1-2.
「どこへ行くのですか」
美緒の問いかけに振り返ることもせず、淡々と校舎の一階まで階段で下りる。南館へと続く渡り廊下を行き、南館へ入ると、静まりかえった一階の廊下に目を向けた。
南館の一階は、正門に一番近い西側の昇降口が職員・来客者専用となっており、入ってすぐに窓口付きの守衛室がある。そこから東に向かって校長室、会議室、保健室と続き、渡り廊下を挟んだ突き当たりの一室が多目的教室になっている。有野が放課後に暇をつぶしていたという映画研究部の部室だ。
太樹は廊下を東へ向かって歩き出す。左手の窓から本館の校舎が見え、少し視線を上げて二階の教室を見つめながらゆっくりと足を動かした。
本館の西階段を上ったすぐ右手にあるのが、翼の殺された205教室。今太樹たちのいる南館一階では守衛室の前だ。
窓際に歩み寄り、205教室の中を覗くように目を凝らす。あの日、翼の座っていた窓際の席は柱に隠れることなくよく見える。
踵を返し、太樹は守衛室の窓口に顔を出した。今日の担当は偶然にも、翼の遺体を最初に見つけた武部だった。
太樹の顔を見て、守衛用の紺色の制服を着た武部は「おや」と嬉しそうに頬をほころばせた。
「ずいぶん顔色がよくなりましたね。安心しました」
「どうも。あの、一つ聞きたいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょう」
「翼の事件があった日のことなんですけど、有野芽以という一年生がここを訪ねてきませんでしたか」
有野の名前に覚えがあったらしく、武部は、「あぁ、あの子ね」と首を縦に振った。
「来ましたよ。五時頃でしたか、定期券の通学証明書を取得しにね。七月から通学ルートを変更したいと言うので、事務の方におつなぎしました」
守衛室は事務室と一体になっていて、生徒・教員にかかわらず事務的な手続きが必要な場合はこの守衛室の窓口で申請をおこなう決まりになっている。基本的には武部をはじめ守衛が窓口の番をしているが、受けた用件によって担当職員が代わり、対応してくれる。
それはともかく、太樹の予想したとおり、有野は翼の事件当日、多目的教室を離れていた時間があった。武部の証言によれば、有野が守衛室を訪れたのは事件発生前の午後五時頃。通学定期券の手続きをしていたというから、守衛室を離れたのはそれから五分ほど経った頃になるだろうか。
「武部さん、翼が殺された日の、俺たちがつけてるこのスマートウォッチの位置情報の記録、見せてもらうことはできませんか」
太樹は自らの左手首を持ち上げて頼み込んだが、武部は「いやぁ、さすがにそれは……」と答えを渋った。
「いくらきみの頼みでも、こればかりは個人情報の関係もありますのでねぇ」
「じゃあ、自分がお願いしたら、聞いてもらえます?」
太樹の背後から、西本がひょっこりと顔を覗かせた。窓口の向こう側にいる武部に向かって警察官であることを示す黒い身分証を掲げている。
「彼らには我々警察の捜査のお手伝いをしてもらっているんです。というわけで、今の鬼頭さんからの要請は、警察からの要請ってことで、ね?」
わざとらしいくらいににこやかな表情をつくる西本に、武部は「そういうことでしたら」とようやく折れてくれた。太樹たちを守衛室へ招き入れ、モニターにデータを映し出す。
「何時のものを確認されますか」
「五時以降で」
太樹の指示に従い、武部は二日前の午後五時時点での情報を出してくれた。学年ごとに色分けされた丸印で表示され、二分ごとに更新されるという位置情報のデータは、丸印をクリックすると生徒カードの画像がポップアップに表示されるようで、午後五時の時点での有野の位置を示す丸印はまだ多目的教室にあった。その後、守衛室を訪れたのが午後五時六分。午後五時十二分には守衛室の前を離れ、多目的教室へ戻ろうと廊下を引き返し始めたようだ。
しかしそれ以降、有野の位置を示す赤い丸はしばらく同じ場所にとどまっていた。五時十四分、十六分、十八分と、五時十二分から数えておよそ六分間、廊下の一点から赤い丸は動かない。それから二分後の五時二十分にようやく位置が変わり、再び多目的教室に戻ったのち、午後五時五十二分にスマートウォッチを下駄箱へ返却したようだ。武部はこの日に限らず、毎日のように最終下校の見回りで多目的教室に引きこもっている有野に声をかけ、下校を促しているという。よほど家に帰りたくなかったのだろう。
「やっぱり」
データを見て、太樹はいよいよ確信した。
有野が立ち止まっていた場所、時間。なぜ彼女が殺されたのか。
一連の事件は、一人の人間による連続殺人だったのだ。
「なにが『やっぱり』なんです?」
太樹の思考を、美緒の声が遮った。
「なにを知りたかったのですか、あなたは」
「有野芽以が殺された理由だよ」
「殺された理由?」
太樹はうなずき、モニターの前に座る武部の背中に声をかけた。
「すいません、五時十分のデータをもう一度表示してもらえますか」
武部は太樹の指示どおり、午後五時十分の位置情報をモニターに映し出す。この時点では有野はまだ守衛室の前にいた。
「警察の話だと、この時間、翼は魔王対策チームの人と電話をしていたんだったよな。つまり、この時点で翼は生きていた。武部さん、二分後の情報をお願いします」
はい、と武部はおそるおそるといった風に返事をし、画面の表示を切り替える。時刻はおとといの午後五時十二分。有野の位置を示す赤い点の位置が守衛室の窓口の前を離れ、廊下のある地点に移動した。
「このあと有野は、この場所で六分間も立ち止まってる。なんでだと思う?」
「なんで、って……」
美緒は難しい顔をしたが、西本にはピンと来たようで「そうか」と両眉を跳ね上げた。
「この位置って、もしかして」
そうです、と答えてから、太樹は主に美緒に説明するように有野を示す赤い点を指さした。
「有野が立ち止まった位置を見てほしい。ここって、隣の本館で言うとちょうど205教室の対面だろ」
画面を指さす太樹の指がすぅっと動く。指先を目で追う美緒の表情が大きく変わった。
「まさか、有野さんは……?」
「そう。偶然だろうけど、見てしまったんだと思う。廊下のこの場所から、205教室で犯人が翼を刺し殺す瞬間を」