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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第二章 魔王の慧眼
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2-2.

 円藤の言うトレーニングルームとは、南館のさらに南側にある体育館に併設された、その名のとおり各種トレーニング器具の揃う運動部専用の筋トレ室だった。ベンチプレスやフィットネスバイクなどの大型器具からダンベルのような小さなものまでまんべんなく備えられているのは、円藤の弁によれば、レスリング部の顧問を務める体育教官が学校の経費であれこれ買い漁っているかららしい。首都学園のレスリング部は国体出場選手を輩出するような強豪クラブであるため、学校側もなにも言えないのだとか。

 整然と並ぶトレーニング器具に囲まれる狭い部屋で、円藤は背負っていたリュックを下ろし、物珍しそうに室内を見回しながらあとに続いた太樹と美緒を振り返った。

「こんなところでコソコソ話そうってんだから、俺の勘は当たってるってことでいいんだよな、おチビさん?」

「誰がおチビさんですか!」

「あんたのことだなんて一言も言ってないだろ。なぁ、魔王様?」

 牙を剥く美緒と、飄々としている円藤。太樹はどちらの肩を持つこともせず、淡々と話を前に進めた。

「悪いけど、あんたの勘が当たってるかどうかについてはどうでもいい。俺は純粋に、翼を殺したヤツを捜してるだけだ。あんたと同じで、俺も警察に疑われてるから」

「おまえも?」

 円藤は一瞬首を傾げたが、「まぁ、そうだろうな」とすぐに納得した表情に変わった。

「明城とおまえがつるんでたことを警察が知るのは時間の問題。おまえらの間になにかトラブルがあったんじゃないかって疑うのは当然か」

「それだけじゃない。昨日翼が殺される前、最後にあいつと一緒にいたのは俺らしい」

「そういうことか。警察がおまえを疑いたくなる気持ちはわかりすぎるくらいだな」

「でも、俺じゃない。俺は翼を殺してない」

 曲げようのない事実を、強く主張するように口にする。円藤はつぶらな瞳をわずかに細めた。

「俺がやったって言いたいのか」

「いや、それも思ってない」

「は?」

 キョトンとした顔をしたのは円藤だけではなかった。同じ表情を浮かべた美緒が横から「ちょっと」と割り込んでくる。

「どういう意味ですか、今の」

「どういうって、言葉どおりの意味だけど」

「その回答では具体性に欠けます。ちゃんと説明してください」

 はぐらかしたら苛立たれた。けれど、今はまだ確信を持てているわけではない。

 美緒のことはひとまず放置し、太樹は円藤に向き直った。

「昨日の放課後の行動を教えてほしい。できるだけ詳しく」

 円藤は「警察にも話したぞ」と型どおりの文句を垂れつつ語ってくれた。

「レスリングの大会が来月に迫ってるんで、先生にお願いして特別にここを借りてトレーニングしてたんだ。放課後まっすぐここへ来て、五時過ぎまでは先生がトレーニングに付き合ってくれた。そのあとは五時半にここを出るまで一人だった。先生は五時十五分から会議があって、俺はからだのクールダウンと器具の片づけをしてから帰った」

 図ったように、彼にはアリバイがなかった。翼が殺されたと見られている時間帯に限って、円藤は一人で校内にいたという。

「五時過ぎから校門を出るまで、誰にも会わなかったのか」

「いや、そんなことはない。植木屋のオッチャンたちには会ったよ」

「植木屋」

「あぁ。中庭で脚立を派手にひっくり返してるところに偶然出くわしてさ」

「中庭?」

 太樹の頭にささやかな疑問が浮かんだ。

「それ、何時頃?」

「五時半だよ。帰るときに見たから」

「なんで中庭で起きたことをあんたが見たんだ? 体育館からまっすぐ正門へ向かったんじゃないのか」

 中庭は南館と本館の間にある。つまり、南館よりもさらに南にある体育館を出てまっすぐ正門へ向かったなら、円藤が中庭で植木屋の姿を見られたはずがないのだ。中庭の様子は、南館の校舎が壁になって見られない。

「こいつを置きに戻ったんだよ」

 円藤は左の手首に巻いているスマートウォッチを太樹に見せるようにかかげた。

「これ、便利でさ。腕に巻いてるだけでトレーニングの記録を勝手に取ってくれるんだ。記録は顧問の先生のPCに自動で転送されるから、俺がどんなトレーニングをして、どんな風にからだが鍛えられていくのか、先生とも共有できるんだ」

「へぇ。便利だな」

「だろ。だからトレーニング中はいつもつけたままにしてて、帰るタイミングで靴箱まで返しに行くんだ。昨日はそのついでに教室に置き忘れた筆箱も取りに行って、そのときだよ、植木屋のオッチャンたちが中庭にいることに気づいたのは」

「教室から見たってことか、中庭の様子を」

「いや、それは無理。言ったろ、窓には近づけねぇんだって」

 そうだった。彼は極度の高所恐怖症で、校舎の二階からですら外の景色を見ることを避けるのだ。

「中庭からすごい音が聞こえてきて、なにごとかと思って急いで一階まで下りたんだ。そしたらオッチャンたちがデカい脚立を二人がかりで運んでて、なにかの拍子に落としちまったらしいってわかったんだ。手伝おうかと思って声もかけたんだけど、大丈夫だって言われたからそのまま帰ったよ」

 太樹はうなずき、「今の話、警察には?」と問う。円藤は「話したよ。当たり前だろ」と答えた。

 円藤の話はこれですべてとのことだった。美緒は難しい顔をしていたが、太樹の中では一つの結論がまとまりかけていた。

「ありがとう。参考になったよ」

「そいつはよかった。なぁ、俺からも一つ、頼んでいいか」

 円藤のつぶらな瞳がキラリと輝く。嫌な予感がしてならないが、太樹はひとまず話だけでも聞くことにした。

「なに」

「見せてくれよ、魔力ってやつ。おまえにしか使えないんだろ、今は」

 予感は見事に当たってしまった。昔、出会ったばかりの頃の翼にも似たようなことを言われた。あのときの翼も、強い興味に瞳をキラキラと輝かせていた。今の円藤は、当時の翼と同じ目をしている。

「俺も魔族だからさ、前から知っておきたいと思ってたんだよな。俺が将来、どんな力を持つことになるのか」

 ニヤつきながら話す円藤の姿に太樹は苛立ちを覚えた。彼は一年後に迫る自らの運命、この星の転換期についてずいぶん軽く考えているようだ。あるいは、魔族としての本能が目覚めたあとの自分のことを楽しみにしているのか。

 くだらない。ろくでもない未来しか待っていないに決まっているのに、どうしてそんなに能天気でいられる?

 小さな苛立ちが、腹の底で怒りの感情へと変わっていく。魔力を見せてほしい? 笑わせるな――。

 円藤に向かって手を伸ばすように、太樹は右腕を静かに持ち上げる。よく鍛えられていて太い彼の首もとに、開いた手のひらを向けた。

 実際に触れなくても、少し願うだけでその太い首を絞めることができる。こんな不穏な力でよければ、いくらでも見せてやれる。一年後に持つことになる恐ろしい力を思い知れ、バカ野郎――。

 部屋の端に片づけられていた縄跳び用のロープがひとりでに宙を舞い始める。絡まることなくスルスルとほどけ、ピンと真一文字に伸びて空中で止まる。

 円藤が息をのみ、「うそだろ」と小さく漏らす。なにをされるか悟ったのか、その顔はみるみるうちに恐怖の色へと染まっていく。

 自分から見たいと言っておいて、なんだその反応は。太樹は苛立ちをさらに募らせ、円藤の首めがけてロープを動かそうとした。

 ほんの一瞬、美緒が動き出すほうが早かった。美緒は太樹が円藤に向けて伸ばしている右腕を掴み、女子高生とはとうてい思えないほどの馬鹿力で握りつぶした。太樹は痛みに顔を歪め、うなり声を上げながら掴まれている美緒の右手を力まかせに振りほどいた。

 宙に浮いていたロープが床に落ち、二つの持ち手がカランカランと音を鳴らして転がる。円藤はいろんな意味で目を丸くし、大きく吐き出した息を震わせた。

「無闇に魔力を使わないでください」

 美緒は恐ろしいほど淡々とした口調で言い、背中を丸めて右腕の痛みと闘う太樹をにらんだ。

「後始末をするのはわたしたちチームの人間なんですよ。余計な手間を増やされるのはおもしろくありません」

 美緒には太樹がなにをしようとしたのかわかっていたようだった。万が一太樹が魔力によって円藤を殺していたら、円藤が死に至るまでのプロセスは彼女たちの暗躍によって都合よく書き換えられることになっていたのかもしれない。魔王が復活を前にして魔力で人を殺したなんて、世間の恐怖をいっそう煽り、世の中の混乱と終末ムードを加速させるだけだ。

 顔を上げ、太樹はこちらをにらむ美緒をにらみ返す。言い返そうとしたけれど、頭を動かしたせいか、軽い眩暈に襲われた。

 からだの力が抜けていく。右腕をかかえたまま、太樹は床に片膝をついた。急激な疲労感が全身にまとわりつき、息が上がる。胸が締めつけられるように苦しい。

「おい、大丈夫か」

 円藤がおそるおそる太樹に近づき、すぐ隣にしゃがみ込んだ。マラソン完走直後の選手のような荒く弾むような呼吸をくり返し、額に玉の汗をにじませる太樹の背中を円藤はゆっくりとさすってくれた。

「もしかして、魔力を使ったからか?」

 察しのいい男だ。彼の首を強く絞めていたら、床にぐったりと倒れ込むからだは太樹と円藤の二つになっていただろう。

 体力が落ちているなと改めて思う。あるいは、太樹の使える魔力の量が少なくなってきているのか。

 太樹の中で、なにかが確実に変化している。魔王が復活のときを迎えるにあたり、いよいよ本腰を入れて支度を始めたのだろうか。

 太樹が立ち上がろうとすると、円藤が肩を貸してくれた。翼以外にもこうして太樹に手を差し伸べてくれる人がいたとは驚きだ。

 礼を伝えるべきところだったはずなのに、太樹の口は円藤に対してとことん冷たい言葉を放った。

「今のでわかっただろ。俺はろくでもない人間だ。悪いことは言わない。魔王が復活して、あんたの中の魔族の本能が目覚めてからも、俺に付き従うのはやめておいたほうがいい」

 円藤が口を開くよりも先に、太樹は円藤に半分背を向けた。

「どうせ強い力を得るのなら、その力は、あんたの大切な人のために使ってやれ。魔王が生み出そうとする世界なんてまともじゃないに決まってる。あんたの守りたい人を守りながら、勇者が魔王おれを倒すときをおとなしく待っていたほうが賢いぞ」

 言うだけ言って、太樹は一人歩き出した。円藤から聞きたいことはすべて聞けた。もうこの場所に用はない。

 重い足を引きずって、トレーニングルームの出入り口へと向かう。強烈な肉体疲労のせいでしゃんと伸ばすことのできない背中でトボトボと歩く太樹の後ろ姿に、円藤はやや張った声をかけた。

「明城は」

 翼の名前が飛び出し、太樹は静かに足を止めた。振り返ることなく立ち止まっていると、円藤の穏やかな声が耳に届いた。

「救おうとしてたんだな、おまえのことを。あいつだけは、おまえの苦しみに気づいてた」

 胸に細く刺さるような痛みが走る。あんたになにがわかる、と吠えることもできたけれど、太樹はわずかたりとも円藤を振り返ることなく、トレーニングルームを出て行った。

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