5-1.
残る三人の容疑者のうち、太樹と美緒が一番に会いに行ったのは一年生の飯島剛だった。今回も美緒が率先して彼に声をかけてくれたのだが、教室後方の扉の端に立った美緒の隣に太樹の姿を見つけた途端、飯島はわかりやすく血相を変えた。
「お願い。殺さないで」
仲のいい者同士で固まって過ごし、ゆったりとした時間の流れる昼休み。十五人ほどしかいない一年六組の教室に飯島の高めの声はよく響き、太樹は意図せず生徒たちの視線をひとりじめした。
「いや、殺さないって。そういうつもりで来たんじゃないから」
「嘘だ。あんた、魔王だろ。僕のことも、おととい殺されたあの先輩みたいに……」
瞳を揺らし、太樹を真っ向から拒絶する飯島の態度は、これが現実なのだと太樹に嫌と言うほど理解させた。
太樹は魔王。世間は太樹が翼を殺したと思っている。あるいは飯島の場合、今回の事件の容疑者として警察から取り調べを受けた際、あの勅使河原という刑事から余計なことを吹き込まれた可能性もある。どうせ魔王が犯人だ、あなたには形式的な質問をしているだけ。そんな風に。
太樹を廊下に残し、美緒が教室の中へと入っていく。廊下側から三列目、前から五番目の席に座る飯島の隣に立ち、同じ一年生ながら、美緒は太樹に対するような丁寧な言葉づかいで飯島に声をかけた。
「あの人の言っていることは本当です。わたしたちは翼くんを殺した犯人を捜しています」
「わたしたち? きみ、あの人の仲間?」
「まさか。今は訳あってあの人と行動をともにしていますが、本来ならば、あの人はわたしの敵です。いろんな意味で」
あきらかに太樹に聞こえるような声で美緒は言った。最後に付け加えた「いろんな意味で」に特に力がこもっていたように聞こえたのは気のせいだろうか。
「ふぅん、そうなんだ。よくわかんないけど」
飯島は顔を下げ、机の一点を見つめる瞳をぐらぐらと揺らした。
「例の事件のことなら、僕は無関係だ。あの日はたまたま家庭科の補習で居残りをしていただけで、殺された人のことだって全然知らない。なんで僕が疑われなくちゃいけないんだ。あの人が犯人なんじゃないのか」
太樹のことを顎で指し、飯島は自分の主張を一方的に話した。嘘か誠かはともかく、彼はおとといの放課後、家庭科の補習を受けていたという。
実際、彼のスマートウォッチのおとといの位置情報では、彼は放課後、園芸部の活動場所でもある正門横の花壇を訪れ、のちに南館二階の東端にある裁縫室に移動している。翼の死亡推定時刻には裁縫室に一人でおり、午後五時四十五分頃に帰宅したようだ。
「なぜ、補習を?」
美緒が問う。飯島はうんざりした様子を見せたが、答えることを拒絶しなかった。
「裁縫の実習に出られないから」
「出られない、というと?」
「針がダメなんだよ。先端恐怖症ってやつ。小学生の頃、先の尖った鉛筆が目に刺さりそうになったことがあってさ。それ以来、心がおかしくなっちゃったんだ」
「そうでしたか。つらいですね」
「まぁね。包丁も怖いから、二年に上がっても調理実習には出られない。先生にはもう伝えてあるよ、来年も補習お願いしますって」
「そうですか。ちなみに、補習ではなにを?」
「横手先生の手伝いだよ。あの人、園芸部の顧問でしょ。ここ最近、生徒がめっきり来なくなっちゃったからって、花壇と畑の手入れを頼まれたんだ」
横手とは首都学園高校に二人いる家庭科教師のうちの一人である。若くて美人だが気の強い女性と、ふくよかで愛想のいいお母さんみたいな女性の二人だが、横手は後者で、生徒たちからの人望も厚かった。
「放課後はずっと花壇に?」
「いや、五時くらいまでだったかな。横手先生と二人で作業してたんだけど、先生が会議に出るって言うんで、そのあたりの時間で切り上げたんだ。僕は補習用のレポートを書かなくちゃいけなくて、裁縫室で先生たちの会議が終わるのを待ちながら書いてたよ。先生が戻ってきたのは五時四十分くらいだったかな。それまではずっと裁縫室にいた。一人だったけど、教室からは一歩も出てない。そう言う話でしょ、きみたちが聞きたいのは」
「えぇ、まさに」
美緒が正直に答えると、飯島はため息まじりに「他に話せることはないよ」と言った。美緒は太樹に意見を求めるように視線を寄越したが、太樹が首を横に振ると、飯島に短く礼を述べ、一年六組の教室を出た。
「高所恐怖症の次は、先端恐怖症ですか」
北館から本館へと戻るために渡り廊下を目指しながら、美緒は腕組みをしてつぶやいた。
「円藤さんと同じように、飯島さんにも犯行は厳しそうですね」
「あぁ。翼は背中を刺されてる。刃物が苦手な飯島なら、仮に翼を殺す気があったとしても別の方法を選ぶだろうな」
これでまた一人、容疑者が減った。前に進めているようで、実際にはそれどころか真相から遠ざかっているような気さえする。
警察の捜査も行き詰まっているのだと西本がぼやいていたことを思い出し、納得した。警察もこうして参考人から話を聞いて回り、そのたびに手札を一枚ずつ減らしているのだ。勅使河原のあの態度はともかく、彼が太樹を犯人にしてしまいたい気持ちが今なら少しわかるような気がした。言うまでもないが、受け入れるつもりはない。
二人は北館から本館へと続く渡り廊下の前で立ち止まった。横殴りの雨がアスファルトをバタバタと打ちつけている。午後からは上がると今朝の天気予報で言っていたが、空は真っ暗でとてもそんな風には見えない。
二階から上の渡り廊下には窓があるが、一階部分だけは窓がなく、鉄格子が間隔をあけてはめ込まれているだけだった。格子の隙間から吹き込む雨は床を濡らし、ところどころに小さな水たまりをつくっている。
頭をかかえるように背を丸めながら、二人は渡り廊下を駆け抜けた。目的地は本館と南館をつなぐ渡り廊下の途中に入り口のある、掘っ立て小屋のような二階建ての小さな校舎、別館だ。
「ひどい雨ですね」
本館から南館へと続く廊下を走る頃には二人ともすっかり雨ざらしになっていた。別館に足を踏み入れた美緒は、ぼやきながら制服にかかった雨粒をハンカチで拭った。太樹は素手でパンパンと払い、雫の一部が美緒に飛んで「ちょっと」と文句を言われた。
二人がこの場所を訪れたのは次の容疑者と話をするためだ。別館の一階には生徒会室が入っており、目的の人物は昼休みをそこで過ごすことが多いと聞いた。
「失礼します」
美緒は丁寧に挨拶を述べてから扉を開ける。首都学園高校生徒会を束ねる同級生、生徒会長の臼井麻里花は、同じ生徒会役員の女子生徒二人とともに弁当を食べているところだった。