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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第一章 勇者の死
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2-2.

 今度こそ歩き出した勅使河原に続き、太樹はゆっくりと足を踏み出す。205教室の前方の扉に差しかかり、太樹は教室の内部に目を向けた。

 扉から一番遠い、窓際の前から三つ目。無人の座席は、数時間前まで翼が座っていた場所だ。その隣を太樹は借りて、二人で一緒にテスト勉強をしていた。

 翼の使っていた机に、白いテープのようなものが貼りつけられているのが見える。授業中に居眠りをしてしまった生徒をかたどるかのような貼り方。まるでそこに、翼が眠っているかのような。

「あそこで見つかったんだ」

 足を止めた太樹の背後で、羽柴も同じように足を止めて教室の内部を見た。

「テスト勉強に疲れて、ついウトウトと机に突っ伏してしまった……そんな感じだった」

「見たんですか、先生は」

「あぁ。明城の遺体を発見したのは守衛の武部たけべさんという方だったが、血相を変えて職員室に飛び込んできたんだ。最終下校前の見回りをしていたら、生徒の一人が教室で背中を刺されているのを見つけた、と」

 背筋がゾクゾクと粟立った。たくましい想像力が、もうそこにはいない翼が机に突っ伏している様子をはっきりと脳裏に描き出す。

 だらりと力なく腕を投げ出し、額か、あるいは頬を机の天板にくっつけて事切れる翼を。背中には刃物が刺さり、真っ白なカッターシャツを鮮やかな緋色に染めて――。

「大丈夫か」

 太樹の呼吸が乱れたのを察した羽柴が、震える肩にそっと腕を回してくれた。

「行こう。あまり見ないほうがいい」

 羽柴に連れられて歩き出した太樹の足は異様なほど重かった。頭も痛いし、吐きそうだし、とにかく気分が悪い。足がうまく動かない。

 隣の204教室に入ると、勅使河原がすでに腰を落ちつけていた。生徒の使う座席を二つ、向かい合わせにしてくっつけ、勅使河原はそのうち黒板を背にして座るほうを陣取っていた。他にもう一人若い男性刑事が同席していて、彼は太樹が教室に入ってくると「こちらへ」と太樹を勅使河原の向かい側へ座らせ、自分は太樹の斜め左後ろに立った。羽柴よりも太樹とのほうが歳が近いのではないかと思うくらい若く、パーマなのか、クセ毛なのか、もじゃもじゃでふわりと広がるミディアムヘアはあまり刑事らしくなかった。

「さて」

 前置きの一つも据えることなく、勅使河原はさっそく事件の話を始めた。

「被害者の明城翼さんが殺害される前、最後に明城さんと一緒にいたのはきみだったことがわかっています。きみたちは二人で、事件現場となった隣の205教室にいた。間違いありませんね?」

 太樹は蚊の鳴くような声で「はい」と答えた。二人きりでいたことをなぜ警察が把握しているのかと最初は疑問に思ったが、なんのことはない。生徒一人につき一台貸与されているスマートウォッチの記録をたどったのだ。

 登校と同時に腕に巻き、下校時にはずすくだんの時計にはGPSが搭載されていて、生徒の位置情報は南館一階の守衛室にあるモニターで常時把握されている。昨日翼の遺体が発見されたのは、守衛が最終下校の見回りをしていた時だと聞いた。

 つまり、翼が殺されたのは太樹と別れた午後五時頃から最終下校時刻である午後六時までの間。その時間のGPS情報を確認したところ、翼と最後に顔を合わせたのは太樹だった。警察が太樹を疑っているのは、太樹がいずれ魔王になり、翼が勇者となって世界を守るから、という構図を思い描いた結果だけでなく、ちゃんとした根拠もあったわけだ。

「明城さんと別れたのは何時頃のことでしたか」

 わかっているくせに、勅使河原はあえて太樹に下校時刻を答えさせた。自分たちの把握している情報との齟齬がないか確認したいといったところか。

「五時過ぎだったと思います」

「五時過ぎ。五時過ぎに教室を出て、そのまままっすぐご自宅へお帰りになった?」

 そうです、と素直に答えればよかったものを、苛立つ気持ちがどんどん大きくなってきた。素直に答えたところで、どうせ疑われ続けるに決まっている。

「俺じゃない」

「はい?」

「俺は翼を殺してない。あんたたちが俺を最後に翼に会った人間だって決めつけてるのはスマートウォッチの記録をたどったからだろ。そんなの、時計をはずして校内をうろつけば位置情報の記録と行動の軌跡は重ならなくなる。それに、学校内にいるのは生徒だけじゃない。先生とか、守衛さんとか、位置情報を把握されていない人にだって翼を殺すチャンスはあったはずだ。俺が翼と一緒だったからって、俺は……俺には、翼を殺すことなんて」

 苛立ちが怒りへと変わっていく。どうして疑われなくちゃいけない? 太樹は右の拳を強く握った。

 翼を殺したいと思ったことなんて一度もない。殺してしまうはずがない。

 翼はたった一人の友達だったのに。

 絶対に失いたくない、大切な。

「鬼頭」

 羽柴が太樹の震える背中をさすってくれた。

「落ちつけ」

 呼吸が乱れていた。感情がたかぶっている。腹の底でなにかがグツグツと音を立てて煮え始めたのがわかる。よくない兆候だ。

 窓を開け放っていても、204教室の中の空気は鬱陶しいほどの湿気に満ちていた。ぬるくジメジメした風はむしろからだにまとわりついて気持ち悪い。額に玉の汗がにじむ。

 動悸はなかなか治まらないが、意識的に深呼吸をくり返したら呼吸のリズムだけは落ちついた。下がっていた顔を上げ、太樹は勅使河原に問う。

「翼は、本当に死んだんですか」

 今の太樹はまだ情報だけを耳で聞いている状態だ。殺されたなんて、死んだなんて嘘かもしれない。ここにいる全員がグルで、騙されているだけかもしれない。翼に会うまではなにも信じない。信じられない。

 勅使河原は太樹の背後に視線を投げ、黙って右の手のひらを上向けた。太樹の後ろに控えていた若手の刑事が動き出し、勅使河原にタブレット端末を手渡した。

「比較的きれいなご遺体ではありますが、お見せするのはあまり気が進みませんな」

 ひとりごとのようにつぶやきながらタブレットを操作して、勅使河原は太樹に一枚の現場写真を見せた。翼の遺体を背中側から撮影したものだった。

「ご覧のとおり、背中から心臓を一突きです。即死だったはずだというのが検視官の見解でした。刺し傷が一ヵ所で、刃物が背中に残されたままだったことから出血量があまり多くなく、さらに発見も早かったのでご遺体の損傷具合はかなり軽い。殺害現場である隣の教室も整然としていて、ご遺体のきれいさも含め、殺人が起きたとは思えないほど静謐せいひつな空間で明城さんは発見されました」

 机に突っ伏した翼の顔は写真に写ってはいなかった。だが、頭の形や髪を見ればそれが翼であるとはっきりわかる。

 羽柴の言ったとおりだ。背中に刃物が刺さっていなければ、まるで机で居眠りをしているような格好だった。声をかければむくりと頭を持ち上げ、「しまった、寝過ごした」なんて目をこすりながら言い出しそうだ。

「翼」

 見せられたタブレットを右手に取り、写真に声をかけてみる。翼は目覚めない。深く眠り込んで、太樹の存在にさえ気づいてくれない。

「翼」

 声が震えた。冷たい雫が太樹の頬を濡らしていく。

 翼が死んだ。魔王となって倒されるはずだった太樹よりも先に。

 どうして。最期まで一緒にいてくれるって言ったのに。

 誰がこんなことを。どうして翼を。

 許せない。

 許せない。許せない。許せない。

 タブレットを握る太樹の右手に力が入る。みし、と液晶が小さく音を立てた。

「明城さんとは、どのようなお話を?」

 勅使河原がわざとらしいほど落ちついた口調で尋ねてくる。

「あなたがた生徒さんに貸与されているスマートウォッチの使用状況を確認させていただいたところ、今日の放課後、午後五時を過ぎてからも校内に残っていた生徒はきみと明城さんを含めてたったの六人。千人を超える全校生徒のうち、およそ三分の一は出席すらしておらず、残りの三分の二はほとんどが授業終了と同時に下校した。テスト週間に入り、部活動が禁止されたここ数日は毎日こんな感じだと、先ほど羽柴先生から伺いました」

 意図的に、だろうか。勅使河原は回りくどい言い方をする。太樹は手にしていたタブレットを勅使河原のほうへと押しやるように返却した。

「放課後も学校に残る生徒が少ないことを知った上で、俺があえて翼と二人きりになった、とでも言いたいんですか」

「違うんですか?」

 机の上に載ったままになっていた太樹の右手が拳を握り、天板をおもいきり殴りつけた。

「違う」

 腹の中の鍋が再びグツグツと音を立て始めたのがわかる。イライラして、無性に大声を出したくなった。

「そんなんじゃない。翼と学校でテスト勉強をするのはいつものことだ。今日に限ったことじゃない。昨日もそうだった」

「ほう。では、今日のあなたがたは単純に勉強をしていただけだったと?」

「そうですよ。ケンカになったわけでもないし、特別なことはなにも……」

 なかった、と言いかけて、太樹は口をつぐむことを余儀なくされた。

 あった。特別なことが。いつもなら決してしないようなことを、翼にした。

 あのとき、俺は翼に――。

「詳しくお聞かせ願えますかな」

 太樹の顔色の変化を敏感に察知した勅使河原が追及の手を伸ばしてくる。

「あなたがたの間になにがあったのか」

「違う! あれはそういう意味じゃなくて……!」

 帰り際、翼と少し先の未来についての話をした。太樹の中に眠る魔王が復活し、翼が継承した『勇者の剣』でその首を討ち取る話。

 翼は言った。太樹が魔王にならずに済む方法があればいいと。

 太樹は答えた。そんな都合のいい方法はない。だって自分には、他の誰にも使うことができない魔力が使えてしまうのだから、と。

 そのとき、実際に太樹は魔力を放出してみせた。翼の首筋に、宙に浮かせたシャープペンの尖った先を突きつけた。

 もちろん、ただのデモンストレーションだ。本気で翼の首を刺そうとしたわけじゃない。

 だが、あのときの様子を誰かに見られていたとしたら? あのときの二人は、ちょうど窓際で話をしていた。

 二人のいた本館二階の205教室の中を窓側から覗き見ることは、南館の校舎内にいるか、南館と本館の間に作られた中庭にいるかのいずれかであれば可能だ。運が悪いと言うべきか、南館の二階は職員室で、通常の教室では北側に作られている廊下が職員室にはなく、廊下をつぶし、二階の西端、東端以外のフロア全体を一つの大きな部屋にしている。

 あのとき、職員室にいた教職員の誰かが太樹と翼のやりとりを見ていたとしたら。二人が真剣な顔をして向き合い、やがて太樹が魔力を用いて翼の首筋にシャープペンの先を突きつける場面を。

 見ていた者がいたに違いない。羽柴をはじめ、この高校には政府主導の魔王対策チームの人間が太樹の監視役として送り込まれているようだ。特に翼と二人でいるところなど、なにが起きても不思議じゃないと考えられても仕方がない。本来なら魔王と勇者は、心を許しあえる友人関係ではあり得ないのだ。

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