後編 ラニアス
その日のラニアスは、柄にもなく浮かれていた。
つい先日、気になっている女性の妹から、彼女の好物が「蜜柑」だと教えてもらったからだ。家に帰ってからすぐさま最高品質のものを調べて贈ったから、今日あたりには届いているはずだ。
これで少しは、今まで散々自分がしてきた不甲斐ない振る舞いの詫びになるだろうか。あわよくば、自分に対してほんの僅かでも良い印象持ってもらえたら。
そんなことを考えて町を歩いていた矢先、件の女性から声をかけられた。今日は運がいい。
「こんにちは、ラニアス。うちに蜜柑の贈り物をありがとう」
「あ、ああ……」
もっと気の利いた返しが出来れば良かったのだが、今は余計なことを言わない方がいい。ラニアスは、自分の口の下手さ加減を知っていた。
「私は蜜柑が苦手だから食べられないのだけど、私以外の家族はみんな好きだから、ありがたいわ」
「えっ⁉︎」
「え? どうかした?」
「……君は、蜜柑が苦手なのか?」
「? ええ、実はそうなの、ごめんなさい。他の果物はどれも好きなのに、蜜柑だけは駄目なのよ。でもさっきも言ったけど、私以外の家族——特にローアなんかは、蜜柑が大好物だから、とても喜ぶと思うわ。あの子、他の果物は苦手なのに、蜜柑だけは際限なく食べるの」
妹の話が出来て嬉しいのか、彼女はいつになく饒舌に話す。実は、彼女がラニアスとの会話でここまで楽しそうな様子を見せたのは初なのだが、今のラニアスはそれどころではなかった。
気もそぞろで彼女と別れの挨拶を交わして、ひとりきりで考える。
あの時、ローアは確かに「姉の好きなものは蜜柑です」と言っていた。これは間違いない。だが実際は好物どころか、唯一食べられない果物だという。
つまり、ラニアスは彼女に嘘を教えられたことになる。
その結論に行き着いたとき、ラニアスは「そりゃそうだ」と納得するしかなかった。それと同時に、自分がいかに思い上がっていたのかを知って、居たたまれなくなった。
ラニアスには昔からいくつか特筆すべき欠点がある。
極度の緊張や焦りを感じた時、それを隠そうとするあまり相手に不躾な態度をとってしまうこと。
大事な場面に限って、絶妙に気が利かず、言葉選びや伝え方が下手くそになってしまうこと。
この欠点は普段だとそこまで目立たない。それどころか上手く隠すことさえ出来た。なのに、気になる異性の前になると、途端に顕著に現れる。
だから、ラニアスがローアの姉にとった行動を思い返してみても、ロクなことをしていない。いつも不愉快な思いをさせてしまって、自責の念に駆られた。
当然その光景は、いつも姉の傍にいたローアも見ていたわけで。同じく不愉快な思いをさせていたのであろうことは容易に想像できた。
そんな彼女が、ラニアスに親切にする義理など微塵もない。ましてや姉のご機嫌取りに協力するなど、以ての外である。
この嘘は彼女なりの、ラニアスに対する反撃なのだ。
それを理解した時からだ、ラニアスがローアの存在を鮮烈に意識するようになったのは。
それまでの彼女は、ラニアスにとって「気になる人の妹」でしかなかった。いつも静かで大人しく、姉を慕って、よく彼女のそばについて回っている女の子。その程度の印象だった。
そこに「意外と気が強くて義理堅い」という印象が加わって、その次には「嘘をつくのが下手」というのも判明した。
なぜなら、分かり易すぎるのだ。最初に蜜柑を贈ったあの日から、ラニアスと会うたびローアは必ず申し訳なさそうな顔をする。
彼女がそんな顔をする必要は全く無いのに、後悔の色を滲ませた、自分を責めるような顔をして、ラニアスを見つめてくる。
「気にしていない」と、「蜜柑の話は嘘だともう知っている」と彼女に直接伝えられればどんなに良かっただろう。しかし、ラニアスは己の欠点を思い出して尻込みしてしまった。
もしまた口を滑らせて、彼女が噓を吐いたことを責めているように思われたらどうすればいい?
ローアが気に病むようなことをするのは避けたかったし、何よりラニアスはこれ以上彼女に嫌われるのが怖かった。
だから、ラニアスはまた蜜柑を贈ることにした。
彼が知っている彼女を喜ばせる方法は、それしかなかった。
何度か蜜柑を贈っているうち、ほどなくして彼女の姉が結婚した。結婚式に招待されたので、せっかくだからと参加した。式自体は恙なく終わったのだが、終始ローアが不安げな表情をしていたのが気になった。
彼女は随分と姉のことを慕っていたようだから、やはり寂しいのだろうか。何か元気づけることが出来ればいいのだが。
しかし何かしようにも、ラニアスには気の利いた言葉をかけられる自信が全くない。そもそもそこまで親しく会話する間柄でもない。言葉が無理なら、行動で示すしかない。
ラニアスは数日考えたのち、やはり蜜柑を選んだ。
今までよりもさらに質の良いものを。国内だけでなく、国外からも美味しいと評判のものを取り寄せたい。
そんな風に試行錯誤しているうち、もう四年近く彼女に蜜柑を贈り続けている。
その四年のうち、いくつか変化したこともあった。
まず、彼女の家族と関わるようにというか、折を見て向こうからよく話しかけられるようになった。
決して広くはない町なので、お互いに面識はあったし、挨拶程度は交わしたことがある。だがいつの日からか、ラニアスは彼らに「蜜柑の人」として認知されていたらしい。実際に彼女の弟にそう呼びかけられて知った。
意外と気さくな彼らはというと、蜜柑に対するお礼と共に、ときどきラニアスと世間話もしていく。
「君からの木箱が届くたび、娘は毎回ものすごい速さで受け取りに行くよ」
「あの子、貴方へのお返しを何にするか五日も悩んでいたわ」
「この間のやつ、特に当たりだと思いますよ。姉さん、無言で何個も食ってたから」
……たまに自分が知っても彼女は怒らないのか心配になる話題も混じっているが、とにかく仲良くしてもらえることが有難い事には変わりがない。ラニアスは彼らとの会話が結構好きだった。
そして何より、一番の変化はローア本人との会話が飛躍的に増えたことだ。
ラニアスが蜜柑を贈った後、律儀な彼女は必ずお返しとともにお礼を伝えにきてくれる。その際、言葉少なだがポツポツ会話を交わす。そこでまた新しく彼女のことを知れるのだ。
茶色い瞳が夕陽に照らされると金色になること。
目を伏せた時に見える睫毛が長めなこと。
本のジャンルは冒険活劇が一番好きなこと。
好きな食べ物は最初に食べる派なこと。
虫が苦手で、服についたのを取ってあげるとすごく感謝されたこと。
蜜柑の食べ過ぎで手が黄色くなり、病気かと思って泣きそうになっていたこと。
小さい頃、町の観光地である川の小舟に乗りたくて仕方がなかったこと。
ときどき見せる笑った顔がとびきり可愛いこと。
ラニアスは己の欠点が出ないよう、細心の注意を払いながら、ローアとの会話を重ねていった。彼女と言葉を交わせることが嬉しくて、楽しみで、心地が良かった。
そのうち、もっと欲しくなった。会うための理由がなくても、彼女に会いたいと思うようになってしまった。
だから、彼女に縁談を申し込んだ。
もちろん今すぐ結婚したいとは言わないし、そう簡単に出来るとも思っていない。そもそも自分は彼女にあまりいい感情を持たれていないことも自覚している。
けれど、何もせずにただ諦めることがラニアスにはどうしても出来なかった。せめて挽回の余地を彼女に与えて欲しかった、のに。
「……わたし、は、貴方にそんな風に想ってもらえるほど、立派な人間じゃない」
「貴方にはもっと、いい人がいると思う」
「……だから、貴方の意には添えない。ごめんなさい——ラニアスさん」
彼女は少し震えた泣きそうな声で、そう言った。
この言葉の一般的な意味を受け取れば、ラニアスは体よく振られたことになる。「貴方に自分は相応しくないから」そう言って、相手の自尊心を傷つけないようにしつつ告白を断る。たまに耳にする断り方だ。
けれど、ラニアスには彼女の言葉がそんな軽いものには到底思えなかった。なぜなら、彼女はあの頃と同じ顔をしている。ラニアスが最初に蜜柑を贈った後の、自分と会うたびにしていた申し訳なさそうな顔を。
彼女がそんな顔をする必要は全く無いのに、後悔の色を滲ませた、自分を責めるような顔をして、ラニアスを見つめている。
ローアは本気で自分を卑下して、本気で自分がラニアスには相応しくないと言っている。
そう確信した瞬間、ラニアスは「ふざけるな」と思った。
彼女に嫌われる理由はたくさんある。だが、たとえ彼女であろうとも、自分の隣に立ってほしい存在を誰かに決めつけられる義理はなかった。これならまだ「お前なんか嫌いだ」とこっぴどく振られた方がマシだ。
腹の奥がぐつぐつと煮えたぎるような心地がする。ラニアスはローアに怒っていた。だから、今まで欠点が出ないよう必死に振る舞っていたのも忘れて、感情のままに話す。
「——君が立派な人間じゃないことなんて、そんなのとっくの昔に知っている」
「え……?」
まさかそんな失礼な切り返しが来るとは思っていなかったのか、ローアが虚をつかれた顔をする。だが、もう止まらない。止めてなどやるものか。
「君は嘘をつくし、変に意固地だし、食い意地が張っているし、意外と性格も悪い。何より自分の失敗をこれでもかと引きずる。立ち直りが遅い」
「…………………………………」
「だがそれは普通のことで、誰にでもある些末な特徴だ。それも含めて俺は君がいいと、自分の妻になってほしいと言っている」
ローアは何も言わない。それに構わずラニアスは続けた。
「……もし、君の言う“もっといい人”が本当に居るのなら、是非ここに連れてくるといい——君の目の前で手ひどく振ってやる」
「!」
低く唸るような声でそう言い切ったラニアスに、やっとローアは反応を示した。大きく目を見開き、まじまじと此方を見つめている。
それからフッと、どこか力の抜けた、呆れた笑みを浮かべて呟いた。
「……貴方って、最低ね」
それは、蔑みの言葉にしては、随分と声に親しみが込もっていたように思う。
ラニアスがどう答えたものかと考えあぐねていると、今度は彼女の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきた。
これには流石にラニアスもギョッとする。煮えたぎっていたはずの腹の奥は急速に冷えて、代わりに焦りが顔を出す。数秒迷った末に彼女の頬に手を伸ばして、ひとつふたつと涙を指で掬ってやる。
その指をローアは拒絶しなかった。こわごわ触れた彼女の頬は柔らかく滑らかで、ほんのり熱を持っていた。
「……わたし、貴方に嘘をついたわ。姉さんは蜜柑が嫌いなの」
「……ああ。知っている」
ラニアスが正直に話すと、ローアは意外そうな顔をする。どうやら本気でラニアスが嘘に気づいていないと思っていたらしい。
「ラニアスさん、気づいていたの? いつから?」
「最初の蜜柑を贈った後すぐだ」
「もう四年以上も前じゃない。どうして黙っていたの? 貴方ってやっぱり最低だわ」
「…………」
そもそもすぐバレるような嘘をつく方が悪いのでは……?とラニアスは思ったが、なかなか珍しいローアの不満げな表情が見れて嬉しかったので黙っておくことにした。
「貴方から蜜柑が贈られてくるたび、憂鬱だった」
「そ、そうなのか。それは……すまなかった」
「……嘘。本当は嬉しかった。これが私に宛てたものならどんなにいいだろうって、ずっと思ってた」
「? 最初以外はずっと君宛てだが」
「……そうね、そうよね。あの蜜柑は、ずっと私のものだった。……もう随分と前から、貴方は私を見てくれてた」
ローアは口の中で何かをゆっくりと味わうように、噛み締めるように言う。
兎にも角にも、ようやく自分の積年の想いが伝わったらしい。ラニアスが無意識に安堵の息を漏らすと、下からそっと声をかけられた。
「……ねぇ、ラニアスさん」
「なんだ?」
「さっきの発言、取り消すわ。私がもし本当に“もっといい人”を見つけたとしても、絶対に貴方には教えてあげない」
「!」
それは、つまり。ラニアスの期待に満ちた視線を、ローアは真摯に受け止める。彼女の茶色い瞳が陽に照らされて、金色に輝いていた。
「貴方みたいな最低な人には、私が一等お似合いだもの」
そう言った彼女の笑顔は、やっぱりとびきり可愛かった。