★8話 逆さま
大マーケットは想像以上の混雑ぶりだった。
抜けるような青空も手伝ってか、見渡す限りの人、人、人。
軽く見回しただけでも店の数を数えようなんて気はすぐ失せる。ちゃんとした屋台からゴザに座って商品を並べてるだけの店、駅弁売りのようなスタイルの店までがひしめきあっているのだ。
人垣は路面電車の線路そばにまで広がっていて、車体と背中が擦れそうなほどギリギリの位置に屋台の椅子が置かれ、客はお構いなしで食事を楽しんでいる。
それどころか遅めのスピードで走る路面電車の窓から乗客が手を伸ばして、古雑誌売りから手早く本を買っている様子も見えた。
「うーん、異文化だ」と俺は所感を一言。
マーケットを小一時間練り歩いて、俺とエクセリアはそれぞれ気になった食べ物を適当に買い込んで、広場にあった大噴水の縁に腰掛けている。
俺が買ったのはスパイスをまぶした肉を削ぎ切りにしたケバブみたいなのを薄味のピラフに乗せたやつと、ニンニクを効かせたトマトスープで煮込まれた貝。間違いないチョイスだ。
対してエクセリアが選んだのは、蛍光ペンみたいな発色で七色に塗り分けられた謎の団子、墨汁みたいな色のスープに半透明のブヨブヨした麺が入った何か、得体の知れない白いソースがかかったたこ焼きっぽいもの。
「ははは! 屋台で買い物するのは楽しいなアリヤ! それにしてもお前の買ったものはなんか見た目がつまらんな」
「大体どこで頼んでも間違いないものってのがあるんだよ。俺も怪しいメニューを開拓するのは好きな方だけど、エクセリアのはちょっと攻めすぎじゃないか」
「記憶ないからどういうのが普通かわからんもん。どれ、お前の選んだのをよこせ。シェアするぞシェア」
「え、シェア? 待った、聞いてないって」
俺の完璧な昼飯とエクセリアのイロモノメニューが勝手に半分ずつ取り分けられる。
肉ピラフが入っていたパックの半分が奇妙でカラフルな食べ物にすり替わってしまい、仕方がないので顔をしかめつつ七色の蛍光ペン団子を口に入れてみる。
妙に弾力のあるグニッとした生地を噛むと、中から生暖かい液体がドロっと弾けて……美味い。
「あ、見た目で警戒したけど中華っぽい味だな。皮が厚めの小籠包だ」
激ウマとかではないが、屋台メニューとしては悪くない味だ。
黒いスープと半透明な麺も黒ごまベースのまろやかなスープに、おそらくタピオカ麺みたいなものが入っていてそこそこ美味い。
「見た目はともかく、結構いいな」
「アリヤが選んだものもおいしいぞ。特にこの貝うまい」
「うっ、でもこのたこ焼きみたいなのは……この白いソース練乳か? たこ焼きを甘くする意味がわからない……美味しくはないかな」
「ふーん。それ全部食べていいぞ」
「処理を押し付けるなよ!」
腹が減っていたのも手伝って、二人でワイワイと品評しながら食べ終えるまではすぐだった。
とりあえず人心地のついた俺たちは、もう一度腰を上げてマーケットをじっくりと練り歩く。
売っているのは食べ物だけじゃない。中古の楽器、タライや包丁といった金物、よくわからない電子機器のジャンクパーツや掘り出し物の眠っていそうな骨董品に、パケに入った謎の草まで。
「アリヤ、あの男はなぜ乾いた草なんか売っている? 食べ物か?」
「ちょっ、指さしちゃ駄目だって! 絶対クスリの売人だろあれ……ほら行くよ」
それに限らずエクセリアの興味は広い。
全てではないが大量の記憶が頭から消えてしまった彼女には見るもの見るものが新鮮なようだ。
「これ! これ買いたい!」
「うん? 木刀? ダメだ荷物になるよ。修学旅行生じゃないんだから我慢しなさい」
「あ、あれカッコいいぞ! 欲しい!」
「懐中時計か。ネジ巻いたり手入れ大変らしいぞ、やめとけやめとけ。高いし」
5メートルおきぐらいに立ち止まるエクセリア。矢継ぎ早の提案を却下しながら歩いていく。
未知で手探りな異世界だけど、こうして平和なところを歩く分には大掛かりな海外旅行みたいなものだ。
そんな場合ではないのかもしれないが、心が少しだけ朗らかに緩む。
「結構楽しいな」
「うむ、わかる!」
そこでふと、エクセリアが空を見上げて「うるさいな」とつぶやいて、上の方を指差しながら俺に尋ねてくる。
「アリヤ、あれはなんだ? さっきからずーっと付いてきてるが」
「あれってどれだ?」
「あっちに黒い鉄塔があるだろう、その先っぽ辺りに重なって見える小さいのだ。ブンブンと音がして耳障りだ」
「……あー、見えた! 多分ドローンかな。そんなのもあるんだな、この世界」
エクセリアの言うブンブンとうるさい音というのはドローンのプロペラ音だろうけど、存在に気付いても全く聞こえない。どんな聴力してるんだこの子は。
それにしても、ずっと付いてきてると言う部分が引っかかる。
もしかして、俺たちを追っている?
「よう」
誰かにポンと肩を叩かれた。
振り向いてみると、ジャージ姿に仮面の男が立っている。
「テメーは終わりだ 。『短移』」
「は?」
唐突に、見える景色がパッと上下反転した。
なぜか逆さまになってポカンと口を開けたエクセリアの顔が目の前に映る。
いや、違う!
(俺が逆さに浮いてる!?)
そう認識した瞬間にはもう遅かった。
捕まるものもない空中で重力に囚われた俺は、受け身も取れずに頭からアスファルトへと落ちる。
頭の怪我を避けようとして首を横に傾けたが、それも良くなかったかもしれない。
1メートル半の自由落下。ゴキンと鈍い音がして首の骨が斜めに折れた。
「アリヤ!!? なんだ、貴様何をした!」
「ハッ、口ほどにもねえ」
怒りと困惑の混ざったエクセリアからの詰問に答えず、仮面の男は短く吐き捨てるように嘲笑を漏らした。
だが、「終わりだ」と言った男の判断は間違いだ。俺はまだ死んじゃいない。
バキバキに痛む首筋を掌で撫でながら、揺れる膝に力を入れつつどうにか地べたから立ち上がる。
「っ、う、げえっ……頭打って吐き気がする……」
「ア? 死んでないのかよテメー」
男は仮面の下で不愉快げに舌打ちをする。
黒いジャージに黒い仮面。あの仮面はベネチアンマスクだ。確か……ボルトとか呼ばれる幽霊モチーフのやつ。世界ふしぎ発見だかBSの世界の旅番組だかで見た。
ドローンが付いてきてるとエクセリアに聞かされて、監視されているんじゃないかと思った矢先の敵襲だ。
「あんた、七面會か?」と聞くと、男は返事をせずに自分のうなじに手をあてがってさする。
と、姿が消えて——
「後ろだアリヤ!」
「死んどけって。『短移』」
言葉と共に背に手をあてがわれた瞬間、また突然俺の視界が切り替わる。
雲ひとつない青空、両端に並んだビル群、背中と後頭部に衝撃!
「がっっは!!」
目の裏で光がはじけて肺から空気が押し出される。
今度も受け身は取れず、頭に背中、腰まで全部が信じられないくらい痛い。
自分でも死んだんじゃないかと思うくらいの衝撃だったが、それでもまだ体は動く。
経験したことのないめまいと吐き気を我慢しながら立ち上がると、仮面の男が「ハァ!?」と苛立ちを露わにした。
「素人のくせに無自覚に自動治癒でも使ってんのか? それとも恒常で身体能力を強化ってやがるのか。どっちにしろ気に食わねえ」
「貴様ぁ!! この私の供に何をした!!」
「うるせえ、ガキ」
激昂したエクセリアが男めがけてパイプ椅子を振り回すが、男は前触れもなく横へ1メートルほど位置をずらして回避した。
それを見て確信した。この男は瞬間移動みたいな魔法を使っている。
(自分と触れてる他者を両方とも移動させられる、って感じのやつだ。あとかなり短距離!)
相手ごとテレポートして落として殺す。
効率が良くて恐ろしい戦い方だけど、もっと高所から落とした方が確実に殺せてたはずだ。
なのにそうしない。ってことはできないということだ、と俺は予想を立てる。
じゃあどう戦う? 俺を高くテレポートさせるために触れる必要があるなら、そこを待ち構えて刺すしかない。
武器を! 昨日の要領で魔法を使おうとして、そこで俺はまずいことに気付く。
「血が出てない!」
「だから俺が来たんだよ。テメーが血を使うなら血を出させなけりゃいい」
「ッ、指を噛んで血を……!」
「そう簡単に噛みちぎれるかよ、漫画じゃねえんだぜ。血の出ない落下角度ってのはいくらでもあんだよ。こんな風にな!」
テレポート、落下。
テレポート、落下。
テレポート、落下!
立て続けに落とされて、俺は脳やら内臓やらがミキサーにかけられたような感覚になる。畜生、めちゃくちゃだ!
辺りのものを手当たり次第に掴んで殴りかかってはスルーされて怒り狂うエクセリアが視界の端に見えた。激怒ついでに半泣きだ。
今日6度目のテレポートを受けて空を見た、そのタイミングで落下が止まった。
落下が止まる? 空中に放り出されての自由落下が? まるで時間が止まってるみたいだ。
「これは、もしかして」
————鐘が鳴る。
『運命分岐点』
「来た!!」
『今ここが、お前の運命を大きく分かつ岐路。選択肢を示そう。選ぶ権利を与えよう』
「このタイミングはありがたい……! そうか、戦いの途中に来るパターンもあるんだな」
目の裏の痛みを感じながら、選択肢が出る前に俺は現状を整理する。
良くない。とにかくまずい。されたら嫌なことをされ続けてる。
よく言うじゃないか、勝負の鉄則は相手の嫌なことをし続けることだと。
今はそれを向こうに徹底されてしまってる状況だ。
【①.血がなくても使える魔法を考える】
【②.大声を上げて助けを求める】
二択か……まあ、今の状況からできることなんてそう多くない。
示された選択肢を前に、俺は思考を研ぐ。
考えろ、考えろ! あいつは今、何をされるのを一番嫌がる?
俺が選ぶのは——