ダイダロスは覗けない
そう、あれは確か小学生だった頃のことだ。理科の授業で教師が雑学を披露するというありふれた光景。
「キミたちは月を見たことがありますか?」
当たり前じゃねぇか。月なんて見たことあるに決まってるだろ。心の中でそう呟き、キツネっぽい顔の男性教師を睨みつけるように見つめた。どういう顔だったかは思い出せるのに、この教師がなんて名前だったか思い出せない辺り時の流れってやつは恐ろしい。
「当然見たことありますよね。ウサギがお餅をついてる姿を何度も目にしたことがあるはずです。でもね、みなさん疑問に思ったことはありませんか?」
「何をだよ先生」
勿体ぶった言い方に、若干イライラが溜まっていた俺は思わず聞き返す。理科の教師はその言葉を待ってましたとばかりに、神経質そうな顔に笑顔を張り付けた。
「では高戸君に聞きましょう。君は満月の時にウサギの餅つき以外の姿を見たことがありますか?」
「ない、けど……」
思わず歯切れが悪くなる。確かにあのウサギに見える特徴的な黒っぽい影しか見たことがなかった。言われるまで気が付かなかった当たり前の日常に潜む疑問。こういったものは俺の大好物だ。思わず口角が上がる。
「月はこの地球と同じ球体です。ですが地球との自転と公転の関係上、地球から見た月はいつも同じ面だけなんです。つまり地球にいては肉眼で月の裏側を見ることが出来ないのです」
「じゃあ月の裏側を誰も見たことないのか」
「昔の人は、ですね。今はロケットがあります。月の裏側を写した写真で見ることが出来ますよ。そうそう。面白い話を一つ。月の裏側にある一番有名なクレーターにはダイダロスというギリシア神話由来の名前がつけられているんですよ。さあ授業の続きです」
そう言って黒板に向かってチョークを走らせていく。正直そこから先の授業内容は覚えていない。俺の頭の中は月の裏側とダイダロスのことでいっぱいだった。
夜空を見上げれば簡単に見ることが出来る月。けれども俺たちに見せるのは同じ顔だけで、決して裏の顔を見せようとしない。だがそれは人間だって同じかもしれない。誰だって他人に見せたくない顔の一つや二つはあるものだ。それを覗き見るには、それこそロケットで宇宙に飛び出すくらいの何かが必要なのかもしれない。
つまりはそう。ダイダロスは覗けない。
じわじわとした湿気と暑さによる汗のダブルパンチで大分不快指数が高い。梅雨明けから数日が過ぎたばかり。まだまだ連日の雨の影響が残っている。せめてこのウザいジメジメさえなくなりゃちっとはマシだってのに。
エアコンが効いてることを願いながら、あの日佳蘭に連れてこられた喫茶「TONHNKS」の扉を開ける。ひんやりとした風が顔に当たった。個人店だからどうだかと思ったが、これなら快適に過ごせそうだ。
いつも通り里中のじいさんはカウンターの向こうで新聞を読んでいる。何回か来ているからマスターの名前くらい流石に名前覚えた。
「いらっしゃい。佳蘭さんはいつもの所ですよ」
「オウ。アイスコーヒー。ブラックで」
「ありがとうございます」
パッと注文を済ますと、そのまま佳蘭の待つカラオケルームを目指す。いつもの流れだ。
カラオケルームに入ると佳蘭がソファーに座って紅茶を飲んでいる。いつもなら文庫本を読んでいるところだが、その日は珍しくスマホを弄っていた。
「よう。珍しいな。お前がスマホだなんて」
「わたしだって現代人よ? スマホくらい人並みには使うわ」
「そうかい。魔女なんて名乗ってるんだ。てっきりそういうのは苦手なモンかと」
じとりとした非難の視線をさらりと受け流し、佳蘭の対面に座る。物語で出てくる現代の魔女は大抵機械音痴だ。てっきり佳蘭の奴もそうかと思ったが、あの口ぶりじゃあ本当に使えるのだろう。
「ステレオタイプね。まあわたし自身デジタルよりもアナログの方が好きよ。けれども現代に生きている以上デジタル製品は必須。なにより文明の利器の恩恵を受けないって凄く勿体ないことでしょう?」
「まあそうだな。あるモンは使わなきゃ勿体ない」
俺の言葉に佳蘭は「でしょう?」と薄く微笑み紅茶を一口含む。ピンと伸びた背筋。ゆったりと迷いなく口元へと運ばれたティーカップ。カップをソーサーに置くカチャンという音すら完璧で、ほんの少しだけ癪に障る。
コンコンという扉を叩く音。暫くして里中のじいさんが俺の分のアイスコーヒーを持ってきた。
「ごゆっくりどうぞ」
一礼して部屋から出ていった里中のじいさんを尻目に、適当にストローを突っ込む。鼻孔を突き抜けるようなローストの香りと、キンッと引き締まるかのような冷たさ。爽やかな苦味が口の中に広がる。ベタつく嫌な暑さが洗い流されるようで思わず息が漏れた。とはいえそろそろ頃合いだろう。
「で、今日は一体なんの用だ?」
「そろそろ今後の具体的な方針を決めようと思ってね」
その言葉を聞いて思ったことは、「やっとか」だった。これまで何回か佳蘭と会っているが、そう実りのある会話が出来たとは思っていない。後で必要になるから金を貯めておけやら単位のこと。鉄平の通っていた大学やら学部、それと所属サークルを聞いてきたくらいだ。
「あれから色々と「月光」について調べてみたわ。結果はなんの情報も得られなかった。ネットで検索してみてもそれらしいものはナシ。この路線で調査を進めていくのは現時点では厳しいわね」
「まあそうだろうな」
ネットで調べるくらいは俺でも出来る。同じようにそれらしい検索結果は出てこなかった。そもそもあの「月光」という本はこの世に一冊しかない。出てくるはずもない。
「八方塞がりで無理です。なんてことを伝えるために呼んだんじゃねぇだろ?」
「勿論。だから視点を変えて、高戸の復讐という方向性で動こうと思っているの」
「へぇ……」
正直その視点は全く考えたことはなかった。確かに一歩動き出す予感がする。もしかしたら「月光」についても情報が得られるかもしれない。
「具体的には?」
「あなたの幼馴染、有馬鉄平さん。彼がどうやって「月光」という本を手にすることが出来たのか。気になってこない?」
「確かにな」
言われてみれば気にはなる。どこぞで買ったのか、はたまた図書館とかで借りたものなのか。もしかしたら誰かに譲られたのかもしれない。俺の復讐に、繋がる可能性が高い。
「有馬さんてSI大学の文学部でオカルトサークルに所属していた、で合ってるかしら?」
「ああ。人伝に聞いた話だが、正しい情報だと思う」
アイツが高校の時に進学予備校に通っていたのは知っている。そのままマジメに勉強を続けていたんだろう。SI大学っていやそれなりに名前の知れた大学だ。文学部ってのも納得できる。まあオカルトサークルってのはちょいとばかり意外だったが、まあそこまででもない。充分ありえる範疇の話だ。
「よかった。これで違うってなったら流石のわたしでもキレるところだったわ。これを見てちょうだい」
ずいっと差し出された佳蘭のスマホ。覗き込んでみると、話題にしていたSI大学のオカルトサークルのホームページが映し出されていた。大分昔に作られたものだろう。パソコンで見ることを前提にして作られているせいか、スマホからじゃあ若干見にくい。いかにも素人が作りましたって感じのシンプルなデザインのおかげで、まあ見にくいのはご愛敬ってことで目を瞑れる。まだまだ現役なのか、更新頻度は低いものの先月にはヘンテコな動画が一本アップされていた。
「メールフォームがあったからコンタクトを取ってみたの。何通かやりとりしてアポイントを取れたわ。名目上はこのサークルが持っている資料の閲覧という形でね」
「マジか⁉ いや、マジかよ……」
そういや忘れていたぜ。この久留主佳蘭という女、その教授の研究に興味があるっていうだけで、知り合いのいない他所の大学にまで顔を出すアグレッシブさを持っていることに。
「期間は五日。その間に出来る限り高戸の幼馴染の足跡を辿るわよ」
「いや、ここからSI大学まで結構な距離あるぜ。五日間だろ。どうするつもりだ?」
「わたしは近くのビジネスホテルに泊まるつもり。お金貯めておくよう伝えたはずよ。あなたも現地で宿を探しなさい」
「マジか……」
怒涛の展開すぎてさっきから「マジか」しか言えていない。本来なら佳蘭の宿泊代も俺が負担するのがスジってもんだろう。だがここで完全無料で最後までという条件が活きてくる。この依頼にかかる経費の類いは、全額佳蘭が負担してくれるという。以前の話し合いで確認したことだ。
ただあくまで佳蘭の分だけで、俺の分は自分でなんとかしろという。流石の俺もそこまでおんぶに抱っこじゃ気が引けるというもの。幸いなことに、ここしばらくのパチンコや麻雀で多少の軍資金は用意出来ている。最悪俺一人ならネカフェにでも泊まればどうとでもなる状況だ。
あとは大学の出席だけだが、それもなんとかなるっちゃなんとかなる。田畑と加藤に代返頼めばそれでいい。あいつらのことだ。五千円くらい渡せば喜んでやるだろう。
「俺の方は問題ねぇよ。乗り込むか。SI大学によ」
「決まりね」
佳蘭はにやりと口元を挑発的に歪める。大方探偵気分で、どう動くか考えているのだろう。かくいう俺も場違いながらも興奮している自分がいた。鉄平は幼馴染とはいえ大学はおろか高校すら違う。俺の知らない鉄平の人生を知るチャンスに嬉しさと、そしてもう二度と会うことが出来ない寂しさと悲しみがやって来る。幾つもの感情と俺の復讐の行方に、心臓が高鳴るのを自覚していた。
そして時間は過ぎていく。
※
SI大学オカルトサークルの部室は、小さな会議室くらいの大きさだった。壁際の大きな本棚にはビッシリと書籍やら手作りだろう資料が敷き詰められている。表向きの、俺たちの目的。
「はじめまして。KN大学から来ました久留主佳蘭と高戸和也といいます」
どでんと部室の中央に置かれたどでかいテーブルに座る五人に向かって、佳蘭は外向きの笑顔で微笑む。
「わたしたちは文化人類史を専攻しており、卒論で「民間伝承と人々との繋がり」をテーマに研究しています。こちらのサークルでは各地の伝承について、かなり深い所まで研究していたと伺いました。是非ともその資料を拝見させていただきたくこうしてお邪魔させていただきました。短い間ですがよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる佳蘭に合わせるように俺も頭を下げる。オウオウよくここまでそれっぽく嘘を並べ立てられるな、と思わず感心してしまう。頭を上げると好奇の視線が突き刺さる。
もじゃもじゃと癖の強い天パに黒縁眼鏡。いかにもオタッキーといった風貌の男が口を開く。
「こちらこそよろしく。おれはこのサークルの代表竹中です。一応ここにいるので部員は全員かな。自己紹介は各自で」
あらためてオカルトサークルのメンバーを観察する。竹中含めたオタクっぽいやつが二人と、神経質っぽくて童顔の男が一人、それと不機嫌そうにスマホを弄っている金髪の男で合計四人。このサークル内で唯一の女は、オカルトなんて胡散臭いモンとは無縁そうなザ・女の子って感じ。茶髪のショートで普通に可愛いから余計に違和感がある。
「いや、メールのやりとりの時にも思ったけどさ。わざわざ来なくても、必要な資料を教えてくれたら郵送したし、なんならPDFもあったのに」
「いえ、こういうのは直接手に取った方が確実ですから」
にこりと微笑んだ佳蘭の顔に思わず見惚れたのか、顔を赤くして誤魔化すように左右に振る。オタクらしい女慣れしていない仕草。そんな竹中が視界に入ってないのか、無視するように童顔が身を乗り出した。
「初めまして僕は長瀬悠。久留主さんてもしかして本は紙派?」
「そうね。電子の気軽さも便利ですが、やっぱり手に持つ感触や、ページをめくる楽しさがある分紙の方が好きですね」
「だよなだよな! やっぱ小説は紙に限るよ」
したり顔で頷く長瀬に、最初にあった神経質そうな雰囲気はない。おうおう佳蘭のやつ随分と歓迎されてるじゃねぇか。にしても俺は蚊帳ってわけかい。苦笑いと共に心の中で不満を漏らす。まあここにいる奴らの大半と俺は毛並みが違う。そういう対応も仕方ないっちゃ仕方ないだろう。なによりこれからのことを考えるなら、むしろありがたいくらいだ。
「オレは有川、以上。なあもういいだろ竹中さん。こっちも暇じゃないんだ。いくぜ」
「忙しいところ悪いね、森川。大丈夫、今日はありがとう」
唯一俺と同類そうな金髪男の森川は、不機嫌さを隠そうともせず乱暴に鞄を掴むとそのまま部室から出ていった。流石の俺もその態度にゃムカつく。ちらりと佳蘭を見ればこいつも気に入らないのだろう。軽く眉をひそめていた。
「すまないでござるな。森川氏はここしばらく虫の居所が悪いでござる。あれでも去年までは中々に見所のある若者だったでござるが」
「まああんなことがあったから、今は多少はね。こうして来てくれただけでもありがたいよ」
竹中はやれやれと諦めの入った表情で首を振る。一瞬サークル内に重い空気が流れる。竹中が漏らした「あんなこと」っていうのはおそらく鉄平の自殺についてだろう。空気を読まず突っ込むか?
「ごめんなさい。ぼくもこれからバイトがあって行かないと。桃生緋沙子っていいます。二人ともよろしく! 今日はあれですけど、ここには結構顔を出してるので、仲よくしてくれると嬉しいです」
申し訳なさそうにぺこりとお辞儀するこのサークルの紅一点。まあ大学生にバイトは付き物。なにより森川と違って、本当にすまなさそうなのが伝わってくるから不快感はない。
「桃生ちゃんもお疲れ様」
「まあバイトは致し方ないでござる。桃生殿も忙しいところ悪かったでござるな」
扉の前でこっちに向かって名残惜しそうに頭を下げると桃生は出ていった。これで二人いなくなり残りは三人。なんともまあ物寂しいもんだ。とはいえオカルトサークルなんてこんなモンかもしれない。
「……まあ今のでわかったかもしれないけど、おれたちはこんな感じにゆるーくやってるから、久留主さんの期待しているような話は出来ないと思う」
「このサークルが活発だったのはもう何年も昔でござるからなぁ。久留主殿たちお目当ての、この本棚の資料もOBたちが残したものでござるし。おっと失敬。拙者としたことが完全に失念していたでござるよ。拙者品野というもの。以後お見知りおきを」
そう言って屈託のない笑顔を向ける。喋り方はヲタクというか癖強すぎでキモいが、どうやら悪い奴ではなさそうだ。さっきの桃生も自分のことを「ぼく」なんて言う女だし、オカルトサークルらしく変人が集まってくるのかもしれん。ここが鉄平がいた場所の一つ……。
「じゃあ今はどういった活動を?」
佳蘭の純粋な疑問に、竹中と品野はパァと目を輝かせる。おいおい、そりゃ悪手だぜ。オタクなんてもんは語りだしたら長くなるもんだからよ。
案の定竹中と品野は俺たちに「こっちに来てもらえるかな?」なんて部屋の隅にポツンと置かれたデスクトップパソコンまで誘導する。溜息一つ分佳蘭に遅れて付いていく。にしても完全にタイミングを逃した。今更鉄平のことであろう「あんなこと」について蒸し返すのは不自然極まりない。……まあいい。五日もあるんだ。いずれ聞くチャンスはあるだろう。
二人に促され俺たちはモニター画面を覗き込む。それはクソ田舎に行けばどこにでありそうな田んぼに白くウネウネとしたものが蠢いている動画だった。
「なんだこりゃ」
「高戸くんは知らない? くねくねっていうんだけど」
「くねくねねぇ。確かにそんな感じの動きしてるっちゃしてるが」
竹中の言葉にもう一度よく見てみる。俺が知っている生き物のどれにも該当しない、それでいてその動きはどこかグロテスクさすら感じた。
「八尺様と同じ、ネットから出てきた都市伝説でござるよ。なんでもくねくねを見た者は、発狂し精神に異常をきたすという話でござるな」
「最近うちの大学で出るって噂になっててね。まあ所詮は噂でしかない話だと思うけど」
「そうでしょうね。わたしも今聞いただけだけど、バジリスクの矛盾と同じ感じがするわ。十中八九創作だろうし、その噂もきっと誰かが流した嘘でしょ」
「お! バジリスクの矛盾とはなんでござるか?」
「怪物バジリスクは見た者を殺す巨大な毒蛇とされているわ。古くは古代ローマの文献にも記述があったくらい歴史の古い怪物なんだけど、時代が進むにつれてその設定や大きさはどんどん盛られていったわ。ルネサンス期にもなると、それだけ恐ろしい怪物ならバジリスクを見て生き延びた人間はいないはずだと皮肉られてしまっている。これがバジリスクの矛盾よ」
佳蘭の解説に思わず「へぇ」と言葉が漏れた。ようはあれだ、怪談話なんかでよくある「ここから生きて帰ってきた者はいないという」ってやつだ。誰も帰って来た奴がいないなら、どうしてそんな詳しい話が残っているのかというシンプルな矛盾。今回のくねくねだって同じだ。見た奴が狂っちまうなら、どうしてそんな話が残っているのか。まあ間違いなく創作だし、その噂も誰かが適当に言いふらしただけだろう。
「おー久留主殿は博識でござるな」
「本当。びっくりしたよ。まあそんな噂が流れていたし、いい機会だと思ってこの動画を作ってみたんだよね」
「これ二人が作ったの?」
驚き目を見開く佳蘭。かくいう俺もマジでビビった。この白いくねくねが、明らかにCGで作られたものだっていうのはわかる。わかるが普通に見れるもので、素人が作ったようなものなんざ大抵見れたもんじゃない。だからこそ、その出来に関心した。
「いやマジで凄えわ。つーかなんでお前らオカルトサークルなんだよ。こんなの作れるくらいなら映像研に入るべきだろ?」
「いやー高戸殿の言う通りでござるが、甘いでござるよ」
「高戸くんはさ。超常現象解明ファイルってテレビ番組あったの知ってる?」
「あーあったなそんな番組。ネッシーとかビックフットとかの写真や映像紹介してたよな?」
「そうそれそれ! ああいうの滅茶苦茶わくわくしなかった?」
「まあ気持ちはわかるぜ。俺も男だからな」
隠された世界の謎や、まだ見ぬ未知なる神秘に心躍らされた時期は確かにあった。まあそういうのが全部ヤラセだっていうのを知ってからは寧ろ冷めた目で見るようになって、段々興味も失せていった。
「ネットが発達して、より未確認生命体の動画がアップされるようになったでござる。拙者も楽しんで見てたでござるよ。ヤラセだって気付く前は」
品野は残念そうに声のトーンを落とす。まあそういうのは本物で、現実に存在しているんだと思っているうちが華だ。真実を知っちまえば途端に色褪せる。
「そう。今ネットにアップされている動画はどれも編集したものばかり。むしろ専門学生が自分の編集技術をアピールするために作ってる場合が殆どだってさ。流石にちょっと、萎えるよね。おれたちがわくわくしたものが、実は単なるアピールの道具でしかないってさ」
「まだ悪戯ならいいでござるよ。世間をワッと驚かせたかったで、拙者たちはそれに騙され夢を見せられた。それはそれで浪漫があるでござるよ。単なる自己アピールは流石に気に食わないでござる。だからこそ拙者たちは映像研ではなくオカルトサークルなんでござるよ」
「オカルトが好きでそれを調べてる奴らが本気で作ったヤラセ動画。それってさ、凄く面白いと思うんだよね」
にやりと挑発的な笑みを浮かべる竹中と品野に、思わず俺は感心してしまった。こういうこだわりを持った奴の話を聞くのは面白くて好きだった。喫煙所や飲み屋にいるオヤジの語る苦い経験談に近いものがある。鉄平も俺と同じでこういう話を聞くのが好きなタイプだった。こいつらみたいなのがサークルの代表やってりゃ、そりゃ気に入るわけだ。
「ありがとうございます。とても素敵なお話でした」
にこりと、花のようななんて言葉が似あう笑顔を浮かべる佳蘭。そのままついと視線を本棚に向けた。それで言いたいことが竹中たちに伝わったんだろう。慌てて二人は「ごめんね!」「すまないでござる!」と謝りつつ離れた。ほら悪手だったろ? オタクに語らせたら長えんだよ。とはいえここで佳蘭がブッタ切ったのはいいタイミングちゃいいタイミングだ。
「オウ。ちょっくら吸ってくるぜ」
「そう。いってらっしゃい」
簡素な佳蘭の言葉を背に、俺はこの部屋を後にする。向かったのは校舎の外の喫煙所。今どき喫煙者に厳しい世の中だが、こういう場所はなくならない。下手に全面禁煙なんぞやろうものなら隠れて吸う奴が絶対出てくる。だったらそういう場所を用意した方が管理しやすいってもんだ。
外の喫煙所に着くと、講義終わりなのか何人かのスモーカーが屯していた。俺は胸ポケットから煙草の箱を取り出し一本咥える。そしてライターを取り出しそうとして、わざとらしく慌てる。そのままポケットをまさぐりつつ、おまけにパンパンとズボンを叩く。
「スマン。ライター忘れてさ。悪ぃけど火ぃ貸してくれね?」
「お、いいぜ」
屯ってた連中に声をかけると快くライターを貸してくれた。一言お礼を言うと、煙草に火を付けライターを返す。勿論ズボンのポケットの中にはお気に入りのオイルライターがある。忘れたっていうのは嘘だ。喫煙者同士にしか通じないやりとりっつーものがある。
「いやー。助かった助かった」
「お前見ない顔だな。最近吸い始めた奴か? にしちゃ結構渋い銘柄吸ってんじゃねぇか」
「あ、マルメンか? 変なフレーバーもねぇし、そこまでメンソが強いわけでもねぇ。無難に王道的な旨さがあるんだよ」
ライターを貸してくれた奴とニコチントークで盛り上がる。全くの初対面の奴と絡む時の一番の関門は話しかけるきっかけだ.。ライターを失くしたなんて喫煙者にとっちゃ珍しくない。知らない奴に「煙草一本寄越せ」は図々しい頼み事だが、ライターぐらいなら気軽に貸してくれる。後はそれきっかけに話を膨らめていけばいいだけ。
事前に佳蘭と話し合ってたことだ。あいつが調べものをしながらオカルトサークルの内部を調べ上げる。不真面目そうな見た目の俺ならいくらサボっても不自然じゃない。そのキャラを利用して自由に動き回り鉄平の情報を調べていく。つまり今の状況は作戦通りってことだ。
「まあ俺この大学じゃねぇから知らないのも当然ちゃ当然の話だな。ちょっとばかし人を探してるんだよ」
「へぇ。もしかして借金の取り立てか? 誰探してるんだよ」
「有馬鉄平って奴。あんた知らね?」
目の前の男の空気が変わった。へらへらと他人事を遠巻きから面白おかしく眺めている傍観者の雰囲気から、鋭く観察するような目つきで俺を睨みつけてくる。
「お前、そいつのなんなんだよ?」
わかってる。こいつは、こいつは鉄平のことを知っている。嘘をつくことだって出来た。適当な理由を、それこそあいつに借りてた金を返すためだっていい。それでも俺は、睨みつけてくるようなその目に、真正面から向き合った。
「幼馴染で大切な、ダチだった。知ってるだろ、アイツが本当はどこにいるのか」
「知っている」
「アイツが、鉄平が今までどうしていたのか知りたいんだ。なんであんなことになったのか、その原因はきっとそこにある気がする。だったら俺はそれを知りたい。知らなきゃいけねぇ」
ポンと肩に置かれた右手。目尻が下がり、まるで俺を気遣うような表情。多少真実が混じっていたとはいえ、演技に随分熱が入っちまった。なんとなく気まずくなって、誤魔化すように煙草を一口吸う。
「有馬とは、同じ学部の同級生ってやつだった。時々一緒に煙草吸うくらいには仲が良かったよ。もう講義もないしな。いいぜ、俺の知っていることなら話してやる」
鉄平の奴、煙草吸ってたのかよ。らしくねぇな。どうせ電子煙草だろうが、ガチでらしくねぇ。あの頃からはまったく想像出来なかったことだ。
「アイツ……。鉄平はなんの煙草吸ってたんだ?」
「色んなものに手を出してたな。最終的には電子に落ち着いてたけど。そうそうお前が吸ってるマルメンも吸ってたぜ」
おいおい。まさか鉄平が煙草吸い始めたのって俺の影響かよ。そういや昔、アイツの前でバカスカ吸ってたもんなあ。馬鹿だぜ鉄平の奴、俺みたいなクズの真似するなんてよ。
「なあ。そういう話、まだあるか?」
「ああ。他にもさ——」
こいつも、誰かと鉄平とのことについて話したかったんだろう。そこまで仲がいいと言えるような関係じゃなかったかもしれない。たまたま同じ大学で同じ学部。一緒に飯食ってこうして煙草吹かす。それで時々遊んだりするくらい。話を聞いてる限り、数あるツレの一人。その程度の関係だった。だがこいつにとってはそれが当たり前の日常で、ある日突然壊れてしまった。ぽっかり欠けた当たり前に、心が追い付かなくなる。少し前の俺と同じように。
悲しい思い出話に花が咲く。
もう少しで夜の八時を過ぎる頃。まだまだ夜はこれからで、人によっちゃあ今から一日が始まるなんて奴もいるだろう。まだ今日という日は残されている。
俺は今、佳蘭の泊まるホテルに来ていた。物珍しくもないありきたりなビジネスホテル。佳蘭と同じ部屋で寝泊まりするってことはない。別に佳蘭の倫理観はイカレちゃないし、俺だってそう。事が済めば目星つけといたネカフェに行って、そこで休むつもりだ。
単純にその日あったことの報告会だ。最初は適当な居酒屋でいいんじゃないかと言ったが、他人がいない所がいいという理由で佳蘭に断られた。まあ話す内容が内容だ。コイツがいいって言うなら俺は構わない。
ホテルに備え付けられている小さな机には椅子が一つしかなく今は俺が座っていた。佳蘭はベッドに腰掛け、ペラペラとノートを捲って今日書き留めたことを見返している。それを見て俺は小さく溜息を漏らす。俺のことを信用しているのか、はたまた襲われてもなんとかなると思っているのか。まあ襲うつもりなんぞサラサラねぇし、どうだっていいが少し気になった。
「わたしの方は特になにもなかったわ。むしろ初日と二日目はサークルメンバーとの交友関係を深めるための期間と割り切ってる。高戸の方はどう?」
「俺の方は若干進展があったぜ。鉄平と同じ学部の奴と知り合えた。鉄平の行きつけの本屋とかアイツの行動範囲がだいたい絞りこめたぜ。明日はその辺りを周ってみるつもりだ」
鉄平がどうやって「月光」という本を手に入れたのか。ワンチャンどこかの本屋、おそらく古本屋で買った可能性も捨てきれない。教えて貰った本屋は大手チェーン店で、可能性としちゃかなり低いがそれでもだ。
「そうね。捜査の基本は可能性を潰すところから始まるわ。そっちの方面はよろしく頼むわね。それにしても同じ学部の誰かから借りたって可能性は考えなかったの?」
「それはないと判断した。文学部の奴なんざ本好きに決まってる。誰かに貸す前にテメェが先ず読むだろ?」
「確かにそうね。ひとたび読んでしまえばあの本から逃れられない。そうなれば辿る結末は一つよ」
「もう一つ。「月光」の危険性を理解した上で、誰かが悪意を持って鉄平に渡したパターン。話を聞いた感じじゃイジメの類いはなかった。だから同じ学部の誰かからという線はないと判断した。なんかあるか?」
「ないわ。そうね。そうなると明日の高戸の結果次第だけど、あのサークルが怪しいと見た方がよさそうね」
鉄平は、あのオカルトサークルに結構入り浸っていたらしい。怪しいのはあそこのメンバー五人でほぼほぼ決まりでいいだろう。明日の散策はそれを確実にするためにいくようなものだ。
唇に指を当て考え込んでいた佳蘭はふうと溜息を漏らす。そのままリラックスするようにベッドに手をついて座りながら上体を反らすと柔らかく微笑んだ。
「それにしてもまさかここまで高戸が有能だと思ってなかったわ。今まで一人でやってきたけど、誰かと一緒にっていうのも悪くはないわね」
「俺の場合は当事者だからな。そりゃガチで動くに決まってんだろ」
どうでもいいことならいざ知らず鉄平のことだ。いくら俺といえど普段使わない部分もフル活用する。言っちゃ悪いが佳蘭とはモチベが違うわけだ。
「明日は互いに別行動になるわね。会うとしたら、この報告会かしら?」
「そうなるだろうな。今日と同じ時間でいいか?」
「いいわ。じゃあまた明日ね」
佳蘭と別れホテルを出る。まだまだ夜は元気で、俺と同じくらいの奴らが練り歩いていた。これから飲みにでも行くのかカラオケか。まあどっちでもいい。俺には関係ないことだ。
ようやく見上げることが出来るようになった月を眺めながらネカフェに向かって歩く。真っ黒な夜空にぽっかり空いた丸い月。満月までは若干早い。別に詳しくないから適当だが、この調査期間が終わる頃には綺麗な円を描いている頃だろう。
僅かだが、それでも確実に進んでいる感覚。俺は俺の親友を死に追いやった存在を許せない。あの日、「月光」を初めて読んだ日の思いをもう一度胸に刻み込み、夜の街を歩いて行った。
*
歩きっぱなしで足が重い。これだったらどっかでチャリでも借りればよかったと今更になって後悔する。額に滲んだ汗を雑に拭って空を見上げれば赤みがかっていた。時計を見れば夕方五時を少し回ったところ。少し前に比べりゃ大分日が伸びたな、なんて関係ないことを思う。
わかっていたとはいえ散々な結果に思わずデカい溜息が漏れた。今日一日歩き回って収穫はゼロ。鉄平の行きつけは、別に珍しくもない町の本屋だった。店の大部分は漫画に占拠されていて、その半分ちょいの小説の棚。雑誌と児童書に受験対策の教材、それと文房具とかの雑貨類が置いてあった。よくある感じで、なんなら地元にだってこういう本屋はある。
古本屋の方はもっと最悪で、全国規模の大手チェーン店。まあ店の名前聞いた時から思ってはいたが、こんな所に呪いの本なんぞあるわけがない。むしろあった方が別の意味で怖いレベル。それでも店内を一通り物色はしたし、なんなら古本屋では店員に聞いてもみた。まあ結果はお察しの通り。
もし「月光」のような呪いの本が置いてあるとするなら小汚くて胡散臭い店だろう。鉄平の奴はレトロ趣味的なところがあったし、たまたまそういう店を見つけて物怖じせず入って行って「月光」を購入した、なんて普通にあり得る話だ。
とはいえそんな店も見当たらなかった。アイツの行動範囲の隅々まで歩いて探したし、怪しい店もないと判断していいだろう。鉄平はガチガチのインドア派だし、決まり切ったルーティーンで生きてるような奴だった。教えて貰った行動範囲から大きく逸脱することはまずない。
丸一日歩き回って出た結論が、鉄平が「月光」という本をどこかで買ったという可能性はない。たったこれだけ。明らかに労力に対して結果が釣り合ってない。思わず大きな溜息が出た。
「にしても、この後どうするか」
まだ佳蘭との報告会には二時間以上ある。晩飯にはかなり早いし、適当なラーメン屋で学割頼むつもりだ。安くて旨くて腹も膨れるが、時間は潰せない。さっきは「どうするか」なんて独り言を零したが、俺みたいな人種にとってこういった時の暇潰しなんぞ一択だ。
ジャカジャカと頭ン中麻痺しそうな騒音とキンキンに冷えた店内。適当に見つけたパチンコ屋に足を踏み入れた。
ゆっくりスロットのシマを見て回る。平日の昼間なだけあって客の入りはそう多くない。俺みたいな大学生くらいの若い奴らが大半で、あとはジジババくらいのものだった。
適当に空いてる台のデータを見ながらのんびり歩いていく。折れ線グラフから当たった時の爆発力を。前日前々日の当たり方から傾向を。そして回転数で今の台の状況を把握していく。中々これといった台は見つからない。まあ良い台がなきゃ、最悪漫画コーナーにでも行けばいい。気楽なもんだ。
角まで進んで次のシマに移動すると、どこかで見た顔を見つけた。初めて来た土地で、知り合いなんているはずがないんだが一体誰だ? 目を細め注視する。あー確か森川だ、オカルトサークルの。初っ端で雑な自己紹介だけして帰っていったから逆に印象に残っていた。
台のデータを確認するフリをしながら、森川の様子を覗き見る。叩きつけるようにストップボタンを押していて、イラついているのが見て取れた。熱くなりすぎていて俺の存在に気付いてない。
バシバシ勢いよく回しているが、森川の座っている台に当たりがくる気配はない。回転数を見れば天井まで結構遠い上に、台の挙動からロクな設定が入ってないのがソッコーでわかった。これじゃ仮に当たったとしても単発で終わりだろう。
明らかに回収台だってわかりそうなもんだが、気付かないもんかねぇ。勉強不足に頭に血が上り過ぎて何も見えてはいないのだろう。ギャンブルやってりゃよくあることだ。
無視するように次の台のデータを確認する。ピキンと俺の直観が反応した。素早くデータボタンを押して詳細情報をチェックする。へぇ、面白そうじゃねぇか。ニヤリと口元を歪め、座ろうとして気が付いた。ゲ、これバレファンじゃねぇか。暇潰しじゃ済まねぇぞ。
俺が座ろうとした台の機種バレンタインファンタズム、通称バレファンは所謂オタスロと呼ばれるものだ。アニメ調の可愛い女の子が大量に出てくるオタク向けのスロット台。そのくせ馬鹿みたいに爆発する時があるから、オタク以外の層にも人気があり中々の名機だ。かくいう俺も何度も打ったことがあるし、好きな台の内の一つ。
俺の予想する挙動を取るようなら二時間なんかじゃ圧倒的に足りない。閉店までノンストップで打ち続けるレベルで、勿論佳蘭との報告会に間に合うわけがない。悩む。本気で悩む。まーじどうするか……。
「おい」
「あ?」
いきなり話しかけられ森川は不機嫌そうに顔を歪め、俺の顔を見た瞬間ポカンと空白が生まれる。おそらく俺と同じように見たことあるが誰だかわからず記憶を漁っているのだろう。そんなこと気にせず俺は続けた。
「そんな台に突っ張るくらいなら、こっちの方がマシだぜ」
「は?」
いきなりで意味がわからないのだろう。森川は間抜け面を晒している。まあ普通こんなこと言われることねぇからその反応も無理はない。
本気で悩んだ俺が出した結論が、森川にあの台を勧めることだった。ぶっちゃけ顔見知り以下の関係値しかねえのに、こんな話すること自体マナー違反だがそこは無視する。調査が終わればここに来ることなんぞないし知らねぇ。
「打つ打たないはお前の判断に任せる。当たっても当たらなくても俺は知らん」
それだけ言って俺は足早にそこのシマを抜けて別の台を漁りに行く。これは布石だ。今日の探索でオカルトサークル内部が怪しいという結論が出た。つまりここからは部員との交流が重要になるということ。
初日で帰った二人、森川と桃生。その内桃生の方はまだいいが、森川のあの態度じゃまともに交流なんぞ出来ないだろう。ただあいつがあの台を打つようなら色々と芽が出てくる。交流の接点になるし、バレファンのことだから当たれば大爆発。当然気を良くして口も滑りやすくなる。
ある意味でギャンブルだ。森川がバレファンを打つか打たないかで二択。更にそれが爆発するかしないかの二択。まったくパチ屋に行ってそれ以外のギャンブルやるなんぞ酔狂にも程がある。
打ち慣れたハッピーピエロのシマに移動して、偶々空いてたそれなりに良い台に座り込み千円突っ込む。さっくり一万勝ってその日は終了。時間的にもまあベスト。今から報告会へ行きゃ丁度いいだろう。
あいつが泊まるホテルに到着すると、何故か佳蘭はげっそりとした表情を浮かべていた。ベッドに座り込み頭を抱えている佳蘭を尻目に、昨日と同じ椅子に腰を下ろす。珍しいな、コイツがこんな顔してるの。まだロクな付き合いこそないが、ぐったりした佳蘭なんぞイメージがなくて割とガチで意外だった。
「どうしたよ」
「いやちょっとね。……人間関係っていうか男って面倒っていうのを再認識しただけよ」
「いや、ガチで何があったよ」
「森川わかる? 初日に自己紹介だけして帰った人なんだけど。あの人にウザ絡みされてね。それがあんまりにも気持ち悪かったから、強く拒否っただけよ」
ははーん。佳蘭に振られた腹いせでパチ屋行ったのかよ。にしても森川の奴、佳蘭に手を出そうとしたのか。なんつーか度胸があるというか自惚れ野郎とでも言えばいいのか。
「とはいえナンパする男をあしらうなんぞ、お前のことだから慣れたもんだろ?」
「そんなことないわ。あんまりわたしに言い寄ってくる男なんていなかったもの」
「へぇ。意外だな。見てくれはいいからてっきりモテまくってるもんだと思ったぜ」
すっきりとした目鼻立ちに透き通るような白い肌と、胸こそないがほっそりとしたスレンダー体型。好みの差こそあれこいつが美少女であることは誰しもが認めるところだ。確かにコイツの醸し出す独特の雰囲気のせいで近寄り辛いが、森川みたいに突撃する馬鹿だってゼロじゃないはず。
「フェロモンて言葉はご存じ?」
「知ってるが……」
フェロモンて聞くと昆虫が浮かぶ。メスがオスを誘き寄せる匂いだ。そういえば今日の佳蘭からはどこか甘い匂いしていることに今更ながら気が付いた。普段の佳蘭は無臭に近い。少なくともこれといって気になったことはなかった。もしかするとそういうことか?
「普段は人払いも兼ねてそういったのを抑える香水を付けているけどね。今回の調査ではどうしても人同士の交流が発生する。欲を言えば口を滑らせたい。だからそれ用の香水を付けたのだけれど、少し失敗したわ」
「はーん。ようはハニトラかまそうとして自爆したってオチか。悪いな、色々と」
「気にしないでいいわ。少し面倒だっただけ」
佳蘭は気分を入れ替えるように息を吐き出すと、俺を安心させるように軽く微笑んだ。まあコイツのことだ。慣れていないのも相まって相当強めに拒否ったんだろう。どうせこの調査期間の間だけ。変なことにならなきゃそれでいい。
それにしても少しだけ合点がいった。コイツの近寄り辛いミステリアスな雰囲気は意図的に作り出している側面があるってことだ。今更になって田畑と加藤の佳蘭評が散々だったのが色んな意味で納得が出来る。そりゃいくら見てくれが良くたって、女として見れないんじゃああいう風になるのも当然だ。
「なんつーか勿体なくねぇか。まあ俺が言うべき言葉じゃないのはわかっちゃいるが」
「そうね。普通の人はそうかもしれないけど、わたしは魔女よ。人間関係なんて煩わしいだけだわ」
「そうかい」
オトコ絡みだけじゃなくて人間関係そのものか。元々深く突っ込むつもりはなかったが、魔女であることを持ち出されたらおしまいだ。魔女という人種をよく知らない以上俺が言えることは何もない。元々こいつの問題だ。他人がとやかく口出すのは野暮ってもんだし、本人が全く気にしてない以上どうこうする理由もない。
「そういえば高戸の方はどうだったの? なにか収穫あった?」
「なーんもナシ。鉄平が行っていた本屋古本屋見て回ったが、とてもじゃないが「月光」なんてヤバいモン置いてある感じじゃなかった。一応範囲広げて回ってみたが、それらしい店もなかったぜ」
「お疲れ様。とはいえこれで購入したという線は消えたわね。つまりあのオカルトサークル内部に絞られたということになる」
「帰りにパチ屋覗いてみたら森川と会ったぜ。あいつに関しちゃ俺に任せとけよ」
蛇の道は蛇なんて言葉もある。森川みたいなクズ相手にゃ俺みたいなのの方がいい。何より運が絡むとはいえ布石も打ってある。少なくとも佳蘭が動くよりかはずっとか良い。
「そうね。そこは高戸にお願いするわ」
「他の連中はお前の方が適任だろ。昨日今日で部員と交流深める言ってたがどうよ?」
「竹中さんと品野さんは初日の通りよ。長瀬くんは趣味で小説書いているみたいね。桃生さんとそのことについて色々話していたわ」
一瞬長瀬?と疑問符が浮かんだがすぐに思い出した。ああ、あの神経質そうな奴か。そういえば佳蘭に本は紙派かどうか聞いていたな。なるほど、小説書いてる人間ならその辺りのこと気にするのもわかる。
「桃生の奴はどうだったんだ? あいつも初日帰っただろ。今日は話せたのか?」
「少しだけね。普通の明るい女の子だったわ」
ようは見た目通りってことか。明るく活発で人懐っこい。薄々感づいてはいたが、話を聞いてるだけじゃあ得られる情報が少なすぎる。これじゃあ知りたいことも見えてこない。
「明日からは俺もオカルトサークルに顔出すようにするぜ。話だけじゃわからんしな」
「その方がいいわね。選択と集中。オカルトサークルに絞る以上それがベストね」
あのサークルメンバーの大半と俺自身は人種が違うせいで相性がそこまで良くはないだろう。それでも佳蘭との会話を覗き見ればわかるものが出てくる。明日の予定を決め、今日の報告会はお開きになった。
*
午前中のまだ早い時間、オカルトサークルの部室には俺たちしかいなかった。部員は全員講義中だろう。ああもしかしたら森川だけはサボってるかもしれん。
佳蘭は本棚から本をさっと抜き取る。そのまま机に行き、黙々と読み始めた。おそらく昨日一昨日と同じようにしてきたのだろう。どこか定位置についたような、奇妙な安定感があった。
さて、俺はどうするか。部員がまだ一人も来ていないんじゃガチで意味がない。抜け出して煙草吸いに行くのもありっちゃありだが、なんとなく気が進まない。適当に椅子でも座ってソシャゲでもやるっていうのはもっとナシ。ハアと溜息を吐いて本棚へと向かった。ここは佳蘭に合わせるのが無難とみた。
スチールラックの本棚にはびっしりと書籍なり資料が並んでいた。初日の時にも思ったが、これだけの量があると嫌が応でも圧のようなものを感じる。「黒魔術大全」やら「ルーン文字の書き方」みたいな分厚い魔法系の解説本。悪魔召喚の儀式が書かれた本なんてまさにオカルトサークルだ。
他にも「恐怖の都市伝説」やら、「遂に発見伝説のUMA」みたいな安っぽいコンビニ誌もそこにある。なんとなくこれらは竹中や品野の物だろうなと思った。あいつらこういうの好きそうだし。UFOやら宇宙人についての書籍もあるが、一番多いのが各地の民間伝承や伝説の資料だった。
俺の住んでいた地元のものまであってガチでビビった。確かにこれなら佳蘭の言葉にも信憑性があっただろう。ガチで凄え。どれだけやる気あったんだよ、ここのOB。ヤバすぎだろ。
全盛期のオカルトサークルの凄さに慄きながらどれを読もうか考える。こうして見ると一口にオカルトといっても色々なタイプがあるもんだ。自己紹介の時に佳蘭が言った文化人類史というでまかせのこともある。都市伝説や未確認生物系じゃなくて、民間伝承とかそっち系の方がいいだろう。ぶっちゃけ興味の欠片もないから適当に一冊掴んで空いてる場所に腰掛けた。
手に取った本は古ぼけた青緑の紙表紙で、俺らが不満を漏らす大学教授の教科書のようだった。タイトルは「我が国の水との関わり 各地に伝わる伝説について」という薄っぺらい小冊子。なんでこんなつまらなさそうなの取っちまったかな。軽くげんなりしながらも、しゃあないかと仕方なく表紙を開く。
日本という国は水資源が豊富らしい。いまいち実感はなかったが、読み進めていくと確かにと納得できる。それなりに名の知れた河川もあるし、温泉っていった湯の文化もある。俺の地元にも小さな湧き水スポットがあったのを思い出した。
だからこそ日本には水が関係する伝説や昔話がそれなりに残されている。有名どころじゃあ日本神話の八岐大蛇伝説。確かあれはスサノオによる治水工事が元ネタだったはず。他にもある寺では願掛けに水場に願いを書いた紙を浮かべ、それが早く沈めば叶うといった話もあった。
それは東北地方に伝わる水に関しての伝説だった。山奥にある小さな洞窟。そこからこんこんと染み出る水は、飲むと様々な効能を発揮する霊水だった。視力を失った者を見えるようにさせ、不治の病をも治す。そして子宝の恵まれない人に子を授けたという。そんな霊験あらたかな水の出る洞窟は、明治に起こった大地震で崩れ落ち、失われてしまった。
まあ当然の結末っちゃ結末だ。そんな奇跡の水がありゃ誰だって飲みたいに決まっている。最後はその霊水は失われてしまったで、当然この本は締めくくられていた。
区切りのいいところまで読んで、本から目を離し天井へと視線を向ける。久しぶりにまともに読書というものをした気がする。少しの目の疲労とずしりとくる倦怠感。適度な達成感に思わず息を漏らした。
「お疲れ様。今日も早いね、久留主さん。それに高戸くんも今日は来ているんだね」
「おはようございます、竹中さん」
部員として一番乗りは部長らしく竹中だった。佳蘭は読んでいた資料から顔を上げ、ニコリと微笑み挨拶を返す。俺も軽く頭を下げ会釈で応えた。
「昨日は森川が悪かったね」
「そこまで気にしてないから大丈夫よ。ただ気分は良くなかったけどね」
初日に比べて佳蘭の敬語が取れていた。それでもって竹中がそのことを気にした素振りがない辺り、二日でかなり交流が深まったのだろう。それにしても森川の奴昨日なにやらかしたんだ? 今日まで言われるって相当だぞ。
「おれが言うのも間違っているけれども、森川が迷惑かけてすまなかった。あいつ今荒れててさ」
「なにか荒れる原因があったの?」
「森川と仲良くしてた人が自殺したんだよ。同じサークルメンバーでおれも無関係じゃなくて、それを知った時にはおれも流石にショックでさ。だから森川が荒れるのも無理はないっていうか」
思わず全神経を耳に集中させる。間違いない。その自殺した人というのは鉄平のことだろう。それにしてもあいつと鉄平が仲が良かったっていうのは中々想像できないが。
「確かにそれは、荒れるのも無理はないわね」
「そういうわけだから、大目に見てやってくれると助かるよ」
「どれくらい」
「え?」
「どれくらい仲が良かったんだ? 森川とその自殺した奴は」
二人の視線が俺に突き刺さる。突然会話に割り込まれた竹中は、少しだけ驚いたようで一瞬間があったが、少し考え込むと口を開いた。
「部室じゃいつも一緒にいたし、時々パチンコにも行ってるくらいには仲良かったよ」
「どういった人だったの? その、自殺した人って」
「森川と違って真面目な人だったよ有馬くんは。サークル活動もしっかりやっていたしね。いずれはおれの後を継いで欲しかったけど……」
言葉を濁し、竹中は残念そうに首を横に振る。もう少し、もう少し鉄平のことが知りたい。口を開こうとして、勢いよくバーンと扉が開けられる音で吹き飛んでしまった。
「おっはよーございまーす!」
元気よく入ってきたのは桃生緋沙子だった。さっきまでの空気が一撃で変わっちまった。軽く溜息を吐くと、さっきまで読んでいた本へと視線を落とす。こうなっちまったら鉄平のことを聞ける空気じゃない。まだ機会はある。ここで鉄平の話題が出たのは確かな前進だ。チャンスは必ず訪れるはず。
竹中は俺たちにしたように桃生にも挨拶をすると、パソコンを立ち上げキーボードを叩き始めた。大方新作の動画の編集でもやっているのだろう。桃生は佳蘭の近くに座ると、カフェの新作がどうのこうのやら今年の流行があーだこーだ話しかけ、二人で勝手に盛り上がっていた。
俺はというとさっきの続きを読もうと目で文字を追ってはいるが、まるで頭に入って来ない。ガチで集中力が切れちまっている。これ以上読んでも無駄だろう。本を閉じ席を立つ。
「どうしたの高戸?」
「ちょっちニコチン補給してくるわ」
「いってらっしゃい」
ひらひら手を振って部室から出る。どうせすぐにゃ鉄平の話題なんて出ないだろう。仮に出たって佳蘭がいる。夜の報告会で聞けばいい。
誰もいない喫煙所で煙草を吹かす。一口目の一瞬だけ香るオイルライターの甘みと葉の苦味、それとメンソールの爽やかさ。紫煙と共に色々な感情を吐き出す。
意外だった。森川と仲良かったのもそうだが、鉄平がパチンコやっていたことがガチで意外だった。あいつそういうの嫌いそうだったのに。
この調査が最終的にどうなるのかはまだわからない。「月光」を別の街で買ったのかもしれない。可能性としちゃ低いがネットで手に入れた可能性だってある。あるいは本当に、誰かが悪意を持って鉄平に「月光」を渡したのかもしれない。仮にそうだとして、その犯人を見つけ出せるかもわからない。それでも俺はこの調査を無駄とは思わない。
鉄平とは数年会っていなかった。今回のことで変わっていなかったところも、変わっちまったところも知ることが出来た。鉄平との間にある空白を埋めるためには必要なことだったと思っている。
「和也センパイで、あってます?」
考え事をしていたせいか目の前に人が立っていることに気が付かなかった。流石にボケッとしすぎだしっかりしろと心の中で気合いを入れ直す。
「合ってるよ。高戸和也だ。で、なにか用か? 桃生緋沙子」
俺の言葉に桃生は嬉しそうにパァと顔を輝かせる。自己紹介なんざ初日のアレしかしていない以上俺の名前が曖昧だったのだろう。それはいい。煙草吸うような奴じゃなさそうだし、一体なんの用があって喫煙所なんて場所まで来てわざわざ俺に話しかけてきたんだろうか。
「よかったらぼくと一緒にごはん、どうです? せっかく会えたんだし仲良くなりたいなーって」
「そういやもうそんな時間か。佳蘭はどうしたよ?」
「久留主先輩は、断られちゃいました。竹中先輩も動画作りに忙しいって」
しょんぼり落ち込む桃生に微かな違和感を覚える。佳蘭が断った? 一緒にランチなんざ交流を深めるには絶好の機会だってのに。部長である竹中の方がいいネタを仕入れられると判断したからか? 昨夜話してたハニトラ香水のこともあるし、それはあるかもしれんが妙に腑に落ちない。まあとはいえ……。
「別にいいぜ」
「やった!」
「つっても俺はこの辺の飯屋知らねーぞ」
「あ、ファミレスでいいです? そう遠くない所にあるんで」
「腹減ってるし、近けりゃ文句はねぇよ」
それに一番重要なことは飯の味より桃生緋沙子だ。ドリンクバーもあるしファミレスっていう選択肢は悪くない。おまけにそこまで財布に厳しくないときたもんだ。
短くなった煙草を灰皿へと投げ入れさっと立ち上がる。そして嬉しそうな桃生について歩き始めた。
桃生に案内されたファミレスは、俺も何度か行ったことのある全国チェーン店だった。一品辺りの単価は低めに設定されているのに味も悪くない。学生も気軽に利用でき、なんなら社会人だって簡単な話し合いで利用することもある。まさに俺たちにぴったりのチョイスだった。
昼時で店内はそれなりに盛況だ。昼休憩中のリーマンに、ダンナの愚痴をいい合ってる主婦たち。それと講義終わりで駄弁りに来たんだろう暇人大学生。とはいえ平日の真昼間だ。家族連れがいない分待つことなくあっさり席へと案内された。
四人掛けのボックス席に桃生と向い合せにして座る。心理学的には対立席というらしい。昔遊んだ女がそんなことを言っていたのを思い出した。まあこの状況じゃあ対立席だろうがなんだろうが互いの顔が見えた方がいい。
「ハイどうぞ」
「お、悪いな」
桃生に渡されたメニューを開く。ぶっちゃけファミレスの飯なんぞ大当たりはない代わりにハズレがないもんだ。どれ選んでもそこそこ美味い以上気分で決めればいい。ざーっとメニューを見て無難どころに決めた。
「俺は決まったぜ。桃生は?」
「あ、ぼくも大丈夫! 頼んじゃいましょうか」
へぇ。こういう時女は大抵優柔不断で中々決まらないイメージだったが、あっさり決めたな。まあこれは俺が付き合ってきた女での印象でしかないし、考えてみれば佳蘭の奴もソッコーで決めそうなタイプではあった。所詮は俺の持ってる女に対するイメージだ。あてにならない。
呼び出しボタンを押すとすぐに店員が来た。桃生がカルボナーラで俺はハンバーグ。それと二人してドリンクバーを頼んだ。
「あ、ドリンクバー持ってきますね。和也センパイはなんにします?」
「お、悪いな。野菜ジュースで頼むわ」
「はーい。ちょっとまってくださいねー」
桃生が席を立ち、ドリンクバーコーナーへと歩いていく。荷物番として待機しているのはまあよくある展開だ。勿論わかっている。これからのことを考えて気合いを入れ直す。
「おまたせしましたー。ハイ野菜ジュース」
「サンキュ」
「いえいえー」
桃生からグラス受け取り一口含む。人参をベースにしてはあるが、健康志向の野菜ジュースと違ってファミリー層向けに調整された甘いジュース。まあ炭酸の気分じゃねーし、これはこれでウマい。
「和也センパイって、久留主先輩と付き合ってるんですか?」
「別にそんなんじゃねーよ。見りゃわかるだろ?」
「ですよねー。なんか二人を見ててもそんな感じしないですし」
だったらなんで聞いたんだよと心の中でツッコミをいれる。まあ女なんて恋バナ好きだし、ワンチャン愉快な話でも聞けるかもしれないとでも思ったのだろう。生憎お前の肴になってやるつもりはねーよ。
なにがそんなに楽しいのか桃生はニコニコ顔でコーラをこくりこくりと飲んでいる。だが俺は見逃さなかった。楽し気な笑顔を浮かべながら、瞳の奥は探るように俺を観察していることに。
「和也センパイって文化人類史を専攻してるんですよね?」
「そうだが」
「なんでその学部選んだんですか?」
ほら来た。間違いなくこの質問は俺を揺さぶるためのものだ。自然な動作で野菜ジュースを口元に運び一瞬の思考時間を作り出す。
「別に。適当に願書を送ったらたまたまそこに受かっただけだ」
「え? でもお二人が行ってる大学って結構偏差値高いですよね。そんな感じで受かったんですか?」
「知らねーよ。自分がなんで受かったかなんて。それこそ担当者にでも聞けよ」
自己紹介の時に佳蘭が語った俺たちの設定。完全に口からでまかせだが、それを守った方がいいだろう。客観的に見た自分のキャラを利用して誤魔化し切る算段だ。
「あ、あれ? 和也センパイって意外と勉強、出来るんです?」
「なに。俺を馬鹿にしてんの?」
「ご、ごめんなさい。そ、そんなつもりないです」
ジロリと桃生を睨みつけると、シュンと小さくなった。流石にイラっとくるが、ぶっちゃけそこまでキレてるわけじゃない。自分のキャラくらいある程度理解はしている。俺みたいなのが勉強できるようには見えないのはわかっちゃいた。だがそれとこれとは別の話だ。適度に圧かけて牽制する。
「そういえばちょっと聞きたいんですけど」
「なんだ」
「文化人類学と民俗学との違いってなんですか?」
どうやら桃生は思っていたよりツラの皮が厚かったらしい。俺の牽制なんぞなんのその。もう一度揺さぶりを仕掛けてきた。とはいえ俺の答えなんて決まっている。
「知るかそんなモン。そういうのは俺じゃなくて佳蘭にでも聞けよ」
「あ、あるぇー?」
俺の反応が予想していたものと違っていたせいか、桃生はなっさけない声を上げ首を傾げる。口ぶりから察するに文化人類学とやらと民俗学ってのは似たような学問なんだろう。マジメな奴なら一瞬詰まってボロ出したかもしれないが、今の俺は無敵モードだ。議論もそうだが、互いにリングの上に立って初めて勝負が成り立つ。俺が戦いのリングに上がろうとしなければそもそも勝負にすらならない。
そしてこの三日間での俺のムーブは誰が見ても不真面目そのものだった。煙草吸ってくると言って戻らねぇし、二日目の時じゃあ顔を出すことすらしなかった。俺の「知らない」という答えは不自然なものじゃない。
店員が注文した料理を運んできた。ハンバーグの匂いが俺の食欲のスイッチを連打してくる。桃生へと視線を向けると目が合った。
「食べましょうか」
「そうだな」
桃生の方も腹が減ってたんだろう。その提案を俺も受け入れることにした。
鉄板の上のハンバーグにナイフを入れていく。少し大きめの一口大に切り分けたそれを口の中に放り込む。ファミレスらしく安っぽい肉だが、デミグラスソースがそれを誤魔化している。まあコスパ優先の値段でこれなら悪くないだろう。
ちらりと桃生の顔を覗き見れば、実に旨そうにカルボナーラを頬張っている。別に見た所大したことのないカルボナーラだが、ああも旨そうに食ってりゃ冷凍食品だろうが作った方も嬉しいだろう。それに一緒に食ってる俺も気分がいい。
大した時間もかからず二人して飯を食い終わった。桃生はコーラで、俺は野菜ジュースから無糖のアイスティーに変えて一息つく。俺と桃生との空間に微かな緊張感が生まれている。わかってる。場の雰囲気的に飯が来る前に話していたことの続きだ。主導権を握られたくはない。先手を打つことにした
「腹の探り合いなんざ面倒なだけだろ? なんだ? 話してみろよ」
「そう、ですね。ぼくじゃどう足掻いても切り崩せそうにないですしぶっちゃけますね。和也センパイ、研究資料のためにウチのサークルに来たっていうの、嘘でしょ?」
「へぇ。どうしてそう思ったんだ?」
探りを入れてきた時から、俺の嘘がバレているっていうことくらい想定はしていた。あくまで自然体で、なんでもないことのように聞き返す。
現段階で最も怪しいのはオカルトサークルであり、桃生緋沙子はそこのメンバーだ。油断なんぞ出来るわけがない。
「初日の時点でちょっと違和感あったんですよね。OBの先輩たちが集めた資料が目的ってわりに、センパイ本棚にあまり意識を向けてなかったし。それに後から聞いたんですけど、初日もすぐにどっか行っちゃったっていうし、昨日なんて一度も顔を見せなかったじゃないですか。普通怒って当然なのに、久留主先輩はそのことに一言も文句なかったのもおかしいです。これって和也センパイだけ別の目的があるって考えた方が自然なんですよね」
この女、俺のクズムーブに騙されずよく見てやがる。とはいえ佳蘭までもがグルだってことまでは見切れてはいないようだ。ここまでくると、下手な誤魔化しは悪手だろう。どこまでオープンにして何を隠すべきか。もう一手様子を見るのがベストだろう。
「ほう。で、肝心の俺の目的って奴にあてはついてるのか? ぶっちゃけ安くない金かけて、ここまでの時間と面倒をかけるだけの目的って奴をよ」
「有馬、鉄平さん」
核心を突かれ、思わず肩が跳ね上がる。まさかそこまでバレているとは思わなかった。様子見の一手を打ってなかったら、言わんでいいことまで口走ってたかもしれない。
「自殺した有馬先輩のお友達、それが和也センパイ。その目的は有馬先輩の自殺の原因を探るため。どうです? あってます?」
「あってる、大正解。驚いちまったよガチで」
隠すことなく素直に白状する。どっちにしろさっきの俺のリアクションでモロバレだ。下手な抵抗する方がダサい。それにしてもこの女がまさかここまで洞察力が高いとは思わなかった。完全に想定外にもほどがある。
「なーんて。ぼく文学部なんですよね。堀内先輩が言ってたんですよ。有馬先輩の友達が来ているから、会ったら色々話してやってくれって」
「なんだよ。イカサマしてたのか」
堀内って奴は初日に喫煙所で会った鉄平の同級生のことだろう。あの時互いに名乗らなかったがおそらくそうだ。
桃生の奴、随分と回りくどいことしやがって。地味にイラっときてはいるが、これで色々納得できた。堀内の話から逆算して俺に辿り着いたのだろう。道理で佳蘭にまでは辿り着いてないわけだ。
「で、その桃生緋沙子さんは俺に何を話してくれるんだ? つーかお前と鉄平はどんな関係だったんだよ」
「ぼくは、有馬先輩の彼女でした」
「へぇ……」
その答えは予想外で、だが納得出来るものだった。大学生ともなりゃ彼女の一人二人出来たっておかしな話じゃない。まじまじと桃生の顔を見つめる。愛嬌があってかなり可愛い顔立ち。さっきの飯食ってる感じから見て性格的にも悪くない。鉄平め、良いオンナ捕まえたじゃねぇか。
「ぼく、本が好きで……。有馬先輩とその辺で話が合って、スキになったんです。本だけじゃなくて、ボイチャ繋いで一緒にゲームなんかもやってました」
「なんのゲームやってたんだ?」
「ハンティングドラゴンズです。知ってます?」
「知ってるよ……」
俺が中学の頃ハマっていたゲームじゃねぇか。有名な狩りゲーで、何作も続編を出している。流石にもう買ってはなかったが、そういえば数か月前に最新タイトル発売したっていうのをどこかで見た気がする。二人がやっていたのはそれだろう。
「ゴメンなさい。見栄張ってちょっとウソ、つきました。ぼくが一方的にスキだっただけで、別に付き合ってたわけじゃないです」
「オイッ!」
「ゴメンなさい! でもそれ以外はホントです……」
申し訳なさそうに縮こまっている桃生を見て、キレてる俺も流石にこれ以上は突っ込めない。気分を入れ替えるように大きく息を吐いた。
「あのぅ……」
「なんだよ」
さっきのこともあって俺の声に怒りが滲んでいる。それもあってか桃生はもじもじと上目遣いで見つめてきていた。
「よければぼくと、連絡先交換しませんか?」
「は?」
「本当にイヤだったら、別にいい、ですケド……」
桃生の言葉は流石に想定外だった。どうするか少し考える。元々オカルトサークルメンバー含めて、この調査で知り合った奴と深い繋がりをもつつもりはなかった。さてどうするか。
「まあ別にいいぜ」
「やった! ありがとうございます」
さっきと打って変わってニコニコ嬉しそうな顔で桃生はスマホを取り出す。俺もそれに合わせてスマホを取り出し連絡先を交換した。
「ありがとう、ございます。時々連絡していいですか?」
「暇だったらな」
改めて桃生の顔を見ると、微かだが目に涙が滲んでいた。付き合っているっていうのは嘘だったが、桃生の言葉を信じるならコイツは鉄平のことが好きだったらしい。俺に連絡先を聞いてきたのは、鉄平のことについて話したいからだろう。桃生からしてみれば好きな奴がいきなり自殺してるんだ。理解はする。
目元の涙を袖で拭いながら桃生は軽くスマホを操作する。そしていつになく真剣な目で俺を見てきた。場の空気が、変わりつつある。
「なんで有馬先輩が自殺したのか、ぼくにはわかりません。悔しいです本当に。なんであんなことになっちゃったのか、ぼくには調べきれませんでした」
ピロンと俺のスマホにメッセージが届いた。送ってきたのは目の前の桃生からだ。どこかファミレスの、小さくないはずの喧騒が遠のいていく。飲み込むことすら忘れ、知らず知らずの内に口の中に唾液が溜まる。恐る恐るそのメッセージを開いた。
「それとどこまで関係があったのかわかりません。なんでそれに関わるようになったのかも知りません。ただぼくは、ぼくは有馬先輩のことが本当にスキでした。だからこそ気が付いたことです」
メッセージはたった二文字だけ。だがそれは俺の思考全てを白く塗り潰すには充分すぎた。
麻薬
俺は鉄平が煙草を吸っていることも知らなかった。パチンコやってるのも知らなかった。俺の知っているアイツからは想像すら出来なかった。それでも嫌悪感と共に受け入れることは出来た。だがこれは、桃生からのこれはガチの犯罪。受け入れることなんて出来やしない。拒絶しようとして、目の前の桃生の表情がそれを否定する。
初めに佳蘭からこの調査のことを聞かされた時、確かに俺は興奮した。高戸和也と有馬鉄平との間にあった空白を埋めることが出来るかもしれない。生きていた頃は友情とすら思っていなくて、失ってから初めてかけがえのない親友だと自覚出来た。もっとアイツを詳しく知るべきだったという後悔に、一つの折り合いをつけるためのものでもあった。
今この瞬間に理解出来た。これはそんな軽いものじゃなかったのだと。この調査は、例えるなら地球からロケットで飛び立つようなものだったのだ。俺は気が付かない内に地球を飛び出し、暗い宇宙を突き進み、遂に月の裏側を覗き見ることが出来た。
まるで想像すら出来なかった有馬鉄平の裏の顔。その一部を確かに俺は覗き見ている。