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「あ、ちょっと待って。もうちょっと、小綺麗に見える様にしないと……パパ、この服着替えたら?」


 親子の間でどうすれば画面越しに不審じゃなく見えるか、作戦会議が開かれている。


 一旦通話を終了し、僕たちは沖縄と東京でテレビ会議をすることになった。おじさんのノートパソコンには、予約客と連絡を取るために『民宿へんな』のアカウントがあるらしい。


「よし、できたよ」


 おじさんが『民宿へんな』のアカウントから父さんのアカウントへメッセージを送る。


 すぐさま今度は向こうから着信が入った。画面越しに両親姿が見える。スプラッタな事件現場になっていたはずの壁はすっかりきれいになっていたが、花瓶は無くなっていた。


 母さんは随分痩せたように見えた。多分父さんは僕にこの弱った姿を見せて、さらに反省を促そうと思っているにちがいない。


「沢田秀一と申します。この度は息子が大変お世話になっておりまして……なんとお礼を申し上げて良いか……」


「いえ、こちらこそ。なにか事情があるなとは思っておりましたが、あまり深く踏み込むのもどうかとご連絡が遅れてしまい、申し訳ありません。民宿とレンタカー屋を経営しております。平安名慎二と申します」


 ヨゾラのおじさんの名前はシンジと言うのだと、僕はここで初めて知った。彼もまた『ヨゾラのおじさん』ではなく個別の名前を持った人間なのだ。


「うちの息子は宿泊代金をきちんとお支払いしているのでしょうか?」

「はい、それは問題なく。三食、洗濯、入浴込みで一日七千円を滞りなく」

「ご迷惑をかけていないでしょうか。自活能力はほとんど無いと思うのですが……」


「いえいえ。ちゃんと洗濯や部屋の掃除、布団干しもしていますし、庭の草むしりや掃除など、手伝ってくれて非常に助かっております」


 おじさん──シンジさんは、まるで僕たちが男二人で仲良く家事に勤しんでいた様な説明の仕方で、ヨゾラは画面に映りこまないように、巧妙にその存在を隠している。


 多分、年頃の少年が転がりこんだ民宿に同じくらいの若い女の子がいる事がバレたら、両親が余計な心配を──それはほぼ、的中しているのだけれど──とにかく、不安を煽るような事になってしまうだろうとの配慮の結果だろう事は明白だった。


「ほら、ハルト君、何かご両親に言うことは?」


 おじさんに促され、何を言うか考えていなかった僕は慌てた。


「ええと……心配かけて、ごめんなさい。この通り、僕は元気にやっています……」


『それはもう、見た瞬間に明らかだな』


 父さんの言葉に、僕は苦笑いするしかなかった。なにせ髪は洗いざらしのぼさぼさで、日に焼けていて、おまけに観光客気分丸出しの沖縄プリントのTシャツを着ているのだ。でも、母さんはそれを見て少し笑っていたので、彼女を安心させる効果はあったのかもしれなかった。


「ところで……学校には……なんて?」


『ちょっと体調不良でお休みしていますって伝えてあるの。担任の先生だけには、事情を話しているけれど』


 担任曰く、僕の成績なら補習を受ける事により、単位は取り戻せるとの事だった。まあ、進級、卒業できたとして、もともと落ちこぼれている僕が、絶え間なく努力しているライバル達に追いつけるかどうかは定かではないが……。


 一旦、僕の身柄は『民宿へんな』預かりとなり、今後の事についてはまた相談と言うことで話はまとまった。その代わり、追加の小遣いはなし、毎日母さんに今日の生活を朝と夜に報告する、との取り決めつきだ。


 通話を終え、おじさんはふーっと大きくため息をついた。


「お手数をお掛けしました」


「いやいや。ご両親が落ち着いた方でよかった、よかった。俺としてはいつまでも居て構わないんだけどね~。人生色々だし。お金が足りなくなれば、バイトも紹介するよ」


 事務所の電話が鳴って、おじさんはそれだけ言うと小走りで部屋を出て行った。その間、ヨゾラはずっと黙ったままだった。……と言うよりは、この小一時間のあいだ、もの凄く口数が少ないのだった。


 ヨゾラは腕組みをし、僕をじっと見つめている。


「……怒ってる?」


「……怒ってる!」

「大変申し訳ありませんでした」


 もちろん自分が悪いのだが、今日の僕は謝り通しだ。


「でも、これでほっとした。もうしばらく、僕はここに居ていいんだ」


 お金はどんどんと無くなっているが、まだ半分以上は残っている。九月の間は暮らせそうだ。


「それなんだけどさ──」


 ヨゾラは僕から視線を外し、食堂の窓を開けた。とたんに蒸し暑い空気がぶわりと室内に押し寄せる。


「もうすぐ台風が来るの」


 そういえば、朝のニュースでそんな情報が流れていた気がする。でも、彼女の言葉は台風という言葉の持つイメージ以上に、僕の心をざわつかせた。


「だから、もう帰ったほうがいいよ」


 ──帰った方がいいよ。


 突き放すようなその言葉に、僕は硬直した。やっぱり、ヨゾラは僕にほとほと愛想が尽きたのだろうか。


「別に、今日の事を怒ってるんじゃないよ。単純に、高校を卒業するのは大事でしょ。遅れれば遅れるだけ、後が大変になるんだからさ」


 ヨゾラの言葉はもっともだが、それ以外にもなにかがあるような含みを持っていて、落ち着かない気持ちになる。


「台風が来るまでまだ日にちはあるけれど──前も言ったでしょ。船が欠航すると、ここから出られなくなるから」


 ヨゾラは僕が納得していないと思ったのか、説明を続けた。僕は話を逸らすために、台風について質問することにした。


「台風が来たら、どうするの?」


「まず、庭に出ている物をしまって雨戸を閉めて、壁に板を打ち付ける。飛んできた物でガラスが割れちゃうと面倒だから」


「物が届かない時があるから、その時は缶詰とか非常食で食いつなぐ」


「──嵐が来ると、何もかもがめちゃくちゃになるよ」


 ヨゾラはそれだけ言って、窓を閉める。


 ──嵐が来る。その言葉が、何時までも僕の耳に残った。


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