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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第三章 剣の行方
31/35

2-4.

 頭が真っ白になる。こうなるかもしれないと予測できていたはずなのに、ずっと太樹に優しかった羽柴に牙を剥かれたことをからだが理解してくれない。

「話したことがあっただろう。俺が国家公務員になった理由を」

 頭上から降ってくる羽柴の言葉に、太樹は歯を食いしばりながら顔を上げた。

 覚えている。羽柴には叶えたい理想の世界が存在し、そのために力を求めていると話してくれたことがあった。

 彼の願いは、この世界の理不尽を正すこと。

 理不尽に虐げられる人をゼロにするためのシステムを作り上げること。

 彼は理想を実現させるために、翼を殺して自らが勇者となったというのか。

 だとしたら、彼の目的は。

「魔王に、世界をつくり変えさせるつもりですか」

 力の入らない足で立ち上がり、太樹はにらむように羽柴を見た。

「魔王のつくる世界が、あなたの理想?」

「そうではない。俺が望んだのは、魔王にこの世界を一度ゼロに戻してもらうことだ。ゼロに戻れば、一から新しいシステムを構築できる。自ら勇者となることを選んだのは、勇者に魔王を倒されてしまっては困るからだ。俺の願いを叶えるためには、魔王の力が必要だった」

 魔王を倒そうとしていた勇者が、羽柴にとっては邪魔だった。

 だから彼は翼を殺した。正しく勇者となろうとしてくれていた翼を。

「そんなことで」

 怒りのあまり、声が震えた。

「あんたの理想のために、翼は死んだって言うのか」

「そうだ。なにか問題があるか?」

 羽柴の冷めきった瞳が太樹を射貫く。

「今に始まったことではないだろう。どこの国でも似たような歴史をくり返していることはおまえも知っているとおりだ。理想の世界をつくるために人々は戦い、邪魔なものは徹底的に排除した。時には大国同士がぶつかり合い、強いほうが生き残って今に至る。わかるだろう。この世界は多くの犠牲の上に成り立っている。翼の死は、そのうちの一つにすぎないことだ」

 反射的に床を蹴り、太樹は羽柴に向かって飛び出した。

 握った拳を羽柴の顔面めがけて振るう。だが、渾身の一発はかすりもせず、羽柴は右腕一本で軽くいなし、バランスを崩した太樹のからだは羽柴の左足におもいきり蹴飛ばされた。

 整然と並んでいた机のいくつかにぶつかりながら、太樹は教室の床に転がる。全身に強い痛みを感じ、背中を打ちつけたせいで息が詰まった。

「殺すまでもないと思っていた時期もあったよ」

 のろのろと上体を起こす太樹を相手に、羽柴はほとんど一方的に語った。

「あいつは知りたがっていた。きみの命を助けた上で、魔王だけを倒す方法を。そうやって悩み続けていてくれれば、俺はあいつを殺さずに済んだんだ。そんな都合のいい方法など存在しないし、きみに剣を向けることをためらえば、魔王が勇者をのみ込む未来に変わるかもしれないと思ったからな。翼がきみに依存するようになったことは極めて好都合だったよ。芽生えた友情が迷いを生み、勇者が敗北する未来に確実に近づけさせていた。だが、先日の加賀との電話で、あいつは加賀にこう言ったんだ」


 ――魔王は倒すよ。それが太樹の願いだから。


「翼の心は次第に俺の目論見からはずれ始めた。きみの中に眠る魔王を倒すことこそきみを救うことになるのだという思考に翼はどんどん溺れていった。いかにスマートに、最小限の被害で魔王を倒すか。それだけを考えるようになっていった。俺にとって、これほど都合の悪いことはない。俺の理想を叶えるためには、あいつにきみを倒されてはならなかった」

「だからって」

 倒れていない机の端に手をつきながら、太樹は痛むからだで立ち上がった。

「翼を殺していいことにはならない」

「では、きみは俺にどうしろと言うんだ。翼を殺し、俺が勇者にならなければこの世界は変わらない。魔王が再び眠りについたあとの世界が結局今の延長線上にしか存在し得ないのなら、俺の理想は永遠に叶わないままだ。叶う可能性と、そのために必要な力が目の前に転がっていると知りながら、みすみすチャンスを逃せと言うのか?」

「叶わないよ、あんたの願いは。自分勝手な欲望のために人を殺せるあんたが考えたシステムなんかに、世界から理不尽を消し去る力があるはずがない」

「自分勝手? バカを言うな。俺は誰よりも世界の平和を望んでいるし、人々がもっと心豊かに暮らせる未来をつくろうとしているのだぞ。『勇者の剣』の使い道は魔王を切り倒すことだけではない。魔王と対等に交渉するための武器にもなるんだ。やり方次第では、誰一人傷つけることなく、魔族と人類の共存を実現させることもできるだろう」

「それができないから今があるんだろ。あんたと同じ考え方をした人が過去に一人くらいはいたはずだ。それでも魔王は人類にとって絶対の敵で、何百年、何千年と倒され続けてきた。わかるだろ、先生。無理なんだよ、魔族と人類の共存は。魔王が復活したら最後、魔王を倒さない限り、人類は滅びるんだ」

 交渉の余地などない。魔王は人類の話に耳を貸さない。相手がたとえ勇者であっても、魔王はただ自らの復活と魔族の復権をかけて戦い続けるだけなのだ。それがこの地球テラの歴史であり、人類は種の生存のために魔王を倒し続けてきた。そうしなければ、人類は絶滅するとわかっていたから。

 人類にとって、魔王は絶対に倒さなければならない相手なのだ。

「なるほど。おまえの話にも一理あるな、鬼頭」

 羽柴は少しも動じることなく、口もとに笑みさえ湛えている。

「ならば、試してダメならあきらめよう。なにもしないうちから無理だと決めつけるのはおもしろくないからな。それに、理想の実現に困難はつきものだ。なにごとにおいても」

「そうかもしれない。だけど、失敗したらあんたも死ぬんだぞ」

「わかっている。だが、どうせ死ぬのなら俺一人ではなく、人類そのものが滅んでしまったほうが潔い。この理不尽な世界で生きていくより、死後の世界で安らかに眠るほうがよほど楽かもしれないだろう? そしてそれは、他でもないきみの願いでもある。そうだろう、鬼頭?」

 今回ばかりはなにも言い返せなかった。

 毎日毎日、死にたいと願い続けてきた。周囲から忌み嫌われ、見えない壁の張りめぐらされた中で生きているより、いっそ死んでしまったほうが楽に違いない。ずっとそう思っていた。叶わない願いだとわかっていても、一刻も早く死にたかった。

 でも、

「……違う」

 今はもう、そんな風には思わない。

「死にたくない」

 翼が教えてくれた。前向きに生きていく方法を。

 怖がることなく、心を開いて、差し伸べられた手を取ることを。

 その手の先に、優しい笑顔が待っていることを。

「翼は俺に生きることを望んでくれた。だから、もう死にたいなんて言わない。あいつの分まで、精いっぱい今を生きる。人類の未来も守る。それが翼の願いだから」

 一年後、魔王として倒されるそのときまで、一人の人間としての人生をまっとうする。翼の死んだこの教室に入る前、太樹は自分自身に誓いを立てた。

 無駄死にはしない。今という時間を大切に生きる。

 死ぬときは、この世界を守って死ぬ。

 翼との約束を果たせる者に『勇者の剣』を託して。

「俺を殺すつもりか」

 羽柴がスラックスの右ポケットに手を入れた。

「廊下に美緒を待機させているだろう。さっきからどうも人の気配を感じて鬱陶しいのだが」

「どうかな。自分で確かめてみれば?」

「あいにくだが、きみから目をそらすつもりはない。魔王が相手の戦いでは一瞬の気の緩みが命取りになるからな」

「ずいぶん警戒してくれてるみたいだけど、本当に確かめてみたほうがいいですよ、先生。それに、あんたに見られていようがそうでなかろうが、俺にはあんたの動きを封じることなんて楽勝だから」

「そうだろうな。だが、だとしたらなぜ今この場で俺を取り押さえない? 簡単なのだろう、ならば今すぐきみの力を見せてみたらどうだ」

「俺だってできることならそうしたいよ。だけど、命令なんだ。魔力は使うなって」

「ほう、美緒がそんなことを」

「まったく、なにを考えてるんだか。俺にあんたを捕まえさせておけば話は早いのに、これじゃああんたを逃がしてあげてと言われてるようなもんだよ」

 廊下から足を踏み直す無機質な音がかすかに聞こえた。ほんのわずかな身動きでさえ、この静謐な空間では不必要に大きく響いてしまう。

 羽柴は不敵な笑みをこぼし、ポケットに入れていた右手を静かに抜いた。

「せっかくだ。きみたちの厚意に甘えさせてもらおうか」

 その手に握られた小型拳銃が乾いた発砲音を高らかに鳴らした。銃口はまっすぐ太樹に向けられ、太樹はとっさに膝を折り、机の影に身を隠すように小さくなった。

 廊下側の窓の一つが勢いよく開けられ、ダダダダと自動小銃の連射音が狭い教室を横断する。羽柴は廊下から離れるように中庭に面した窓に向かって駆け出すと、窓際の最前列に置かれた机を踏み台にして大きくジャンプし、肩から窓ガラスに突撃した。

 窓の割れる派手な音を伴って、羽柴は教室の二階から校舎の外へと飛び出していく。彼のからだを受け止めてくれるものなどなく、落ちた先は中庭だ。

 太樹は飛ぶように立ち上がる。割れた窓に駆け寄り、外の様子を確かめた。

 予想はできていたが、羽柴は苦もなく着地に成功したようだ。右手に銃を握ったままゆっくりと腰を上げ、余裕を見せつけるようにあいた左手で眼鏡のブリッジを押し上げる。

 だが、すぐに彼は顔色を変えた。彼の他にもう一つ、中庭で小さな人影が揺れた。

「お待ちしていました」

 その声とともに、一発の銃声が鳴り響く。放たれた銃弾は羽柴の左頬をかすめ、噴き出した鮮やかな血が羽柴の白いワイシャツに赤い染みをつくった。

「美緒」

 羽柴の表情が、驚きから怒りの色へと移り変わる。

「廊下にいるものだと思っていたが」

「あの人に言われませんでしたか、ご自分の目で確かめたほうがいいと」

 彼女の勝負服であるという真っ赤なリボンをポニーテールのてっぺんで輝かせ、美緒は両手で銃をかまえたまま羽柴に言った。羽柴はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「西本か。……いや、あいつにアサルトライフルは操れない」

 思い直してつぶやいた羽柴が205教室を見上げてくる。中庭を見下ろす太樹の隣に、廊下で自動小銃をぶっ放した男が静かに立った。

「一発でも当てておいたほうがよかったでしょうかねぇ」

 いつもの好々爺然とした笑みを湛え、その人は窓から羽柴を見下ろした。右肩には自動小銃、服装はやはりいつもどおり、守衛用の紺色の制服。

「いや、これでOKですよ、武部さん」

 答えた太樹は右手をすぅっと横に伸ばして持ち上げた。

「ハンデなしの戦いを望んでましたからね、あの子は」

 太樹の右手に淡い光が宿る。次の瞬間、にらみ合う美緒と羽柴それぞれの背後に巨大な土の壁が出現した。

 ゴゴゴゴとすさまじい音を立ててせり上がった分厚い壁を、羽柴がちらりと振り返る。壁は中庭の出入り口をふさぎ、美緒と羽柴は四方を校舎と土の壁に囲まれた。

 右手から光が消えると同時に、太樹のからだがふらついた。隣にいた武部がとっさに手を貸してくれたが、立っていられず、教室の壁を背に床へ力なくへたり込む。

「大丈夫ですか」

 武部の呼びかけにうなずいてこたえるけれど、いつもより大きな魔力を発動させたせいか、眩暈がひどくて目が開けられない。

 しばらく肩で呼吸し続け、ようやく細く目を開けられるまで回復したとき、中庭から乾いた発砲音が聞こえてきた。

 始まったようだ。『勇者の剣』の争奪戦が。

「……あとはまかせた」

 大きく息をつき、太樹は美緒の命運を祈るように教室の天井を仰いだ。

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