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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第二章 魔王の慧眼
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3-2.

「羽柴先生に居場所を尋ねたんですがね。あの人はどうも、我々警察に非協力的でいけない。おかげであちこち歩き回らされました。あなたがたのつけているその腕時計の位置情報さえ教えてくれれば話は早かったんだが」

 わざとゆっくり歩いているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

勅使河原はなぜか右足をかばうように歩いていた。よほど痛むのか、文句を垂れた理由もその足にあるようだった。

「それは誤解でしょう」

 美緒が一歩進み出て、太樹の隣に立って言った。

「羽柴先生は警察の捜査に協力していないわけではありません。そうお感じになったのなら、それは先生があなた個人を拒絶しているということだと思います」

 ほう、と勅使河原は値踏みするような目で美緒を見た。

「さすがは渡会家のお嬢さんだ。ずいぶんはっきりと物をおっしゃる」

「なにか問題がありますか。今わたしが言ったことはおおむね事実だと思うのですが」

「これは手厳しい。あなたも羽柴先生と同意見、私のことがお嫌いだということですかな」

 美緒は黙った。答えるまでもない、ということだろう。

 羽柴や美緒だけじゃない。太樹も同じだ。この刑事とはわかり合えない。話したくない。たとえ警察バッジを掲げられても、任意の聴取なら断固拒否する。どれだけ疑われようと、この男には本当のことを話してやる気にはなれなかった。なにを語ろうと、どうせ太樹を疑うに決まっている。

「西本から聞いたのですがね」

 太樹と美緒が壁をつくったことを察してなお、勅使河原は自分のペースを崩すことなく事件の話を振ってきた。

「あなたがた、捜査の真似事を始めたそうじゃあありませんか。西本のことも利用して」

「真似事ではありません。わたしたちは本気で、翼くんを殺した犯人を捜しています」

「なるほど、本気でね。それで、どうです。進捗状況は」

「おかげさまで順調です。わたしたちが犯人にたどり着くのも時間の問題かと」

「ほう、それは頼もしい。では、我々警察からも、あなたがたの捜査に役立つであろう情報を一つ、お教えしましょう」

 大きな余裕を感じさせる口調を崩さず、勅使河原は右の人差し指を顔の横で立ててみせた。いったいなにを告げられるのかと、太樹も美緒もやや身構えるような姿勢で勅使河原をにらむ。

「先ほど、司法解剖の結果報告が来ましてね。明城さんのご遺体ですが、背中の刺し傷以外に目立った外傷はなかったようです。また、学校から明城さんに貸与されているスマートウォッチの位置情報の記録から、きみが午後五時に205教室を出たあと、彼は一度も205教室を離れていない。彼の腕にスマートウォッチはありませんでしたが、着用していた制服のズボンのポケットから見つかりました。彼は腕時計を嫌い、いつもポケットに入れていたそうですから、犯人がわざと彼の腕から時計をはずす細工したという線は考えなくてよさそうです。教室内にその他の不自然な点もなく、殺害現場は205教室とみてまず間違いないでしょう。……ここまでお伝えすれば、私の言いたいことがおわかりいただけるかと思うのですがねぇ、賢いあなたがたならば」

 意味もなくもったいぶる勅使河原の態度は相変わらず腹立たしい上に、彼がなぜ太樹にこんな話をしたのか、その理由にも見当がついてしまって余計にムカついた。

 翼の遺体に傷がなかった。つまり、翼は犯人に襲われた際、一切抵抗しなかった。

 205教室の生徒数は全部で四十人。四十個の机は等間隔に並べられ、通路は決して広くない。

 たとえば誰かが、翼を訪ねて205教室に入ったとする。翼は人の気配を感じ、振り返るなり席を立つなりするだろう。そしてなんらかの話をし、翼は再び席についた。そのタイミングで、犯人は翼の背中をナイフで刺した。事の経緯はこんな具合で間違いない。

 しかし、不自然だ。翼は自分の命が常に誰かに狙われていることを自覚していた。魔王の信奉者、あるいは勇者に憧れる者。どこからともなく、あるいは知り合いの中からでも現れる可能性のある敵に対し、不用意に背中を向けるとは思えない。尋ねてきた者があるのなら、その人物が自分の前から立ち去るのを見届けるまで視線をはずすことはないだろう。

 思い返せば、翼は太樹に対してさえ隙を見せることはなかった。もちろん、それは太樹が魔王だからという理由もあるのだろうけれど。

「どうです、鬼頭さん」

 勅使河原は、まるで勝利を確信したような目をして太樹に言う。

「明城さんははとても警戒心の強い子だったと、ご両親からも証言をいただいています。そんな彼が今回、無抵抗のうちに殺された。正面から腹や胸を刺されたのならまだ理解できるのですが、背中を一突きにされるというのは、ご自身が命を狙われる立場だと理解していた彼の死に方としてはどうにもしっくりこないのですよ。いつ、どこで、誰に襲われるかわからないと常に気を張っていた明城さんですから、たとえ学校内で接触してきた相手であっても不用意に背を向けるとは思えない。例外があるとすれば、勇者を殺すメリットのない者か、よほど信頼している相手くらいでしょうか。そう……たとえば、あなたのような」

 勅使河原の口角が不気味な角度でつり上がる。あなたになら、明城さんを背後から襲うなんてのは赤子の手を捻るようなものでしょうな。そんな風に言いたげな、勝ち誇ったような微笑。

 暴論だとは思わない。話の筋は通っている。確かに太樹なら、魔力を使って翼の背中を刃物で刺すなどたやすいことだ。気配を消して近づく必要もない。教室の外からでもできてしまう。

 だが、あきれて物も言えないとはこのことだ。勅使河原はどうしても太樹を翼殺しの犯人にしたいらしいが、やってもいないことをどうやって認めろと言うのだろう。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、口を開く気にもなれない。

「いい加減にしてください」

 太樹の代わりに、美緒が勅使河原に刃向かった。

「今のは自白の強要ですか。違法捜査で訴えますよ」

「とんでもない。可能性の一つを提示したまでです。我々の希望は、鬼頭さん、あなたに真実を話していただくことだけですから」

 太樹はいよいよため息をついた。真実。そんなの、もう何度も話している。

「俺じゃない。俺は翼を殺してない」

 それ以外、どんな回答も存在しない。にらみ合うように絡んだ視線を、勅使河原のほうから先にそらした。

「雨が降り出しそうですな」

 廊下の向こうの空を見上げたわけではなく、勅使河原は引きずって歩いた右膝をさすりながらつぶやいた。

「こいつが教えてくれるんですよ。ずいぶん昔のことだが、捜査中に痛めましてね。雨が降ると途端に動きが悪くなるんですわ」

 訊いてもいないことをベラベラとしゃべり、勅使河原は捨てゼリフ代わりに太樹に一言残していった。

「あなたの力で、天気をうまいこと操ってもらえると助かるんだが」

 わざとなのか本気なのか、右足をやや引きずって立ち去る勅使河原の背中を、太樹は腹の中にふつふつと煮えたぎるものを感じながら見送った。今夜は土砂降りの雨にしてやる。いや、そんなに痛んで不快なら、いっそのこと膝から下をもぎ取ってやろうか。

「無視しましょう」

 美緒が太樹と同じように、去っていく勅使河原をにらみつけながら言った。

「あなたをしつこくつけ回しているということは、警察の捜査が思うように進展していないことの証です。他にめぼしい容疑者がいないから、警察はあなたを犯人に仕立てて事件に幕を引こうとしているのでしょうから」

 そうだろうなと太樹も思う。だが、美緒に返す言葉は口を衝かない。

 代わりに、くそ、という意味のない悪態が無意識のうちに転がり出る。思い出したくもないのに、あの刑事の顔が頭を離れない。

 黒いペンキで、その顔をぐちゃぐちゃに塗りつぶす。消えろ。俺の中から。俺の前から。痛いくらいの雨に打たれて、そのまま流されて消えちまえ――。

「ろくでもないことを考えないでくださいよ」

 美緒が妙に冷静な口調で、太樹にささやかな釘を刺した。

「わたしも雨は嫌いですから」

 その一言で我に返った。美緒に心を見透かされたことも恥ずかしければ、今夜は大雨に、なんてことを考えていた自分も恥ずかしい。雨雲を呼ぶなんて、まさに子ども向けアニメのラスボスがやりそうなことだ。

 全身から力が抜けた。いよいよ魔王らしくなってきたな、と自分で自分を嘲笑う。

 一方で、自分に限ったことではないのかもしれないなと思う。誰かに悪意を向けられることで、人の心に悪魔は巣くう。

 恐ろしいことだ。人間ならば誰であっても、他人の生活を脅かす存在になってしまう可能性を秘めている。

 魔王じゃなくても、魔族じゃなくても、欲に溺れ、悪魔のささやきに心を奪われ、利己的に力を振るう存在に。

「翼も雨は嫌いだったな」

 廊下の窓から、太樹はかろうじて白さを保っている薄曇りの空を見上げた。美緒もつられるように、太樹と同じ空に目を向ける。

「あなたはどうなんです」

「俺?」

「雨、好きですか」

 好きと答えてほしいのだろうなと思った。太樹は魔王で、自分は人間。美緒がそう思いたい気持ちはよくわかる。普通であることこそなによりの幸せだ。

 だが、誰一人得をしない嘘をつくのは嫌だった。普通じゃなくても、好き嫌いの自由くらいあってもいい。

「嫌いだよ。翼やあんたと一緒でな」

 正直に答えると、美緒は少し目を大きくして太樹を見た。

 本当に雨は嫌いだった。それでも今夜は大雨に、なんてことを考えてしまうのだから、タチが悪いなと太樹はまた少し自分のことが嫌いになった。

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