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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第三章 剣の行方
33/35

3-2.

「ご覧にならないのですか」

 205教室の窓際の壁に背を預け、床に腰を下ろして静かにまぶたを閉じている太樹に、武部は窓の外の様子に目を向けたまま問いかけた。いつの間にか、中庭で鳴り響いていた銃声が止んでいた。

「どうなってます?」

「形勢は羽柴先生に傾いていますね。あの子……渡会さん、でしたか。羽柴先生から最初に銃を奪ったことはいい判断だったと思いますが、いかんせんあの体格差ですからね。接近戦では彼女が不利なのは明白でしょう」

 武部の話によれば、美緒は一発目に羽柴の右手に握られていたハンドガンを狙い撃ち、その手から弾き飛ばしたという。だが羽柴は隠し持っていたもう一丁の銃を即座に左手に構え、発砲。連射された弾の一発は美緒の右肩をかすめたが、美緒は一瞬たりとも怯まず応戦し、撃ち返した銃弾は羽柴の左腕を抉った。

 動きの鈍った羽柴に詰め寄りながら、美緒は確実に羽柴の左手の銃を撃ち、弾き飛ばす。弾が切れた自らの銃を手放すと、今度はナイフをその手に握り、羽柴との距離を一気に詰めた。

 地を蹴って飛び上がり、振りかぶったナイフを羽柴の首もとめがけて勢いよく振り下ろす。羽柴はほとんど右腕一本で美緒の攻撃をいなし、目にも止まらぬ速さで美緒を地面に伏せさせた。

 うつ伏せ状態でうめく美緒の右手を羽柴は容赦なく踏みつけ、ナイフから手を離させる。転がったナイフを二の腕から流れ出した血で染まる左手でつかむと、美緒のからだを強引に仰向けへと転回させた。

 羽柴の振りかぶった左手を、美緒は両手で受け止める。負傷しているはずの左手でも、からだの大きい羽柴のほうが力が強く、ナイフの切っ先はじりじりと美緒の首もとへと近づいていく。

「よろしいのですか」

 武部はまだ座り込んだままの太樹を見やる。

「このままでは、愛しの彼女が負けてしまいます」

 愛しの? にらむように顔を上げると、武部の穏やかな笑みが降ってきた。よからぬ勘違いをされているらしい。

 腹に力を入れ、ゆっくりと腰を持ち上げる。全身が石のように重い。なんとか立ち上がれたものの、頭痛がひどくてふらついた。

「大丈夫ですか」

 武部が肩を支えてくれた。太樹は大きく息をしながら窓枠に手をやり、どうにか自分の足で立つ。中庭の様子に目をやると、仰向けに倒された美緒に羽柴が馬乗りになり、ナイフで美緒の首を狙っていた。

 美緒は両手で羽柴の振りかぶるナイフをつかみ、腕を振るわせながら必死に抵抗を試みているが、力で押し切られるのは時間の問題だろう。一分と待たず、美緒の仕掛けたこの戦いには決着がつく。

「……なにやってんだ」

 別に愛しくはないが、あの子に負けてもらっては困る。太樹のためにも、翼のためにも。

 太樹は取っ組み合う美緒と羽柴に向かって右手を伸ばした。とりあえず美緒から羽柴を引き剥がすことで危機は脱せる。

 やりたいことを頭の中でイメージし、魔力を解き放とうとしたが、太樹を引き留めるように武部が太樹の右手に自らの手を重ねた。

「私が」

 いつの間にか、武部の肩には西本が貸してくれたというスナイパーライフルが構えられていた。右の人差し指をトリガーにかけ、片目を瞑って狙いを定めると、彼は迷うことなく引き金を引いた。

 乾いた銃声が、土の壁と校舎の外壁の間で反響する。放たれた弾丸は倒れる美緒のすぐ左に撃ち込まれ、こちらに背を向けていた羽柴が反射的に太樹たちを振り返った。

 武部のつくり出した一瞬の隙を逃すことなく、美緒は羽柴の左腕をひねりながら地面にたたきつけ、ナイフを取り落とさせた。羽柴は腕を取られた勢いで地面に倒れたが、すばやい受け身で片膝立ちの姿勢を取り戻す。その間に美緒は羽柴の手からこぼれたナイフを取り戻し、羽柴と距離を取って立ち上がった。

 そのまま羽柴とやり合うのかと思ったが、美緒は羽柴にナイフの先を向けたまま、本館二階の太樹と武部に向かって吠えた。

「手出し無用と言ったはずです」

「殺されかけてたヤツが言えたことかよ」

「余計なお世話です!」

 美緒はナイフを握り直し、視線を羽柴へと戻した。

「まだまだこれからですよ」

 その自信はいったいどこから湧いてくるのか、美緒は再び羽柴との戦いへと戻っていく。まるで互いのくり出す技を事前に組んだ殺陣たての演技を見せられているかのように、美緒も羽柴も一分いちぶの無駄もない動きで相手に攻撃を仕掛けている。

 だが、美緒の劣勢は変わらなかった。体術にも長けた羽柴は美緒の攻撃をほとんど見切っているようで、美緒にそのつもりはなくても彼女の握るナイフはただやみくもに振り回されているようにしか見えない。

 それでも彼女は攻撃の手を止めなかった。もちろん、羽柴の手の上で踊らされていることを彼女は誰よりも深く理解している。

 だからといって、立ち止まるような少女ではない。それは太樹が一番よくわかっている。この二日間、ずっと彼女のことを見てきた。

 願いを叶えるためならば、彼女は決して歩みを止めない。たとえ全世界が敵に回っても、彼女は彼女の信じた道を進み続ける。

 彼女の願いは、翼の敵を討つこと。翼の望みを叶えること。

 翼の代わりに勇者となり、太樹の中に眠る魔王と正しく向き合い、倒すこと。

 羽柴との戦いは、そのための前哨戦だと彼女は言った。格上の羽柴を倒すことができてはじめて、翼の代わりに勇者を名乗る資格を得るのだと。魔王対策チームにこの戦いのことを伏せた上、意地でも太樹の手を借りようとしないのは、彼女なりのけじめのつけ方だと受け取った。彼女一人で乗り越えなければ、望んだ未来は手に入らない。

 羽柴が美緒を蹴り飛ばし、美緒は小さな悲鳴を上げながら後方へ吹っ飛ばされた。からだごと地面を転がった拍子に手からナイフがこぼれ落ちる。

 羽柴も息が上がっていたが、足の動きはまだまだ軽快だった。美緒が起き上がるより早く、彼は先ほど美緒の放った銃弾に弾き飛ばされた小型の拳銃を拾いに走る。

 駆けながら身を屈め、羽柴は銃を拾い上げた。そのまま構えて美緒を狙うかと思われたが、羽柴は足の動きを緩め、音もなく土の壁の前で立ち止まった。

「強くなったな、美緒」

 歯を食いしばりながら必死に立ち上がろうとする美緒にそう言い、羽柴は勝ち誇ったような笑みを口もとに湛えた。

「だが、残念ながら俺の勝ちだ。翼の代わりに勇者になるつもりだったのだろうが、おまえの願いは叶わない」

 右手に提げていた銃を持ち上げた羽柴は、銃口を自らのこめかみに押し当てた。

 今だ――。太樹は右手を羽柴に向かって伸ばし、魔力を放った。

 銃を握る羽柴の右手が石のように固まる。羽柴の表情が驚きと怒りに満ちていき、「くそ」とこぼしながら自由な左手で固まったまま下ろした右手から銃を引き剥がそうとし始めた。

「鬼頭くん」

 隣に立つ武部が、太樹にハンドガンを差し出した。太樹は受け取り、中庭の美緒に向かってそれを優しく放り投げた。


 事はすべて、美緒の想定したとおりに展開していた。

 手練てだれの羽柴を美緒一人で仕留められると彼女は最初から考えていなかった。苦戦をいられ、あるいは逆にやられてしまうかもしれないと思っていたくらいだった。

 羽柴の思考についても美緒はある程度予想できていた。魔力によって出入り口をふさぐことで彼を捕縛したも同然の状況になるにはなるが、一方で彼を心理的に追い詰めることにもなる。

 追い詰められれば、人は強硬手段に出やすくなる。羽柴の場合、ある手段で『勇者の剣』が美緒の手に渡ることを阻止しようとするはずだと美緒は読んだ。

 自殺だ。太樹たちがなんとしてでも食い止めなければならないのは、羽柴が自ら命を絶つこと。

 羽柴には家族がいない。『勇者の剣』は血縁者に受け継がれるのが原則で、例外は所有者が他者の手によってその命を奪われる場合だ。

 では、所有者が自殺をしたときはどうなるか。これについては過去のデータがないという。羽柴のもとを離れた『勇者の剣』が誰の手に渡るのか、あるいは消滅してしまうのか。いずれにせよ、一年後に迫る魔王の復活という危機に立ち向かう唯一の力を人類は失いかねない状況になることは間違いない。

 羽柴がそれを狙うだろうというのが美緒の予想だった。殺人を犯してまで勇者になりたがった男が、かつてチームの人間として独り立ちできるよう育てた美緒の手に剣が握られることを良しとするはずがない。彼の狙いがなにであったとしても、人類の支配する地球テラの存続を彼が望まないことは明白であり、魔王の復活を許さない美緒たちチームの人間が勇者となる未来はなんとしてでも避けようとするはずで、そのために羽柴が取り得る手段は自殺の他に考えられない。

 だから美緒は、事前に太樹に吹き込んでおいた。もしも羽柴が自殺に走ろうとし、美緒にそれが止められそうにないときは、どんな方法でもかまわない、羽柴のことを止めてほしいと。


 翼の願いは、絶対に叶えなければならないのだと。


「撃て、美緒!」

 校舎の二階から中庭へ、太樹のほうった銃と言葉がまっすぐ美緒のもとへと舞う。

「翼の願いは、あんたが叶えろ!」

 結局のところ、翼の願いを叶えられるのは新たに勇者となる者だけだ。

 彼女以外に、適任者がいるはずもない。

 美緒の右手が、太樹からのパスを受け止める。美緒は迷いなく銃の安全装置をはずした。

「言われなくても」

 銃口が羽柴に向けられる。的が定まるよう、太樹は魔力で羽柴の全身を硬直させた。

 乾いた銃声が鳴り響く。弾は一直線に羽柴の左胸を貫いた。

 羽柴が仰向けに倒れた中庭で、砂ぼこりが立ち上がる。銃声の残響も耳を離れ、四方を高い壁に囲まれた戦いの舞台は静寂に包まれた。

 終わった。時間にして数十分という戦いは、まるで永遠であるかのように長く感じた。

 太樹のからだがぐらりと傾ぐ。武部が受け止めてくれはしたが、今にも意識が飛びそうだった。

 閉じかけた瞳で、中庭の美緒を見やる。いつの間にか、彼女の左手には大振りの剣が握られていた。

 平たい刃の幅は広く、赤い装飾の施されたと束はアニメの主人公が持つにふさわしいきらめきに満ちたデザインだ。小柄な美緒が振るうにはやや大きすぎる気がしたが、彼女の戦闘服である赤いリボンと色合いがマッチし、まるではじめから彼女のために用意された武器のようにも見えてくる。

 太樹の視線に気づき、美緒は太樹たちのいる本館の二階を静かに見上げた。くるりと丸い瞳から、大粒の涙があふれ出す。

 よくがんばったな。

 そう声をかけてやるつもりで、太樹は美緒に精いっぱいの笑みを贈り、大きく一つうなずいた。美緒はいよいよかわいらしい顔をくしゃくしゃにし、声を上げて泣き始めた。

 こらえ続けてきた悲しみが涙の川へと変わっていく。大切な人を唐突に失い、信じていた者まで手にかけて、それでも彼女は自らの足で立ち続けている。翼に代わって勇者となった自分への戒めのように。本当なら、立ち上がることさえままならないほどの心の傷を負っているはずなのに。

 たいしたものだ。彼女ほど強い女性は見たことがない。抱きしめて、頭を撫でてやりたい気持ちは十分すぎるほどあるのに、情けないかな、からだがまるで動かない。

 あの子になら、殺されてもいい。

 改めてそう思いながら、太樹は武部の腕の中で静かに目を閉じた。

 まぶたの裏で、翼が微笑みかけてくれる夢を見た。

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