2.
墓地まで二十分ほど歩き、二人で墓を磨き上げる。花を供えると、二人は静かに手を合わせ、翼の冥福を祈った。
「翼くんは、あなたのあとを追うつもりでいたんですよ」
目を開けた美緒は、墓碑に視線を注いだまま口を開いた。
「『勇者の剣』であなたごと魔王を封印したら、翼くん、自分も死ぬつもりだったんです。『勇者の剣』をしかるべき人に託して」
唐突に聞かされた美緒の話は、太樹の心を大きく揺さぶり、締めつけた。
初耳だ。翼が死のうとしていたなんて。それも、太樹のあとを追っての自殺だなんて。
「どうして」
魔王さえ倒してしまえば、その先の翼は昨今の殺伐とした雰囲気から解放され、穏やかな人生を過ごせるようになるはずだ。次に魔王が復活するときには翼の寿命は尽きていて、勇者の座は後継に明け渡すことが決まっている。
死ぬ必要なんてない。残りの五十年、六十年を翼には幸せに暮らしてほしい。太樹は心からそう願っていた。それなのに、翼は死を選ぶことを決めていた。
あれほど俺には死ぬなと言っていたあいつが、どうして――。
「孤独な人だったんです、翼くんは」
太樹の疑問に、美緒は憂いを帯びた目をして答えてくれた。
「『太樹がいなくなったら、僕はひとりぼっちになっちゃうから』――あなたと同じように、翼くんにもあなたしかいなかったんですよ。わたしではなく、あなたしか」
――だって、僕は。
つい先日、翼に言われたことを思い出す。
――僕には、きみしかいないから。きみと一緒にいられなくなったら、僕、どうやって生きていけばいい?
大袈裟だな、と思っていた。魔王である太樹と違って翼は忌み嫌われたりしない。太樹の他にも友達はできるだろうし、美緒だっている。ひとりぼっちになることはない。
太樹のいなくなった世界で、どうやって生きていけばいいか。その問いに太樹が答える必要はないと思っていた。翼は幸せに生きていける。疑うことなく、そうだと決めつけていた。
だけど、違った。
翼は孤独だった。太樹が翼を失うことを恐れたように、翼もまた、太樹を失うことを恐れていた。一人になりたくないと願っていた。
翼にとっても、太樹はたった一人の親友だった。
「だからわたしは、あなたのことが嫌いなんです」
悲哀と怨恨がないまぜになったような声を絞り出し、美緒はにらむように太樹を見た。
「翼くんはあなたのことばかり考えてた。わたしのことなんてちっとも見てくれない。わたしはこんなにも……こんなにも、翼くんのことを」
うつむく美緒の瞳がうっすらと潤む。返す言葉が見つからず、太樹は困ったように美緒から目をそらした。
美緒が太樹に冷たく接していたのは、太樹が魔王だからではなかった。もちろん軽蔑もされていただろうけれど、本当の理由は別にあった。
美緒が翼を慕っていたことはわかっていた。ただ、その気持ちが翼と同性の太樹さえライバル視するほどの熱い恋心だとは思わなかった。
感謝の気持ちを伝えたかった太樹と同じで、美緒も翼に伝えられなかったのだろう。
ずっと好きだったのだと。翼のことを心から、誰よりも深く想っているのだと。
結局のところ、太樹と美緒は似たもの同士なのだ。互いに翼のことを大切に思い、二人ともが翼に生きる意味を与えてもらっていた。
翼のために生きたいと思う気持ちは今でもある。彼女もきっと同じだろう。
ならば、このままにらみ合っているのも悪くない。ヘタに和解してしまうより、永遠に翼を取り合っていれば、二人の心から翼が離れることはない。彼女と顔を合わせるたびに、翼の存在を心の中に感じていられる。翼とともに、生きられる。
笑みをこぼし、太樹は美緒へと視線を戻した。
「今から楽しみなんじゃないのか。一年後に俺を倒すときが」
太樹の笑顔につられるように、美緒も口もとに笑みを湛える。
「もちろんです。メッタメタのギッタギタにしてやりますよ」
「できればサクッと殺してもらえると助かるんだがな。一瞬で意識が吹っ飛ぶような」
「お断りします。あなたの希望どおりに動くのは癪なので」
相変わらずの塩対応だ。けれど、彼女らしくていい。
足もとに置いていたリュックを背負い、墓地を管理している寺にお願いして借りた手桶と柄杓を取る。太樹は美緒に向き直り、清々しい表情を浮かべて言った。
「あんたになら、安心してこの星の未来をまかせられるよ」
百年に一度、具体的には明くる年に蘇る魔王の棲む星、地球に生まれ、魔王の魂の容れ物である太樹と同じ東京の街で育った、勝ち気で正義感の強い少女。からだは小さく、少々喧嘩っ早いところが引っかからないわけではないけれど、今の地球に彼女以上に『勇者の剣』を持つにふさわしい者はいないだろう。
あるいは彼女は、翼よりもずっと勇ましく魔王に立ち向かえるかもしれない。太樹を唯一の友と慕った翼は太樹を斬ることに迷いを覚えないとも限らないけれど、太樹のことが嫌いだと面と向かって言い放った彼女なら、迷わず剣を振るえるはずだ。
美緒ならきっと、この星の未来を守ってくれる。
太樹と翼がともに願い、ともに成し遂げようとしていたことを、彼女なら。
美緒を明城家の墓の前に残し、太樹は墓地の入り口に向かって歩き出した。眠る翼から離れたくない気持ちもあるけれど、いつまでもこの炎天下で立ち尽くしていたくない。
「太樹くん」
背後から、美緒の呼ぶ声がした。
振り返ると、美緒がきれいな笑みを傾けてくれていた。
「あなたの魂が、天国で翼くんと再会できることを祈ります」
それは美緒が、魔王を再び長い眠りにつかせたあとの世界で生き続けることの宣言だった。
翼が思い描いていたように、太樹のあとを追うようなことはしない。翼の代わりに、あるいは太樹の分まで、美緒はこの先も続く人生を生きていく決意を固めている。
それでいい。
生きている限り、自分を信じ、自分の力で歩み続けていく限り、未来はいくらでも変えられる。あきらめなければ、いつか必ず。
とはいえ、だ。太樹は思わず苦笑した。
今の言葉は、せめてあと半年くらい先の未来で聞かせてほしかった。一週間前までの太樹ならさておき、今の太樹は、まだ死んでやるつもりはない。
翼との再会は、もう少しあとでいい。
この世界でやりたいことをすべてやったあとにする。たとえば、翼が食べたがっていた京都のパフェを食べてから、とか。
一人で考え、一人で笑い、太樹は美緒に一言だけ返してから再び足を動かし始めた。
「気安くファーストネームで呼ぶな」
「なっ」
キッと目尻をつり上げた美緒は、鞄とたたんだ日傘と黄色いガーベラの花束を乱雑にかかえ、先を行く太樹の背中に勢いよく跳び蹴りを食らわせた。軽くはじき飛ばされた太樹は、かがめた腰をさすりながら美緒をにらむ。
「痛ってぇな。なにすんだよ」
「あなたこそ、なんですかその冷たい対応は! せっかく親しみを込めて名前を呼んであげたというのに!」
「親しまなくていいって、今さら」
「あぁそうですか、それは失礼いたしました! ではあなたもわたしを『美緒』と呼ぶのは金輪際やめていただけますか!」
「呼んでない」
「呼びましたよ、さっき教室で!」
「覚えてない」
「あなたねぇ……!」
耳もとでガミガミと説教を垂れる美緒のキャンキャン声を聞きながら、太樹は翼の苦労を改めて思い知った。大変だ、この子の相手は。でも、悪い子じゃないことだけはわかる。
「ちょっと、聞いてるんですか!」
「聞いてない」
「聞いてください! 殴りますよ!」
「暴力反対」
美緒のパンチが飛んできて、うまく避けられずまともに食らう。
痛みの走る右肩に手をやりながら、我知らず、太樹は笑った。
【魔王に愛を、勇者に花束を/了】