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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第二章 魔王の慧眼
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4-1.

 美緒を北館四階に一人残し、太樹は南館二階の職員室へ向かった。中に入ることはできないので、扉を開けたところで声を張って担任の羽柴を呼ぶと、彼は心配そうな顔をして出てきてくれた。

「どうした。なにかあったか」

「いえ、特に」

 勅使河原のことは黙っておいた。会っていないことにしておけば、これ以上羽柴に心配をかけることもない。

「手伝ってほしいことがあるんですけど、少しお時間をいただけませんか」

 羽柴はすぐに首肯せず、銀縁眼鏡の奥の瞳をかすかに細め、職員室の扉を後ろ手に閉めた。

「翼の事件絡みか」

「はい」

「美緒に付き合わされているのか」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるって感じです。半分は俺の意思だから」

 羽柴は一瞬驚いた顔を見せ、「すっかり感化されているな、美緒に」と悟ったように笑みをこぼした。

 事情を説明し、羽柴と二人で大型の脚立を中庭へと運ぶ。今日も今日とてひとけのない放課後だ。いったいなにが始まるのかと見物に来る者はない。

 太樹はスマートフォンを取り、番号を交換し合ったばかりの美緒に電話をかけた。待ちかまえていたかのように、美緒はすぐに応答した。

『羽柴先生は捕まりましたか』

「あぁ。準備もできた。倒すぞ」

『はい。いつでもどうぞ』

 一度電話を切り、太樹は羽柴に目で合図を送る。

 二人がかりで支えていた脚立から、二人同時に手を離す。背の高い脚立はゆっくりと地面へと向かい、派手な音を立てて倒れた。

 鼓膜がビリビリと痛む感覚に襲われながら、太樹は今一度美緒に電話をかけた。

『はい』

「聞こえたか」

『えぇ、かすかに。ですが、意識的に耳を澄ませていたので聞こえたのだと思います。仕事に集中していたらどうだったか』

「そうだよな。北館にいたんじゃ、どうしたって本館の校舎が壁になる。小さくしか聞こえなかったとしたら、記憶に残らなかったとしても不思議じゃない」

『では、彼の証言に矛盾はないと?』

「今のところはな」

 美緒の言う「彼」とは、物理科教師の大久保のことだ。太樹たちは今、先ほど聞いた大久保の話の裏取りをしているのである。

 翼の遺体が発見される午後五時五十五分まで、大久保は北館四階の物理科準備室に一人でいた。その間、彼は不審な物音を聞かなかったと話している。

 だが実際は、午後五時三十分に中庭で大きな音が鳴っていた。植木屋が脚立を倒す音で、本館の二階にいた円藤正宏はその音に気づいていた。かなりの音だったと円藤が話していたことから、大久保の耳にも実は届いていたのではないか、だとしたらなぜ大久保はその話をしなかったのかと太樹は疑問に思い、実際のところはどうだったのか、こうして実験してみることになったというわけである。

 大久保の代わりに、北館四階には美緒が残った。南館と本館の間にある中庭の音が、北館の校舎内にはどのように聞こえるのか確かめるためだ。

 結果、ほとんど聞こえなかったと美緒は答えた。つまり、大久保は嘘をついていない。本当は聞こえていたのになにもなかったと話したのなら怪しむべきだと思ったが、どうやら取り越し苦労に終わったようだ。大久保は体調を崩しており、仮眠を取っていた時間もあったと言っていたから、たとえば脚立が倒れたちょうどそのタイミングでくしゃみが出たとか、仮眠中に脚立が倒れたとか、なんらかの理由で音を聞き逃していたとしてもおかしくはない。

 どちらにせよ、中庭で立った音は本館の校舎が壁になり、北館にいてはとても小さくしか聞こえないのだ。仮に聞こえたとしても、それを覚えていなかった大久保を責めることはできないだろう。

 美緒との通話を終えた太樹は羽柴とともに脚立を持ち上げようとしたが、かがめた上体を起こそうとした途端、軽い眩暈を起こしてふらついた。

「鬼頭」

 羽柴がとっさに太樹の腕を取って支えてくれる。脚立から手が離れ、ガシャン、と再び足もとで大きな音が鳴り響いた。

「大丈夫か」

「すいません」

 横倒しになった脚立を腰かけ代わりに座り込む。短時間に何度も魔力を使ったせいで、いつの間にか体力をすり減らしてしまったらしい。目をつむっていても世界がぐるぐる回っていて、しばらく立ち上がれそうにない。太樹は両手で顔を覆った。気分が悪い。

「もう少し自分のからだを大事にしろ」

 羽柴は半ば呆れたような声をして、太樹の隣に腰を下ろした。

「また魔力を使っただろう。それも二度も。美緒が一緒だったからあえて詮索はしなかったが、あまり魔力に頼って生活するな。からだに障る」

 話してもいないのに、羽柴は太樹が魔力を行使したことを知っていた。昨日の話のとおり、彼は太樹に貸与されているスマートウォッチで計測される生体データを逐一監視しているのだろう。体温や心拍数の急激な上昇を観測すれば、太樹がいくら黙っていようと魔力を使ったことが彼らにはバレてしまうのだ。まったくもっておもしろくない。

 太樹は首を横に振り、なげやりな口調で答えた。

「どうでもいいですよ、俺のからだのことなんて。どうせ一年後には消えるんだし、体力だって、一晩眠ればたいていもとどおりだから」

「そういう問題ではない。……いや、実際にはそうなのかもしれないが、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだ」

 太樹は重い頭を上げ、左隣の羽柴を見る。太樹を心配する親心のような感情が、羽柴の整った顔にありありと映し出されていた。

「どうして先生は、俺の味方になろうとしてくれるんですか」

 翼の遺体が発見されたとき、彼は太樹に言ってくれた。俺はきみの味方だ、と。

 今もそうだ。羽柴は太樹のからだについて案じてくれている。困ったときには手を貸そうと言ってくれてもいる。

 太樹は魔王なのに。この世界と人類を滅ぼそうとしているのに。あるいは、やはり憐憫れんびんの情を傾けられているのだろうか。かわいそうに、なんて思われていたらたまらない。

 羽柴は不思議そうに小首を傾げた。

「いけないか?」

「いや、いけなくはないけど」

「同情されていると思っているのか」

 図星だった。顔に出たらしく、羽柴は笑った。

「すまない。そんなつもりはなかったんだが、そう思わせてしまっていたか」

「いえ、俺のほうこそ、すいません。嫌だってわけじゃないんだけど、ただ……」

 言葉を慎重に選びながら太樹は話す。

「俺の味方になってくれる人なんて世間じゃ全然いないから、俺に近い人だって知られたら、先生も周りから爪弾きにされるんじゃないかって、心配で」

 翼がそうだった。太樹とつるんでいたばっかりに、彼は変人扱いされた。太樹以外の友達が翼にはどれほどいただろう。

 そんな友人を知っているから、羽柴のこともつい心配になってしまう。まして羽柴は魔王対策チームの人間だ。魔王の魂を宿している太樹に肩入れしていることを知られれば、チームに居場所を失うことになりかねない。それは太樹の望むところではなかった。

 湿り気を帯びた夕刻の風が中庭の青い桜を静かに揺らす。羽柴は太樹の頭に手を伸ばし、風になびく髪をそっと撫でた。

「優しいな、きみは」

「え?」

「余計な気づかいをさせてしまって悪かった。俺のことなら心配しなくていい。俺は俺の意思で動いている。ただ純粋に、少しでもきみの力になれればいいと思っているだけだ」

 なにか裏がある、と勘ぐるのは野暮だろうか。彼は本当に、なんの目的もなく太樹に優しさを傾けてくれているだけなのか。

 少しずつ雲が厚くなり始めた南の空に目をやり、羽柴は淡々とした口調で語り始めた。

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