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「先ほどお伝えしたとおり、翼くんが所持していた『勇者の剣』の行方はまだわかっていません。これまでは翼くんの自宅で保管されていましたが、昨日の夜、翼くんの遺体がこの学校で発見された際に所在を確認したところ、そのときにはすでに消えてなくなっていたそうです」
「翼を殺したヤツが持ってるってことか」
「おそらくは」太樹の言葉に美緒がうなずいて返す。
「直接的なやりとりはなくとも、剣は自発的に継承者のもとに現れ、魔王が復活したとき、継承者が手にすることではじめてその能力を発揮すると言われています。継承者とはすなわち、翼くんを殺した者。今もこの学校の中にいる殺人犯です。彼、あるいは彼女の手もとに、わたしたちの探している『勇者の剣』があるはずなんです」
剣そのものを探すのではなく、その持ち主をあぶり出す。それが美緒たちの目的というわけだ。太樹にとっては、彼女たちが探し出したその人物こそ、一年後に魔王となった自分と対峙する新しい勇者――翼に代わって魔王を討つ者ということになる。
西本がタブレットの液晶に光を灯し、パネルの上で指をすべらせながら口を開いた。
「闇雲に探し回ったところで埒があかないってのは自分たちも重々承知しているところです。なので、もう一度事件について最初から見直してみようってことになって、この会議が開催されるに至ったというわけでして」
「話は理解できますけど、なんでわざわざここでやるんですか」
「決まってるじゃありませんか」
美緒が胸を張って答えた。
「あなたがこの場所を陣取ってくれているおかげで、ここには誰一人として近づこうとしません。人目を気にすることなく、じっくり腰を据えて事件の話をするのに、ここ以上に絶好のスポットはないでしょう」
ありがとうございます、と美緒は嫌味な笑顔を太樹に向ける。褒められている気はまったくしなかったが、なるほど、こればかりは納得せざるを得ない。自分が世界で一番の嫌われ者だということが改めて理解できた。つらくないと言えば嘘になるが、孤独には慣れっこだった。
マイナスの感情を顔に出す前に胸の中へとしまい込み、太樹は西本に尋ねた。
「俺が帰ってから、守衛の武部さんが最終下校の見回りを始めるまでの間に殺されたんですよね、翼は」
「えぇ。具体的には午後五時十五分から五十五分までの四十分間のうちに殺されたものと見られています。午後五時十五分まで、翼さんは魔族対策班の人間と電話をしていたことがわかっていますので」
「電話は翼がかけたんですか」
「いえ、こちらから……魔族対策班の加賀という人が魔王対策チームの本部からかけています。あぁ、いちおうお伝えしておきますけど、自分たちの組織の本部は内閣府の外局として設置されているんですが、公安調査庁なんかと同じで、組織の存在は知られていても任務の内容はほとんどが極秘扱いです。なので、ここで聞いた話はあまりベラベラしゃべらないようにお願いしますね」
太樹は黙ってうなずいた。翼は組織の存在をほのめかしてはいたけれど、その内情を太樹に詳しく伝えなかったのはそういう事情があったからだったのだと今になって知った。
政府としても、魔王や魔族に対してなんの策も講じていないと国民に思われては印象が悪いので、チームの存在だけは世間に知らせる形を取って動く道を選んだというわけだ。無用な争いを避けるためにもベストな選択と言えそうだった。公調――公安調査庁の職員と同じように、チームに所属している職員は自分が魔王対策チームのメンバーであることは家族にも話すなと指示されているのだろう。そういう仕事なのだ。国民の命、この国の存在、ひいては全世界、地球そのものを守るために、彼らはチームの一員として全身全霊を捧げている。
「その電話を加賀にかけさせたのは俺だ」
話の軌道を修正するように、羽柴が眼鏡のブリッジを押し上げながら言った。
「先生が?」
「あぁ。かけさせた、というのは少々語弊があるが……」
「あなたが魔力を使ったせいです」
美緒が言い淀む羽柴に代わって口を開いた。
「羽柴先生は、昨日あなたが翼くんの前で魔力を使ったことを本部に報告したんです。魔族対策班にとって、魔王の力を持つあなたは研究対象の一人ですから、彼らは魔力を使ったときのあなたの状況……からだに起きた変化や魔力の強さなどの情報を集めなければなりませんので」
「なるほど。それを電話で翼に尋ねたってわけか。あのときの俺がどんな様子だったか知るために」
そういうことです、と美緒はうなずく。言い換えれば、あのとき太樹が魔力を使っていなければ翼に電話がかかってくることはなく、翼の死亡推定時刻はもう少し幅が広かったということになる。具体的には、太樹が205教室を出た午後五時から、守衛の武部が翼の遺体を発見した午後五時五十五分までの間。十五分だが、ズレが生じる。
太樹は視線を羽柴へと移した。
「見てたんですか、俺が翼の首にシャーペンの先を向けたところ」
「実際に見ていたわけではない。スマートウォッチで計測されたきみの生体データから、きみが魔力を使ったことがわかったというだけだ」
「生体データ」
「そうだ。我々監視班は、きみたち二人の私生活に支障が出ない程度に監視活動をおこなっているのだが、その一環として、学校から貸与されているきみのスマートウォッチに搭載されている心拍数や血中酸素濃度を計測する機能を適宜流用させてもらっているんだ」
心拍数。血中酸素濃度。
そういうことか。羽柴の言いたいことはなんとなく理解できた。
「魔力を使うと、体力が奪われる。それを具体的な数値として観測できれば、俺から離れた場所にいても俺が魔力を使ったことが瞬時にわかるってことか」
「そのとおりだ。きみ自身がもっともよくわかっていることだとは思うが、魔力を使うと心拍数や血圧が急激に上がったり、呼吸機能に支障が出たりする。そうしたからだの変化のデータを逐一把握することは、我々監視班の仕事の一つなんだ」
よくわかる説明だったが、常にチームの監視下に置かれているという状況を改めて実感するばかりであまりいい気分はしなかった。
太樹の心情を察し、羽柴は「すまない」と申し訳なさそうに視線を下げた。
「すべてはきみと翼を守るための措置だ。事が起きたとき、我々組織の人間がすばやく対応できるよう、監視体制は常に盤石でなければならない。わかってもらえないかもしれないが、そういうものだと割り切ってもらえると助かる」
「いえ、わかります。俺も翼も、お互い普通じゃないってことはわかってたから」
それに、きっと翼のほうが厳しい監視体制の下に置かれていただろうことは察して余りある。翼の持つ『勇者の剣』を欲する者が、いつなんどき翼に襲いかかるとも知れないという状況の中、チームが翼に対しなんの策も講じていないとは考えにくい。太樹に関しては魔力の暴走にだけ対処できれば済むことだが、翼は太樹と違い、致命傷を与えられれば死に至る。『勇者の剣』の継承権は簡単に他人の手に渡り、どんな使われ方をするかわからない。翼の命を守ることこそ、魔王対策チームにとって最大の使命と言っても過言ではなかったはずだ。
すまない、と羽柴はやはり申し訳なさそうにつぶやき、話を続けた。
「昨日、俺はきみの生体データに著しい変化を観測し、職員室を飛び出した。きみと翼が二人きりでいることは位置情報で把握できていたから、きみが翼に対して魔力をもって敵意を向けたのではないかと思い、なにごとかと慌てたんだ。だが、きみは翼に害を与えたわけではなく、体力の回復を待ってから一人で下校した。俺が205教室にたどり着く前には事が収まっていたんで、俺はそのまま職員室に引き返し、魔族対策班にきみが魔力を使ったことを報告した」
「それが午後五時ちょうどのことでした」
西本がタブレットの画面を見ながら言った。
「羽柴さんのスマホの通話履歴を確認させてもらったので時間は正確です。その後、加賀さんが本部の固定電話から翼さんへ連絡を入れたのが午後五時七分。そこから約八分間通話していますので、電話が切れたのは午後五時十五分頃と推定されます」
太樹は口を閉ざしたままうなずく。電話を終えた翼はその後も205教室に残り、テスト勉強を続けていた。それから四十分後の午後五時五十五分、背中を刺された状態で発見された。
太樹を助けてあげて、と翼は電話の相手に伝えたという。
それがあいつの、最期の言葉――。
「大丈夫ですか」
美緒の声で我に返る。太樹は顔色一つ変えずに事件の話ができている美緒の姿を冷めた目で一瞥した。
「どうしてそんな、平気そうな顔をしていられるんだ」
「節穴ですね、あなたの目は。賢いからと期待していましたが、見込み違いでしたか」
あきれ顔でため息をつき、美緒はやはり毅然とした態度で答えた。
「平気なフリをしているだけです。翼くんのためにも、今は落ち込んでいるときではありませんから」
翼の無念を晴らす。犯人を見つけ出し、『勇者の剣』を翼から奪い取った本当の理由を知る。
その願いを叶えるまで、彼女が立ち止まることはない。涙をしまい込み、真実に向かって前進し続ける。
強い女性だ。太樹よりも年下なのに、ずっと大人で、ずっと強い。太陽が視界に入ったときのように、太樹は目を伏せたくなった。彼女の放つ前向きな光は少し刺激が強すぎる。
「きみが場数を踏みすぎているだけだろう、美緒」
羽柴が淡々とした口調で美緒に言う。
「鬼頭は人の死に慣れているきみとは違う。少しは配慮してやれ」
「わたしが悪いんですか! 先生はそうやっていつもこの人の味方ばっかり!」
「まぁまぁ、美緒さん」
西本が羽柴と美緒の間に入る。美緒はまだ怒っていて、羽柴は涼しい顔で美緒から顔を背けている。
三人がわいわいとやり出して、この空気にはとてもついていけそうになかった。
魔王対策チームの中でも戦闘サポート班に属するからなのか、美緒は人の死に慣れているという。彼女たちが身を置く組織とやらが彼女にどんなことをさせているのか知りたいとも思わないが、ろくでもないことだということは疑いようもない。
あるいは太樹の想像以上に、翼の身は日々危険に晒されていたのかもしれない。魔王の持つ強大な力に守られている太樹の場合は通常の攻撃では死なないが、翼は違う。普通の人と同じように、急所を狙われれば簡単に命を落としてしまう。
どうして翼が自分に近づいてきたのか、今になって太樹はその本心に触れられた気がした。
苦しかったのだろう。翼の周りは常に人の目で囲まれていて、自由な意思選択のできる生活環境ではなかった。翼自身、自分の命を狙う誰かと戦うことになった経験は一度や二度ではなかっただろう。
翼の背負う運命は、誰にも相手にされなかった太樹とは違う苦しみを彼に与えた。唯一分かち合えるのが太樹だろうと翼が期待したのは必然だったのかもしれない。
魔王と勇者は、この世界にたった二人だけなのだから。