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今度はヨゾラがおじさんに怒られる番だった。彼の中では僕はモラトリアムな大学生一年生と言う設定だったらしく、大学はサボってよいが高校は駄目と、明確な基準があるようだった。


「ヨゾラ、お前、なんでもっと早く言わなかったんだ!」


このおじさんにもこんな大きな声が出せるのだと、僕は彼の新しい側面を知った。


「別に未成年を泊めちゃだめって法律があるわけじゃないでしょ」

「向こうの親御さんから未成年誘拐だのなんだかで訴えられたら……」

「だからそれをしないでください! って説明するしかないでしょ。ていうか、そもそもパパが連れてきたんじゃん。大丈夫、向こうのお父さんは落ち着いてたし」


「はぁ。まあ、仕方がないなー。電話してから考えよう」


おじさんはそれで心の整理がついたみたいだった。さすがにいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた人は切り替えも早い。


「そうそう。という訳で、ハルト君は親に電話をする。パパは電話を替わってもらって、うちで預かってますと挨拶する。それで完璧。丸く収まる」


 ヨゾラはテーブルをばんっ、と軽く叩く。何せ古くて、その上若干立て付けが悪いため、麦茶の表面がかすかに揺れた。


「そんなに簡単に話が終わるかなあ……」

「流れ流れてここに来るよりは簡単じゃない?」

「そんな事はない。だって、解決しないからここまで逃げてきたんだから」


 僕の心に新たな不安が生まれた。もうほっといてくれよと思いつつも──お前なんかもういらない、と言われたらどうしようと思い始めたのだった。


今すぐ帰ってこい、かもう帰れと僕の周りの誰かに言われたら──そうせざるを得ないのだ。


「怖いんでしょ!」


 ヨゾラが僕の顔を下から覗き込んでいる。黒々とした瞳には、魚眼レンズみたいに歪んだ僕の姿が映っている。


 ヨゾラの顔を見て、僕は平静を取り戻した。と言うより、この状況でもヨゾラの顔に見とれてしまう自分は実はとてつもなくバカで浮かれていて、ある意味平常運転なのではないか、とすら思えてきたのだ。


 約束の時間は十八時なので、その前に親戚にメッセージを送る。父さんの言ったとおり、そちらの方がずっと気楽だった。俊哉おじさんに至っては「俺の錦鯉のジェニファー」とわりとどうでもいいコメントが返ってきた。


その後、僕たちはまったく落ち着く事が出来ずに、夕食は災害時のために備蓄してあるインスタントラーメンを三人で食べる事にする。


 十七時五十八分。もう二分待つ理由は特にないのだとヨゾラに急かされ、僕は母に電話をかけた。


「……もしもし」


 スマートフォンの向こうから、わずかに息を飲む声が聞こえた。

 無言だった。てっきり、一拍間を置いてけたたましいお叱りの言葉が耳を刺すと思ったのだけれど──電話の向こうはいつまで経っても無言だった。『どうなの』『思ったより静かだね』と平安名親子が声をひそめて感想を言い合うのが聞こえる。


「向こうのお母さん、ストレスが溜まりすぎて過呼吸起こしてんのかも」


 ヨゾラの言葉に、それはありえるぞ──と思った時、端末の向こうで人が動く気配がした。


『……ハルト?』

「うん」

『びっくりした……声、変わってたから』


 そうかな──と、思う。自分ではそんな感覚はない。潮風で喉が嗄れてしまうなんて事はあるのだろうか?


 思えば母さんと離れた事なんてそれこそ林間学校とか修旅行ぐらいのもので、電話ごしに会話することなんてほとんどなかった。そのせいで、どこか違和感を覚えるのかもしれなかった。


『今……元気なの?』

「うん。……すごく、元気……かな」


 電話の向こうから聞こえてくる母さんの声は明らかに憔悴しきっていて、僕はぎゅっと胸が押しつぶされそうになった。突然、子供の頃に連れて行ってもらった博物館があまりに混んでいて、そこではぐれて迷子になってしまい大泣きした事が記憶に蘇る。


『ごめんなさい』


 僕が謝ろうとした瞬間、母さんは涙声でそう呟いた。お互いに通話がスピーカーになっているため、ヨゾラが「あやまりな」と短く書いたメモを渡してくる。


「いや……僕が、悪いんだ。その、人から言われたとかじゃなくて。母さんに甘えてた。自分の上手くいかないことは自分以外の誰かのせいだって、言い訳をしてたんだ」


『ごめんね……お母さん、バカだから……』


 母さんはよかった、よかったとひたすらに繰り返した。僕が元気で、家族への連絡を怠る──つまりは家に帰る必要を感じないほど、平穏に暮らせていてよかったと言うのだ。


 母さんは怒っていない。むしろ、僕が家を出てしまうほど思い詰められていた事に気がつかなくて、僕がどこかで人知れず死んでいたらどうしよう……とまったく食事が摂れなくなってしまったのだと言う。


 成績が伸び悩んで期待に応えられない、過去の傷を掘り返して侮辱する。そんな事よりずっと、僕が母さんを放り投げた事が、罪なのだった。


「ごめん。本当にバカだった」

『そうだな。お互いにな』


 電話越しに父さんの声がした。


『おいハルト、テレビ会議だ。母さんに、顔を見せてやれ。それに、そっちの方が今後の話し合いもしやすい』

「え、顔……」

「パソコンなら、用意があるよ」


 そこで初めて、おじさんが声を発した。なぜかヨゾラは身じろぎをしたまま、硬直していた。

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