↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

寂寥

掲載日:2020/07/06

いま、私はパソコンを使ってこの文章を書いている。そして読み手の方々は様々な媒体を通してこの本を読んでいるのだろう。


他人と自分との違いとはなんなのだろうか。僕は横断歩道を赤信号で止まりながら対向車線の横断歩道を横切る人を見るたびにふとどこからともなくそんな考えが生まれてくる。しかし、そんなことを四六時中考えている訳ではない、別の物事に目を囚われ視線を追ってしまう。


他人と自分との違いとはなんなのだろうか。パソコンのキーボードを自分が打ち込んでいる間この同じ時間の中でも電車の中にいる人、食事をとっている人。ましてや本とは時間を超えたものだから読み手がいつ、どこで読んでいるなぞ見当がつかない。


他人と自分との違いとはなんなのだろうか。小林秀雄の『無常ということ』を読んだ。意味はてんで分からなかったが何かを分かったようにさせてくれる本だ。この本の中で小林秀夫は『現代人には、鎌倉時代のなま女房ほどにも、無常というとがわかっていない。常なるものを見失っている』と書かれていた。頭の中はクエスチョンマーク(?)で一杯であった。小林秀雄自身も彼の美学の萌芽に気づけてもそこから美学に到達でかなかったというよりも到達しようとしなかった。だからこそ、こうも不親切なぶんしょうになったのだと思う。私は別段小林秀夫のこの終わり方が嫌いではない。寧ろ彼の答えを知れたからだ。彼だけの答えに余人が口を開ける場所それ自体がないからだ。



小林秀夫が彼の答えを知れたように私の問題である。他人と自分との違いとはなんなのだろうか。この問いにもいつの日か私は答えに辿り着けるのだろうか。真相は闇の中である、しかし私には心地の良い闇である。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。