1.
『ねぇ太樹、今年の夏休みは京都に行かない?』
『京都? なんでまた急に』
『この前テレビで見たんだけど、新しくできたパフェのお店が評判なんだって』
『またスイーツか。そんなことだろうとは思ったけど』
『いいでしょ。行こうよ。京都なら他にも観光できるところは多いし』
『俺はかまわないけど、あの子が許さないんじゃないの。ほら、なんだっけ。おまえの幼馴染みの』
『あぁ、美緒のこと? いいよ、あいつのことは放っておいて』
『だけど、怒られるんだろ、俺とつるんでると』
『まぁね。でも、いい。だって僕は――』
夢の中で、ずっと翼と一緒にいた。
交わした会話、行った場所、一緒に見た風景。思い出深いできごとがたくさんあるわけではなかったけれど、翼と同じ時間を過ごせたことがなによりの幸せだったのだと改めて思う。
自宅のベッドの上で太樹が目を覚ましたときには、すべてのことが終わっていた。
枕もとにスマートフォンが置かれていたが、電源が落ちていた。充電器につなぎ、少し待ってから電源を入れると、あれからすでに三日が経っていることに驚いた。魔力を大量放出したとはいえ、これほど長く眠り続けていたのははじめてだった。あきらかに眠りすぎているのにからだが疲れている感じもなく、むしろあり余る活力に満ちている。我ながら、気味が悪い。
太樹が目覚めたとの連絡を受け、西本が見舞いに訪れた。彼から聞かされた話では、事件は首謀者・羽柴良輔の自殺という形で幕引きとなったらしい。捜査機関への根回しについては西本が一手に引き受けたそうで、太樹、美緒、武部による発砲その他の戦闘行為はなかったことにしてもらえたようだ。
一方、美緒のほうはかなり大変だったらしい。仮にも政府の魔王対策チームに所属する職員であるにもかかわらず、チームに無断で羽柴を討ち、あろうことか自ら勇者となった美緒の行動を咎める向きが大多数だったという。
それでも美緒は毅然とした態度を崩すことなく、チームの大人たちの前で言ったそうだ。「翼くんの真の願いを叶えられるのは、わたしと、魔王の容れ物であるあの人だけです。わたしを勇者の座から引きずり下ろすということは、あなたたちはこれまで勇者として国のために尽力してくれた翼くんの死を軽視するという意思を表明し、明城家、および我が渡会家を敵に回すということになりますが、よろしいですか」。翼の生まれた明城家は特に、勇者の生まれる家として政府から手厚い保護を受ける一方で、財の多くを魔王対策チームの運営費として提供するパトロンでもあるのだという。つまり、チームが美緒を受け入れないということは、資金源を失い、チームの存続そのものが危うくなるということらしい。少々手荒な方法ではあったが、美緒は勇者としての地位をどうにかこうにか死守したそうだ。
今後もこれまでどおり普通の生活を送るようにと太樹に告げ、西本は「では、またどこかで」と笑顔で挨拶をして帰っていった。平日の正午を少し回った今、彼は残り半日を忙しなく過ごすことだろう。
俺はどうするかな、と迷ったが、太樹も午後の授業を受けに行くことにした。あの子は来ているだろうかと、美緒のことを考えながら準備をし、家を出た。
昼休み中だというのに、私立首都学園高校の校舎内は騒がしさとは無縁だった。定期テストまであと二日だというのに、また少し登校する生徒が減ったように思う。
ホームルームである207教室へ向かう前に、北館の108教室を訪ねてみる。室内を覗くと、自分の席にひとりぼっちでスマートフォンを操作している美緒の姿を見つけた。
「美緒」
名前を呼ぶと、トレードマークのポニーテールのてっぺんでピンク色のリボンが揺れた。顔を上げると、美緒は早足で廊下へ出てきてくれた。
「ずいぶんよく眠っていましたね」
「あぁ、自分でもびっくりだよ」
「体調は?」
「その質問に意味がないことを知ってて訊いてるのか」
ですね、と美緒は涼しい目をしてうなずき、「それで」と太樹に先を促す。
「なにかご用でしょうか」
「礼を言いに来たんだ。あれ以来、あんたとはまともに話せてなかったから」
気持ち背筋を伸ばし、太樹は美緒の目を見て微笑んだ。
「ありがとう。あんたのおかげでなんとか立ち直れそうだよ」
美緒と出会えていなかったら、翼を失った悲しみから立ち直れる日は来なかっただろう。こんなにも清々しい気持ちでいられるのは間違いなく美緒のおかげだ。翼がいない現実は変わらないし、痛みは一生消えないけれど、それでも今を前向きに生きようと思えている。翼の分まで、精いっぱい笑って。
どこまで行っても暗闇ばかりだと思っていた。でも、そうじゃないことが今はわかる。
ふさぎ込んでいても始まらない。現状を打開するには、自ら行動しなければダメだ。
美緒と翼に教えてもらった。これからは、もう少しだけ高校生らしく生きてみる。残り一年、人間らしく生きてみる。
そうすれば、なにかが変わるかもしれない。変わらないとあきらめて、逃げるために死を選ぼうとしていた頃とは違う未来が来るかもしれない。
期待はしない。でも、絶対に顔を下げはしない。
あとのことは美緒にまかせておけばいいのだから。彼女なら、きっと立派にこの世界を守り抜いてくれる。
美緒はじっと太樹の目を見つめ返し、やがて静かに口を開いた。
「翼くんのお墓参りに行きませんか」
「え?」
「葬儀はすでに終わっています。あなたから翼くんへ報告したいことがあるのでは?」
付き合いますよ、と美緒は珍しく太樹に寄り添うようなことを言ってくれた。明城家の墓は美緒の自宅から歩いて行けるところにあるという。
放課後、二人は同じ電車に乗って美緒の自宅の最寄り駅へ向かった。翼の墓前に供える花を買いたいと美緒に言うと、美緒は墓地とは反対方向だという花屋に案内してくれた。
梅雨時期には貴重な快晴の空に輝く太陽が、アスファルトの歩道を歩く太樹の肌をジリジリと焦がす。自分だけちゃっかり日傘を差している美緒が「そこです」と指さした先で、小さな花屋が歩道の隅にまで鉢を並べて営業していた。
店先いっぱいに、色とりどりの花が所狭しと飾られている。その鮮やかな風景を見て、ふと思いついた。
店の前で足を止め、太樹は美緒に目を向けた。
「外で待ってて」
「どうしてですか」
「あんた、センスなさそうだから。口出しされると妙な花を選ばれかねない」
「失礼な!」
頬を膨らませて反論しつつ、美緒はおとなしく店の外で待っていてくれた。手早く注文と支払いを済ませた太樹は、供花とは別に、もう一つの小さな花束を持って店を出た。
「はい」
白い包みの供花ではなく、太樹はオレンジ色のリボンで束ねられた黄色いガーベラの細長い花束を美緒の前に差し出した。
「前から思ってたけど、そのリボン、黄色のほうが絶対似合うよ」
美緒の頭に結ばれているピンクのリボンが、存在を主張するかのように風に揺れる。
リボンで髪を束ねること自体はかわいいのに、選んだ色のせいでどうしてもガキっぽく見えてしまうのがずっと気になっていた。だが、黄色やオレンジのようなビタミンカラーに変えればどうだろうと、軒先に並んだ花を見て不意に思った。
乙女チックなピンクより、美緒には元気と勇気に満ちたビタミンカラーのほうが似合う。パステルカラーのような淡い色合いのものを選べばより落ちついた雰囲気にもなるし、こうして隣を歩いていても恥ずかしくない。趣味が悪いとまでは言わないが、もう少し年相応の格好を心がけてもいいと思う。仮にも彼女は華の女子高生なのだから。
美緒は太樹に差し出された五本のガーベラを、最初こそ驚きに満ちた目で見つめていた。しかしそれも一瞬のことで、彼女はムッとした顔をして太樹をにらんだ。
「わたしはピンクが好きなんです」
「わかってる。でも、似合わない。ガキっぽい」
「余計なお世話です」
「買ってやるから、黄色にしろよ」
「結構です。あなたなんかに気づかわれる筋合いはありません」
「じゃあ、翼が黄色にしろって言ったら?」
「それは……」
美緒はわかりやすく目を泳がせ、そろそろと花束に手を伸ばした。翼にも指摘されたことがあるのだろう。やっぱり素直だな、と太樹は微笑ましい気持ちになった。