝息を立てていた。その巨体を覆っていた禍々しい紫の瘴気は消え、苦痛に歪んでいた表情は、安らかな眠りへと変わっている。
森を覆っていた不快な「味」は薄れ、代わりに、雨上がりの土のような、澄んだ空気が俺たちの肺を満たした。
「信じられない…アルセオスを、殺さずに救うなど…」
エルウィンと彼女の率いるレンジャーたちが、畏敬の念のこもった眼差しで俺を見ていた。
「君は、ただの旅人ではないな。森に選ばれた客人だ。我らの守り神を救ってくれたこと、ドルヴァーンの民として、心から感謝する」
エルウィンが、エルフ族に伝わる古式の礼で、俺に深く頭を下げた。その際、編み込まれた黄金色の髪がさらりと流れ、普段は隠れている白いうなじが、焚き火の光に照らされて艶めかしく見えた。
その夜、俺たちはアルセオスが眠る古木の側で、勝利と浄化を祝うささやかな宴を開いた。
「こういう時に、最高の酒がないのは、ソムリエとして失格ですからね」
俺がそう言うと、アストリッドが豪快に笑った。
「出たな、お前さんの酒キチぶり! いいぜ、期待して待っててやる!」
焚き火の光を浴びた彼女の笑顔は、健康的で、生命力に満ち溢れていた。鍛え上げられた肩のライン、戦いの熱気で上気した頬、そして何より、一点の曇りもない快活な笑い声。無骨な戦士だと思っていた相棒が、ふとした瞬間に見せる、太陽のような眩しさに、俺の心臓は不意を突かれて妙な音を立てる。
俺は平静を装い、即席のハーブリキュールを造り、三つのカップに注いだ。
右手には、陽光の如き神秘的な美しさを持つエルウィン。左手には、炎のように猛々しくも温かい魅力を持つアストリッド。俺は、タイプの全く違う二輪の華に挟まれ、どうしようもなく居心地の悪さと、そして、場違いな高揚感を覚えていた。
「…これは」
エルウィンが、優雅な仕草でカップを口に運び、その翡翠色の瞳を驚きに見開く。彼女のふっくらとした唇が、リキュールの雫で僅かに濡れているのが、やけに目に焼き付いた。
「ただの薬草酒ではない。水と、森と、そして人の技が、完璧に調和している。まるで、精霊の奇跡のようだ」
「がはは! 小難しいことは分からねえが、五臓六腑に染み渡る美味さだ! 疲れが全部吹っ飛んじまうぜ!」
アストリッドは豪快に一息で飲み干し、「おかわり!」と空のカップを差し出す。その屈託のなさが、また別の種類の魅力となって俺の心をかき乱す。
(ダメだ、落ち着け俺。右を見ても左を見ても、眩しすぎる…!)
酒瓶とグラスしか相手にしてこなかった俺にとって、この状況はあまりに刺激が強すぎた。
酒を酌み交わしながら、エルウィンは俺たちに**「星屑の泉」について語ってくれた。
「星屑の泉は、この森の心臓であり、始まりの場所。その水は、あらゆる穢れを浄化する聖なる力を持つ。あの古木を救うには、泉の水を持ち帰り、その根に注ぐしかない」
彼女は、俺とアストリッドの目的も、改めて確認する。
「アストリッド、お前が持つその鉱石は、泉の水で焼き入れをすれば、間違いなく伝説級の武具となるだろう。そしてリオン…お前が求める究極の材料も、そこにはある。泉のほとりには、マナの穢れを払う『星屑草』**が咲き乱れているからな」
最高の鎚と、最高の薬酒。俺たちの目的は、この森を救うという使命と、完全に一つになった。
翌朝、体力を回復させたアルセオスが、俺たちに道中の加護を約束してくれた。祝福を受け、俺たちの前には、これまで見えなかった、光に満ちた小道が現れる。
「泉が、お前たちを呼んでいる。さあ、行こう」
先頭に立つエルウィンの、引き締まった腰つきと、歩くたびに揺れる陽光のような金髪から、目が離せない。そして、俺の隣で戦斧を軽々と担ぎ、新たな冒険に目を輝かせるアストリッド。
俺は、その二人に挟まれて歩きながら、道の先から感じる、圧倒的に清らかで、甘美なエーテルの「味」に、ごくりと喉を鳴らした。
「…こんな味は、知らない。まるで、液体になった星空を飲むようだ」
「上等じゃねえか。最高の酒の材料が、俺たちを待ってるってことだろ?」
アストリッドの快活な声に背中を押され、俺は決意を新たにする。この美女二人にいい格好を見せるためにも、必ずや、究極の一杯を造り上げてみせると。
俺たちの旅は、新たな期待と、少しばかりの邪念を乗せて、光の中へと続いていくのだった。
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