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魔王に愛を、勇者に花束を  作者: 貴堂水樹
第一章 勇者の死
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1-1.

 今年の桜が見頃を過ぎたあたりから、世界はすっかり終末モードに包まれていた。

 どうせ死ぬ。助からない。人類は滅び、魔族が地球テラを征服する。

 一年後、この世界は復活した魔王によって破壊され、消える――。

 テレビなどのマスメディアで大々的に報道されることはないが、ネット上では毎日のように「終活」の文字が並び、多くの人々がおよそ一年後に訪れる人生最後の日に向けて今を生きることが当たり前の世の中になった。それは学校でも同じことで、一週間後に控えた定期テストの勉強に励む高校生の少なさは、はっきり言って異常だった。

 どうせ大学には行けない。大人にはなれない。一年後には死ぬのだから、勉強したって無駄。定期テスト週間に入る前から、学校じゅうがそんな淀んだ空気に満ちていた。だが当然、例外はある。

「ダメだ。限界」

 鬼頭きとう太樹たいきは座っていた椅子の背もたれに向かって大きく背中をけ反らせた。紺と赤のレジメンタルタイがぶらりとからだの右側に垂れ下がる。

 友人とともに自習を始めておよそ二時間。いい加減、頭がパンクしそうだった。

「お疲れ」

 隣の席で黙々と数学の復習に取り組んでいた明城あけしろつばさが、まったく疲れの色を感じさせないさわやかな笑みを向けてくる。太樹は思わず舌打ちをしそうになり、「帰るわ」と素っ気なく言いながらテキストやプリント類を片づけ始めた。

「えぇ、もう帰るの?」

「おまえは残れよ。まだ五時だ。あと一時間は粘れるぞ」

 二人の他には誰もいない教室で、太樹と翼は定期テストのための勉強会を開いていた。一年後の世界滅亡を見据えて学校にさえ来なくなった生徒もいる中、二人は今日も学校指定の制服に袖を通し、淡々と高校生らしい毎日を過ごしている。

「じゃ、僕もちょっと休憩」

 シャープペンを置き、翼も座ったまま両手を高く上げて伸びをした。はぁ、とついた吐息はまだまだ活力があり余っていることを雄弁に語っている。

 乱雑に荷物をしまい込んだリュックのジッパーを閉じ、太樹は誰でもない誰かを鼻で笑った。

「バカだよな、みんな。世界が滅亡するなんてあり得ないのに」

「わからないよ。なにかの手違いで僕がしくじるかもしれない」

「勘弁してくれ。俺は潔く殺されたいんだ。俺以外、誰一人死ななくていい」

 なにげなく目をやった窓の向こうで、青々と生い茂る桜の葉が風に揺れた。昼過ぎまで降っていた雨はすっかり上がって晴れ間が覗き、六月の太陽はようやく西に傾き始めた。テストが終わった頃には梅雨が明けていてほしいと思うけれど、ここ数年の東京トーキョーの梅雨明けは七月の中頃が定番となっている。湿度の高い空気が全身にまとわりついて鬱陶しく、雨の打ちつけるアスファルトからせり上がってくるペトリコールも太樹は好きになれなかった。

「殺す、じゃない」

 椅子の脚で床を静かに鳴らしながら立ち上がった翼が、すぐ隣にあった窓の前に歩み寄る。換気のために半分ほど開けていたそれを、翼は大きく開け放った。

「倒す、だよ」

 太樹は思わず笑みをこぼした。些細な言葉の使い分けにこだわる意味がどこにある。

「同じことだろ」

 リュックを机の上に残し、太樹は翼の右隣に立った。

「俺がおまえの手で消滅させられる未来に変わりはない」

「ダメ。同じじゃない。『殺す』なんて表現じゃ僕が納得できないから」

 窓の外を見つめる翼の横顔に影が差す。なんでおまえが泣きそうになってんだ、と太樹はわざとらしく肩をすくめて茶化した。

「これは失敬。一年後に世界を救って英雄となるあなたには、『殺す』なんて物騒な言葉は似合いませんね――勇者様」

 皮肉を込めて、彼を「勇者」と呼んでみる。翼はわかりやすく顔をしかめ、太樹をにらんだ。窓から吹き込んでくる雨上がりの風が、翼のつややかな黒髪を揺らす。

 ――こんな出会い方を、僕は望んでいたわけじゃない。

 いつだっただろう。確か、二人がまだ中学生だった頃のことだ。翼は太樹にそう告げた。もっと普通に、もっと自然にきみと出会って、友達になりたかったのだと。

 そんなことを言われても、というのが太樹の正直な感想だった。運命は変えられないし、悲観すればするほどつらくなるだけだ。この星に、この時代に、互いにたった一人だけが背負わされる宿命のもとに生まれてしまったのだから、嘆いたってどうにもならない。


 百年に一度、魔王の蘇る星、地球テラ

 二人の住む東京トーキョーという街は『魔王の眠る街』と言われ、日本ニッポンと名乗る小さな島国の首都として繁栄を極める場所だった。二人がかよっている私立首都(しゅと)学園がくえん高校は国内有数の難関進学校で、今年度から高等部の入試が廃止され、系列の中学校を統合した中高一貫校として生まれ変わったばかりだ。

 しかし、将来への希望に満ちた中学生を迎え入れ、新たな一歩を踏み出したのもつかの間、この星に暮らす人類はあと一年で滅亡すると言われている。

 復活した魔王と、魔王率いる魔族の者たちの手によって、地球テラは乗っ取られてしまうという。


「ずっと考えてる」

 再び窓の外に目を向けた翼が言った。

「きみの肉体は生かして、魔王だけを消滅させる方法を」

「無理だな」

 太樹は閉まった側の窓にゆったりと背を預けた。

「おまえもわかってんだろ。仮に俺の肉体を生かすことができたとしても、その時の俺はすでに自我を失ってる。俺のからだは魔王の魂のれ物なんだ。魔王が復活すれば、俺の魂は死ぬ。肉体だけを生かしたって、俺の精神は戻らない」

「だったら、復活する前の魔王を消滅させる。きみの中に眠っている間に」

「それができたら今ごろ苦労してねぇよ。俺がどれだけのことを試したと思ってる? 俺が何回、自分を殺そうとしてきたか」

「そうじゃない」

 翼がやや声を荒げた。

「きみは死んじゃいけない。きみを生かして、魔王だけを殺したいんだ、僕は」

 太樹はこれ見よがしにため息をつく。それは高すぎる理想なのだと、これまで太樹は何度も翼に説明してきた。そんなことができるのならとっくにやっている。できないから、せめて死んで楽になりたいと願っているのだ。

 そういう話も、数えきれないほど二人でした。それでも翼は、理想を手放そうとしない。

「死にたいよ、早く」

 スラックスのポケットに両手を突っ込み、太樹は何年もかかえ続けている本音をつぶやく。

「俺が普通の人間みたいに死ねたら、おまえを悩ませることもないのに」

 翼が銀色の窓枠を拳で殴った。珍しく怒っているらしく、太樹は少しだけ驚いた。

「何度も言わせないで。『死にたい』は禁句だよ」

「知るか。俺は早く死にたいんだ。一年なんて待たずに、今すぐ」

 こんなにも苦しいのに、生き抜いた先には救いのない未来しか待っていない。多くの人を傷つけ、悲しませ、恨まれ、消される。そんな人生に、どうして生きる意味を見いだせる?

「いい加減にしろ」

 翼の右手が、太樹の胸ぐらを掴み上げた。その手は小刻みに震えていた。

「まだなに一つ始まってない。今ならまだ、きみを救うことができるかもしれないだろ」

 言葉とは裏腹に、翼の瞳は弱気な色を映していた。本当は救いなんてないことを、彼は誰よりもよくわかっている。

 太樹はシャツを掴んでいる翼の手を、自らの右手で包み込んだ。きつく握りしめられている指をほどき、静かに太樹の胸から離してやる。

 雨が上がって数時間は経っているのに、湿り気の一向に引かない空気が肌にまとわりついて気持ち悪い。翼の腕を下ろしてやると、太樹はもう一度窓に背を預けた。

「出会わなければよかったな、俺たち。そうすりゃおまえは悩まずに済んだ」

「太樹」

「おまえのせいだぞ、翼。好奇心だかなんだか知らないが、わざわざ俺と同じ学校を選んで、俺に近づいてきたのはおまえだ。悩みの種は俺。俺が悪者。そんな風に言われるのは心外だぞ」

「だって」

 翼は太樹に食ってかかろうとして、しかしその眼差しはぐらりと揺らいだ。

「きみはもっと、悪い人なんじゃないかって思ってたから」

 本当は違った。全然違う。いい人で、優しくて、頼りになって――。

 あれはいつのことだっただろう。翼が不意に、「きみは優しいね」なんて言い出した。「どういう意味だよ」とき返したのに、翼は笑ってごまかした。

「悪い人だよ、俺は」

 視線の上がらない翼を横目に、太樹はひとりごとのようにつぶやいた。

「一年後には魔王になって、人類を滅ぼすんだから」

 翼がゆっくりと顔を上げる。視線が刺さるのを感じ、音もなく翼に目を向ける。

 自分で言っておきながら、もはや俺は人ですらないのだろうなと太樹は思った。

 からだの中に、百年前に眠りについた魔王の魂を宿して生まれた生物。息をして、自分の足で立って歩いて、頭脳を駆使して言語を操ってはいるけれど、こんな異質な生き物を『人間』という枠組みの中に組み込んでいいはずがない。


 人々が恐れ、世界の終わりをうれえる理由。百年に一度蘇り、魔族を率いて地球を征服する存在。

 魔王。それが太樹だった。太樹の中には、復活のときを待ちわびる魔王の魂が眠っている。

 百年前の記録によれば、魔王は復活と同時に魂を宿した人間の自我と肉体を奪い、この星に潜む魔族を率いて人類の殲滅、地球の征服に動き出す。つまり、太樹はいずれ、魔王の中に取り込まれて消えるということだ。

 そして、魔王が好き放題暴れ出すと、どこからか人類の希望の光として勇者なる存在が颯爽と現れる。

 勇者はその人にしか扱えない、唯一魔王を倒すことのできる特別な剣――『勇者のつるぎ』をたずさえ、魔王に真っ向から飛びかかるという。やがて勇者の振るう大剣は、他のどんな攻撃も効かない魔王のからだを切り裂き、その魂を再び長い眠りにつかせ、世界を救う。

 勇者。人類の希望を一手に引き受けるその人こそ、太樹が心から親友だと思える男――。

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