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 今日の天気は曇りだ。


 この島を訪れてから天気の変化に敏感になった。天気が悪いと海の見え方が全く違うので、見た目にも分かりやすいと言うのはあるけれど──東京に居た頃の僕は季節がどんどん移り変わって行く事に──自分が失格を突きつけられる日が近づく事に不安を抱いていたから、あまり周囲を見ないようにしていたのだと、今になって理解する。


「何もすることがないね」


 ヨゾラは昼の仕込みが終わったと、食堂のテーブルまでやってきた。


「勉強でもする?」


 ヨゾラのからかい半分の言葉に僕は静かに首を振る。


「そんな暇を持て余しているハルト君のためにですね……」


 別に僕は暇なわけではない。むしろ頭の中は騒がしく、ヨゾラの一挙一動を脳に刻み込むためにフル稼働している。しかしそんな事を言葉に出来るはずもなく、彼女の目には僕が非常に退屈そうに見えているのだろう。


「日焼けしたくない女性、もしくは悪天候のときのためにクラフト体験をご用意しております」


 ヨゾラが差し出してきたラミネート加工されたメニュー表には女性が好きそうな手作り体験のメニューがずらりと並べられている。


 レジンキーホルダー、キャンドル、貝殻ピアス、もしくはランプシェード……材料は貝殻、小石、流木、シーグラス──廃棄されたガラスが破片となり、波に削られ、丸みを帯びて海の一部となったもの。


「なんと言うか……元はポイ捨てされたゴミとか貝の死骸なのにこうしておしゃれな物扱いされてるのって不思議な感覚だな……」


「ハルト君はもうちょっとロマンチストだと思ってた」


 今の発言はちょっとデリカシーが無かったかもしれないが、ヨゾラの言う通り、僕は基本的にはロマンチックかつポエティックな性格なのかもしれない。表に出さないだけで世の中の大体の男はそうだと思うけれど。


 じゃあ体験は辞めようか。そう言ってヨゾラは他の所に行ってしまいそうだったので、慌てて引き留め、ギリギリ男子が持っていても違和感がなさそうなもの──キーホルダーを作る事にした。


 キーホルダーが必要かどうかと考えると、現金を残して置いた方がよほど有用で、明らかに無駄な出費に思える。しかし、ここで断って微妙な空気になるのは避けたかった。


 彼女は仕事として、観光客である「僕」が沢山島にお金を落としてくれる事を望んでいるのだ。

 

製氷皿の様な型──プラスチックではなく、柔らかなシリコン製だ──を選ぶ。六面体や球体、貝殻やビーチサンダル、魚。様々な種類があるが、僕は一番オーソドックスだと思われる長方形の形を選んだ。


 透明なレジン液を型に流し込む。レジンと言うのは紫外線を当てると化学反応を起こして硬化する合成樹脂の一種らしい。


「晴れていれば太陽光で硬化しましょう! って話になるけどね」


 確かにそちらの方がナチュラルで、エコで、その上ロハスだ。と言うのが大方の見解だろう。しかし今日は曇りだから、ヨゾラはさっさとUVライトを設置してレジンを固め始める。


「こうして土台を作って……後はこの上に好き勝手にパーツを乗せて、もっかい液を乗せて、完成」

「……絵心はまったくない」

「ある人の方が少ない」


 絵の具の様な着色剤を少量のレジン液と混ぜ、色を作る。あまり濃い色をつくると固まらないので気を付けろ──とヨゾラに言われたので、注意深く、少しずつ染料を足していく。


「どんな物を作る?」

「昨日の海を……」


 レジンの部分を写真の枠に見立てて、全体に白を乗せていく。次に、青を乗せ、硬化させながら塗り固める。


「よし。完成」

「地味じゃない?」


 女性客はここにラインストーンだったり、小さなパーツ──貝殻やパイナップルやハイビスカスだったり、あるいはアルファベットや数字などの後から見て記憶の取っかかりになりそうなものを足していくのだと言う。


「これでいいよ」


 つくりものの小さな海はガタガタで不格好な事を除けば──作者の欲目で見れば、リュックや鍵に付けておくキーホルダーとしては十分に思われた。


「うーん。ねえ、もうちょっと、キラキラを足そうよ」

「いいよ」


 正直どっちでもいいのだから、ヨゾラが僕の作ったものに手を加えてくれると言うのを拒否するわけがなかった。


 ヨゾラは半透明の水色やピンクがかった細かい粒子を取り出し、透明なレジン液に混ぜてからキーホルダーの海面に当たる部分に小さな筆で少しずつ乗せ始める。


 僕はそれをじっと見つめる。彼女の指はいつも僕の知らない世界を見せてくれる。


「それ、魚のうろこかなにか?」

「ホログラム、でしょ。魚のうろこって……他に言い方あるでしょ、オーロラとか」

「でも、ほら、化粧品のラメって魚のうろこで出来ているらしい」

「その微妙な知識どこから来たの?」

「どこだろう──多分博物館とか」

「ふーん。やっぱり子供の頃に経験した事って大きくなっても残ってるもんなんだね」


「こういうの、趣味?」

 

むりやり話題をそらすために尋ねると、ヨゾラは「そうでもないかな」と肩をすくめた。


「うち、古いし、レンタカー屋のおじさんが自宅でやってるって言うと、女性だけのグループはほとんど来てくれないんだよね。でも、あたしとしては女性客が多い方が何かと都合がいいわけよ。それで、まあ高校を卒業して本格的にやるってなった時に、ちょっと勉強して色々教えられるようになろうかなと」

 

 手先はまあまあ器用だしね──とヨゾラは締めくくった。


 女性客が多い方がいい。それはつまり男性客ばかりだと嫌な思いをしたことがある、と言うことだろうか。


 それを尋ねるのは憚られた。なにしろ僕も面倒くさい男の客の一人であると言う自覚があったからだ。大人しく、ただ静かに、彼女の手によって僕のキーホルダーが『キラキラ』になっていくのを眺める。


「できた! どうよ、このキラキラ感。輝いてるよ」


 蛍光灯の下でヨゾラはキーホルダーを傾けた。ホログラムはかすかにきらめいていて波のさざめきを表現しようとした形跡があった。


「リュックに付けておくよ」

「でもね、これ──紫外線に当たると、すぐ黄色くくすんじゃうの。綺麗なのはほんのちょっとの間だけ……」


 ヨゾラの言葉は時にもの悲しさを感じさせる時がある。


 彼女には色々な側面がある。一見同じだけれど、海のように、その時々によって、浅かったり、深かったり、明るかったり暗かったり。


 一度気になり始めてしまうと、その違和感の正体を確かめたくなってしまう。


 この家がヨゾラとその父の二人だけになる前は彼女はどんな生活をしていたのだろう。


それを知りたいと思うけれど、ただの旅人にしか過ぎない僕が彼女の人生に踏み込むのは、あまりにも軽薄で慣れ慣れしい。


 もっと時間があれば何かが変わるのかもしれない。しかし、僕に残された時間は確実に短くなっているのだと、冷静な部分がちくりとリマインダーを僕の心に貼り付ける。


「そう言えばね、団体のお客さんの予約が入ったから。大学のサークルだって」


 ふと思い出した様に言われ、僕は頷くしかなかった。


ここはただの家ではなく民宿だ。毎日日帰りで那覇からやってきてレンタカーやバイクを借りていくお客さんは途切れないし、港やスーパーで物珍しそうにきょろきょろする観光客を見かける。


なぜこの民宿に僕以外の宿泊客がいないのかと言うと、それは単純に「立地が良くないから」だ。


 どんな人だって宿泊サイトでどこに宿泊しようか思案している時に『港から車で数分! ビーチはかなり遠いです!』より『ビーチまで徒歩一分。オーシャンビューです』の方を選ぶのは間違いなかった。


 この『民宿へんな』に泊まる人はリピーターか、繁忙期で選択肢が少ないか、あるいは気兼ねなく騒ぎたい人々が主たる客層だ。


「うん」


 わがままな事は重々承知しているが、正直憂鬱だ。


「お金が儲かるのは良いことだよ」

「もちろん」


 考えている事が顔に出ていたのだろう、たしなめる様に言われて、慌てて明るい声を出す。これ以上、人間の小ささを露呈するのは避けたい。


「仕事が大変になるだろうから、手伝える事があったら言ってね」

「ありがとう」


 冷静に考えて、ある客は普通に客として滞在していて、またある客が常連気取りで民宿の手伝いをしている状況と言うのはどう考えてもおかしいのだが、その状況になったら僕は落ち着かない気持ちになると思うので、先に言っておく。


 草むしり、皿洗い、風呂掃除──担当出来る仕事はそのぐらいしかないだろうと計画を立てていると、ヨゾラがふと呟いた。


「東京の大学なんだって。そう言えばさ、結局ハルト君の親は何て言っていたの?」


 窓から差し込んでいた日差しが急に陰った。雲が太陽を覆い隠したのだ。


 何も言うことが出来ない。だって、親にはまだ、連絡をしていないのだ。


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