3-4.
高校生が、政府の関係者。自分を取り巻く環境が恐ろしく普通ではない太樹でも、渡会美緒と名乗ったこの少女の発言には驚かざるを得なかった。しかも彼女は戦闘サポート班の所属だという。太樹が魔王となったとき、彼女は政府の一員として、魔王率いる魔族殲滅のための戦いに身を投じるというのか。
「納得できないんです」
梅雨らしくどんよりと厚い雲の立ちこめる空の下で、美緒はできるだけ声を落として言った。
「翼くんが『勇者の剣』の継承者であることは、いわば国家機密でした。あるはずがないんです、翼くんが勇者だとバレることは。それなのに」
美緒の鋭い視線が太樹にまっすぐ突き刺さった。
「あなたなんかとつるんでいるから、こんなことになったんです。あなたが未来の魔王だということは誰でも知ってる。勘づく人は勘づくんです。もしかしたら翼くんが勇者なのかもって」
どうにもならない感情をぶつけるように、美緒は「あなたのせいです」と太樹に言った。
「あなたのせいで、翼くんは死んだんです」
おまえがやったんだろう、とあの刑事に言われたときよりも胸が痛んだ。
美緒の言うとおりかもしれない。直接的には手を下していなくても、太樹が殺したようなものなのかもしれなかった。
太樹が魔王になる人間だから。
わかっていたのに。誰とも友達になんかなれないのだとわかっていたはずなのに、翼の優しさに甘えて、同じ時間を過ごすようになってしまったから。
そのせいで。俺のせいで、翼は――。
「許せないよな」
にらむ美緒から視線をそらし、太樹はひとりごとのようにつぶやいた。
「翼を殺したヤツのことも許せないけど、俺は、俺自身のことが誰よりも許せない」
自分のことばかりに必死になって、翼の身に危険が及んでいることになどこれっぽっちも気づいてやれなかった。
かつて人々は、『勇者の剣』を非人道的な方法で奪い合っていたという。人間の本質は時代を超えても変わることはない。特に欲望は人として生きる限り必ずいだく感情だ。だとするなら、いつの時代も『勇者の剣』を欲する人間は存在し、今日もどこかで誰かがそれを手にしようと目論んでいる。そんな日常の中で、翼は懸命に生きていた。
太樹の知らないところで、翼は日々命を狙われ続けていたに違いない。本当に危ない目に遭ったことも少なくなく、美緒たち政府の人間が何度も彼を救ってきたのだろう。
翼に代わって勇者になりたいと願うどこかの誰かの魔の手から、翼は常に身を守りながら生きていた。その傍らで、太樹のかかえる孤独にも寄り添ってくれた。
太樹の握る右の拳が震える。
なにも知らなかった。翼もきっと、あるいは太樹以上につらい思いをしてきたのだ。
それなのに、俺は。
翼のために、俺はいったいどれほどのことをしてやれただろう――。
「感傷に浸っている場合ではありません」
美緒は自分自身に言い聞かせるような口調で言った。
「事は急を要する事態に発展しています。本当ならこんなところで油を売っている暇もないのですが、申し訳ありません、つい憂さ晴らしを」
憂さ晴らし。太樹に対して働いた暴力はストレス発散のためだったのか。
「急を要する事態って」
さっきの殴る蹴るは不問とし、太樹は論点をもとに戻した。
「『勇者の剣』に関することか」
「えぇ。先ほども言ったように、翼くんが『勇者の剣』の継承者であることは絶対的秘匿事項。彼が勇者だと世間に知られれば、翼くんはあらゆる方面からその命を狙われることになります。自らが勇者になりたい者。魔王の復活を望み、勇者の存在を消し去りたいと願う者……。『勇者の剣』の行方が明らかになれば、必ず争奪戦が勃発する。これは歴史的観点からも明らかであり、人間の欲望が生み出す避けられない戦いです。だからこそ、翼くんは魔王となったあなたを再び眠りにつかせるその瞬間まで、わたしたち魔王対策チームに守られるべき存在でした」
しかし、と美緒は力なく首を横に振った。
「恐れていた事態は起きてしまいました。翼くんは殺され、その犯人が『勇者の剣』の新たな継承者となったのです。犯人の行方はまだ掴めていません。一刻も早く見つけ出さないと、ことはさらによくないほうへと進む可能性があります」
「どういうことだ」
「言ったでしょう。争奪戦が起きるんですよ、『勇者の剣』の。剣を手にした新しい勇者がどんな行動に出るか、今のところまったくの未知数です。自らが勇者だと世間に触れ回られたりしたら、それこそ最悪の結末を招きかねません」
「最悪の結末」
「『勇者の剣』の継承権をめぐって巻き起こる争奪戦が日本全土に広がり、少なくともその中心となるここ東京は火の海になるでしょう。日本だけにとどまるならまだマシで、事態は全世界を巻き込むところまで発展しないとも限らない。それだけはなんとしてでも阻止しないと。でなければ、魔王の復活を待たずしてこの星は崩壊してしまいます」
話のスケールがどんどん大きくなってきているが、美緒の目はどこまでも真剣だった。なんなら彼女はすでに巨大な戦渦の中にいるような口ぶりで、そういえば父が担任の羽柴をはじめ魔王対策チームは今回の件の対応に追われているらしいと話していたことを太樹は今ごろになって思い出した。
彼女もチームの一員であるなら、羽柴たちとともに『勇者の剣』の行方を探しているのだろう。見つからなければ、見つからないことが世間に知られれば、世の中は荒れる。世界の崩壊スピードが上がる。
無性に腹が立ってきた。そんな大事件になっているとはつゆ知らず、翼の死を嘆くだけでなんの役にも立っていない自分自身に。
自分だけが死ぬのならいい。だが、必要のない犠牲を出すことは許せない。
それは太樹が常々考えてきたことだ。自分が魔王になったとき、どうすれば一般人に対する被害が最小限にとどまるか。翼とはよくそんな話をした。
だから、今の状況は本当に許せない。翼が殺されたことも含めて。
これ以上悪いことが起きるなんて、とても耐えられたものじゃない。