3-1.
「なるほど」
魔王の力がつくり出した巨大な土の壁を振り返り、羽柴は静かに口角を上げた。
「俺から逃げ場を奪ったわけか」
「当然でしょう。あなたには『勇者の剣』を返してもらわなくてはなりませんから」
美緒は銃をかまえ直す。作戦の第一段階はひとまずクリアだ。羽柴を物理的に囲い込み、一対一の戦いに持ち込めた。
こんなときでも、羽柴はそれがいつもの癖というように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「あの男、ただの雇われ警備員ではなかったようだな」
武部のことを言っているらしい。答えてやる義理はなかったが、美緒は「えぇ」と返事をした。
「わたしも知りませんでした。武部さんは元陸上自衛隊員、それも特殊作戦隊員の資格保持者です」
「ほう。どうりで銃の扱いに慣れているわけだ」
「射撃は得意だったそうですよ。なので、あなたをこの中庭へ誘い込む役目をお願いしました」
羽柴を相手に、校舎内で逃げ回られてはとても勝ち目はないと思った。ならばいっそ、戦いの舞台を校舎の外へ移してしまおうと考えた。
魔王の手を借りるのは癪だったが、この中庭は羽柴を閉じ込めておくのにうってつけの場所だった。すでに二つの校舎に囲まれているため、あとは東西に一本ずつ走る一階の渡り廊下さえふさいでしまえば逃げ場はなくなる。魔王の持つ魔力を使えば厚い壁をこしらえるなど造作もない。少し派手に魔力を使うことになるため、あの男には魔力をセーブするよう言い含めておいた。倒れて気を失われても、今は面倒を見てやれない。
逃げるなら廊下へ出るだろうと想定し、廊下にはあえて人の気配を漂わせた。戦闘経験豊富な羽柴ならすぐに廊下をふさがれていることには気づくだろうと考えた。当初は西本を待機させる予定だったが、彼は武器の扱いに不慣れで、本人も不安そうな顔をしていたのが気がかりだった。羽柴を確実に中庭へ誘い込むには、廊下から弾薬の雨を降らせ、窓を割って外へ飛び出すよう仕向けることが必須だった。
それでも美緒は渋る西本を説得して作戦を強行しようとしたが、思わぬ助っ人が名乗り出てくれた。いつから美緒たちの作戦会議を聞いていたのか、武部は「では、そのお役目は私が」と自身がかつて陸上自衛隊に所属し、レンジャーの特別訓練を受けた経験があることを明かし、西本の代わりに廊下から援護射撃をする役目を引き受けてくれたのだ。
おかげで作戦の第一段階は突破した。ここから先は、美緒の仕事だ。
「無駄話をするつもりはありません」
美緒はかまえた銃口の照準を羽柴の額に合わせた。
「『勇者の剣』を返していただきます」
「返す?」
羽柴は右手に握る銃をかまえないまま口を開き、余裕があるのか笑みまで浮かべた。
「おまえが俺を殺すつもりか、美緒?」
「でなければ、このような舞台は用意しません」
「いいのか。俺を殺すということは、おまえに剣の所有権が移るんだぞ」
「わかっています。覚悟なら、とうにできていますから」
――犯人は、羽柴先生。
頼みごとだと言われて魔王から手渡されたメモに、短くこう書かれていた。
――先生を殺して、『勇者の剣』の継承者になってほしい。
簡単には受け止められない現実に加え、魔王の魂を宿したあの男は美緒にさらなる望みを託してきた。
――あんたになら、殺されてもいい。
それはかつて、あの男が翼にかけた言葉だという。
魔王の化身として生まれながら、彼は誰よりも地球の平和を願っていた。家族と翼以外には大切な人なんていない世界を、それでも彼は守ろうとした。壊れてしまわないようにと強く願った。
その願いを共有し、託していた翼を失い、彼の絶望はより深くなったことだろう。けれど彼は悲しみを乗り越え、己の力で『勇者の剣』のありかにたどり着いた。
背中を押したのは美緒だったかもしれない。けれど、彼の想いの強さは本物だった。
魔王でありながら、彼はこの星に明るい未来をもたらすことをあきらめなかった。それは翼の願いでもあり、彼は翼の遺志を正しく継いでくれる者を死に物狂いで探していた。
そして彼は、美緒を選んだ。
美緒の手に『勇者の剣』が渡れば、かつて翼と想いをかよわせたように、魔王と勇者がともにこの世界の平和を願える世の中に戻る。争いはなくなり、しかるべき時間がくれば、魔王は勇者によって倒され、消える。
――叶えられるのはあんただけだ。あんたになら、安心してこの星をまかせられるよ。
言葉にこそしなかったけれど、あの短い文面からはしっかりとそう読み取れた。あの男と翼、二人の想いがこもった言葉。
二つの願いが重なり、共鳴し、美緒に力を与えてくれた。
怖い気持ちはもちろんある。だけど、ここで逃げたら、翼くんに笑われちゃう――。
『美緒さん、聞こえますか』
左耳に装着している超小型ワイヤレスイヤホンから西本の声が聞こえてきた。彼は今、学校の敷地の外、正門のゲートの向こう側にいる。
『先ほどの発砲について、警察に通報が入りました。機捜の到着までおよそ十五分。近隣住民も騒ぎ始めているようです。急いでください』
焦りを感じさせるような口調は、すでに西本が学校の外に集まり始めた近隣住民の対応に追われかけていることを伝えていた。警察が組織する初動捜査担当の機動捜査隊が来るまで十五分との報告は、同時に魔王対策チームの現場部隊がまもなく到着することを示している。美緒に与えられた時間はほとんどないと言っていい。
「別の覚悟も決めておいたほうがいいぞ、美緒」
羽柴はかけていた眼鏡をはずして放り投げると、右手に握った銃の先を美緒に向けた。
「おまえごときに倒されてやるほど、俺は優しい男ではない」
おまえを殺し、自らの理想を実現させる。言外に告げられた彼の想いは本気の証と受け取った。そうでなくては、今ごろこんなことにはなっていない。
「上等です」
美緒はトリガーにかけた指に力を込めた。
「手加減不要でお願いします」
羽柴めがけて、美緒のハンドガンが火を噴いた。